水乃サトルシリーズの學生編。少しばかり冗長ではありますが、現在と過去にまたがる殺人事件や、いかにも安い新興宗教教團を舞台に据えながら、そのなかに思いのほか重厚な切り口が用意されていたりとなかなか讀みごたえのある佳作でありました。
學生編ということもあって、サトルの相棒は由加理ではなく、シオン。さらにはキ印のブタモやハラキリなどトンガったキャラも交えて物語はいかにも漫畫チックに展開します。
プロローグで宇宙人に攫われる少女が描かれているのはもう御約束のようなものでしょう。この少女というのがシオンの戀人で、彼女には三歳以前の記憶がありません。さらに彼女は養護施設の院長に拾われ、その施設で育てられた後、子供のいない夫婦に引き取られたという過去を持っています。義父は二年前に癌で亡くなり、義母も自殺をしたというのですが、義母の自殺の状況に不審なものを感じたサトルは、彼女の三歳以前の失われた過去と、宇宙人に誘拐されたという記憶の眞實を探ろうとするのだが、……という物語。
いかにもアヤしげな新興宗教の教團が事件の舞台となっており、このシオンの戀人の過去を探っていく過程で關係者が殺されたりもするのですが、謎の中心となるのは彼女の義母が自殺をはかったという事件の方です。この一見したところ自殺としか思えない状況を疑ったサトルが中盤でこの密室トリックを解き明かしてみせるのですが、これが最後の最後で再びひっくり返されるという展開は、これまた學生編の御約束でしょうか。バカバカしいくらいに大掛かりなこの密室の仕掛けは結構氣に入ったんですけど、事実は意外にも單純なものだったというオチもあって、サトルの名探偵ぶりは現代編に比べるとまだまだです。
トリック云々というところではダメダメなサトル探偵ではありますが、事件の全容を把握する視點や、義母と義父に生まれた子供がまだ生きているのではないか、というところへ至る着眼點には唸らされましたよ。このあたりのいかにも普通に讀者の前に晒されているのだけども氣がつかないところに推理の絲口を見つけて事件の謎を解いていくという展開は、流石だなと思いました。
宇宙人に誘拐された云々というところや、生体実験云々の謎解きはまあ、予想通りというか、こういうものでしょう。しかしその理由づけというのにはこれまた吃驚させられましたよ。このあたりの意外性が、漫畫チックな物語の展開から浮きまくっておりまして、それがまた妙なかんじなんですよねえ。嫌いじゃないです。
更にこの物語の傍流にはもう一つの大きな謎がありまして、その謎解きがいい。その昔、村人全員が宇宙人に襲撃されて、連れ去られてしまった、……という呆けた老婆の証言をサトルが最後に解き明かすのですが、この漫畫チックな舞台にそんな重いものを仕掛けておきますか二階堂センセ、と思わずツッコミを入れてしまいそうになりましたよ。
こういう素材も蘭子シリーズに出て來るのではあれば何の違和感もなく受け容れられるのですけど、サトルシリーズでこういうものが飛び出して來るとはまったく予想もしていなかったので、最後の最後では結構驚いてしまいました。エピローグで解き明かされるこのネタが、安い新興宗教教團を舞台にした漫畫チックなミステリ、という印象から、社會派チックなミステリ(社會派ではありません念のため)へと転化させるのに成功しています。
いかにもベタな宇宙人ものUFOものの知識が章の始めで開陳される部分や、これまたベタ過ぎる新興宗教の教義がかなりアレなんですけども、そういった洗練されていない素材をゴロンと転がしただけの舞台が、物語の最後の最後で一転するところの驚きが本作の見所でしょうか。漫畫のような登場人物たちが織りなすあまりにベタな演技に、讀んでいるあいだはかなりゲンナリしていたんですけども、後半になって過去から現在へと連なる事件の全容が次第に明らかにされていくに從って、ミステリ「小説」の結構へと轉じていくさまが鮮やか。ただ、このベタな展開がたまらなくイヤという人もいるでしょう。その意味では二階堂氏の小説が嫌いな人には多分受け付けられないのでは、と思いました。「稀覯人の不思議」のような趣味に趨りまくった部分がないので、自分としては結構愉しめてしまったかもしれません。
ただそれでもサトルシリーズは、やはり現代編の方が魅力的だなあ、とも思いましたよ。學生編のサトルはどうにもお行儀が良すぎて、まだまだハジケっぷりが足りません。由加理も含めた周囲の人間を翻弄しながら事件を引っかき回してしまうサトルの方が個人的には好きですねえ。
少しばかり心配なのは作者のあとがきで、
また、「稀覯人の不思議」が、業界人からずいぶん評判が良く、同種の続編を大いに期待されている。いずれ、少女マンガ收集家を主題にすえた作品を書くかもしれない。
個人的にはそういうものは讀みたくないんですけどねえ。氷川センセの「見えない人影」しかり、作者の趣味に趨りまくった小説は自分としてはちょっと、というかんじですよ。もっともそのネタが自分的にツボだったらまた評價は異なるのかもしれませんけど、それでも讀者をおいてきぼりにして、「業界人から」「評判が良」い作品を書く意味って何なんでしょうねえ。