柄刀一初体驗が本作というのは一體ミステリファンとして許されることなのかどうか、……ということはおいといて、このパスティーシュ、意外と愉しめました。ただ評價するという段になると複雜な氣持なんですよねえ。
というのも、本作にはいくつかの評價軸があると思うんですよ。ひとつは当然のこと乍ら、ミステリとしての完成度。そしてもうひとつは、ホームズ・御手洗ものの贋作としての側面。そして最後にもうひとつ付け加えておきたいのが、ホームズと御手洗という偉大なる名探偵二人を対決させた際の小説としての面白さ。
まずはじめのミステリとしての完成度ですが、これはかなり高いです。といっても自分の場合、頭が悪いのか、どうにも作者の描く犯行現場がハッキリとイメージ出來ないんですよねえ。「シリウスの雫」なんてご丁寧に図解までついているというのに、嗚呼、それでも何かよく分からない。それは「ボヘミアンの秋分」も同じで、どうにも死体の状況とかが鮮明に頭の中に思い浮かばないのです。何故なんでしょう。「緋色の紛糾」は事件自體も他の作品に比較して単純なのでわかりやすいのですけど、前に挙げた二作、特に「シリウスの雫」は二回ほど讀み返したのですが、やっぱりピンと來ませんでした。
さて本作は、「青の広間の御手洗」と「シリウスの雫」が御手洗編、そして殘る「緋色の紛糾」と「ボヘミアンの秋分」がホームズの御披露目といったかんじで構成されています。しかしこれら四作は、最後の中編「巨人幻想」のプロローグに過ぎません。
「巨人幻想」は小説しての長さもさることながら、提示される謎も當に島田莊司的で、「御手洗もの」としての完成度は非常に高いです。という譯で、上に挙げた三つの評價のうちの二番目「御手洗ものの贋作としての完成度」も二十丸です。ただ手放しで襃められないのは、作中の御手洗が妙に落ち着いていておとなしすぎるということですかねえ。「暗闇坂」の御手洗なんて妙に彈けてましたからねえ。あれくらいの彈け方をして見せてくれれば、もう滿點でした。このあたり、つまりキャラだちがまだまだ足りないという點では、やはりこれは島田莊司の作品ではなく、柄刀一の作品なんだなあ、と思った次第。
さて、そして最後の「ホームズと御手洗という偉大なる名探偵二人を対決させた際の小説」としての完成度はどうでしょう。これがちょっと不滿なんですよ。というのも、もっとしつこいぐらいに推理合戦を繰り廣げてくれれば面白かったのに、作中の御手洗とホームズは何だが実況見分をしながら軽いジャブを繰り出すばかりでどうにも面白味にかけるんです。もっとも二人とも天才型の探偵ですから、こういう展開になってしまうのは仕方ないのかもしれません。
「巨人幻想」のラストは「漱石と倫敦ミイラ殺人事件」に対するオマージュでしょうねえ。御手洗が洒落ています。ちょっと感激もののしめくくり方がうまいです。
さて、本作の魅力は柄刀一の本編だけにあるのではなく、特別寄稿として島田莊司の手になる「石岡和己対ジョン・H・ワトスン」が収録されていることです。これがまたうまいんですよ。本編を巧みにたてながら、石岡とワトスンの「俺っちの方が凄いんだい」といういかにも小市民的な意地の張り合いが微笑ましい。そんな譯で、柄刀ファンはどんな評價を下すのは分からないのですけど、島田莊司ファンだったらきっと愉しめる佳作であります。
ところでジャケの逆光を浴びて佇むモジャ頭のシルエットなんですけど、これって、……御手洗なんでしょうか?どうにも島田莊司の横顏に見えてしまうんですけど。