低血壓ハードボイルド。
本格ミステリ・マスターズの一册としてリリースされていた本作、文庫化を機會に手にとってみました。小森氏の解説によれば、この飛鳥井シリーズは日本式ハードボイルドの三大コードの眞逆をゆく探偵飛鳥井を主人公に据えた作品、とのことなのですけど、この「ハードボイルドの枠組に則りつつも、日本式ハードボイルドのありように対する批判も作中に組み込まれている」作風にノれるかどうかが、本作を愉しめるキモとなっているような氣がします。
収録作は、筋金入りのストーカー男にロックオンされた女のコロシに飛鳥井の推理が冴える「追跡の魔」、痩身術や激ヤセ問題、在日外國人問題などを絡めた「痩身の魔」の全二編。
本格ミステリらしい技巧が素晴らしい冴えを堪能出來るのは「追跡の魔」の方で、女セラピストのクライアントがストーカー男にロックオンされて困っている、ついてはこの男をどうにかしていただきたい、というリクエストに飛鳥井は、……という話。
ストーカー男と被害者女の周辺に出没する黒づくめの人物、そして胡散臭そうな精神科醫など、それらしい人物の連關が最後に意想外な反轉を見せていくという構図は當に本格ミステリならでは仕掛けで愉しめるものの、「一人称でありながら、一人称主語代名詞を使わない」という獨特の語りとも相俟って、意図的に讀者の感情移入を拒んだ風格とアンチ・クライマックスとでもいうような劇的な展開を缺いた物語に、自分のようなボンクラが些か戸惑いを感じてしまうのもこれまた事實でありまして。
解説で小森氏が引用している「EQ」誌での逢坂剛と藤田宣永との鼎談で笠井氏曰く、
主人公のキャラクターを造形するときに、三つの前提を設定することにしたんですね。第一は「暴力沙汰を好まない」、第二は「反権力を標榜しない」、第三は「警句を吐かない」の三点。これを裏返しにすれば、日本式ハードボイルドの三大コードになります。
とあって、本作の飛鳥井は當に上に挙げた三つの性格をシッカリと遵守している真面目男ではあるものの、ボンクラな本讀みとしては、時にブチ切れてワルと無鐵砲な大立ち回りを演じ、また時には日本の司法制度は「すべからく」惡であるなんて憤ってみたり、或いは「ダッせーな、オっさん」なんて若者に揶揄されながらもイカした台詞を呟いてみせたり、……って、飛鳥井のキャラを更に反轉させると、島田御大の吉敷みたいなキャラになってしまうところが何ともなんですけど(爆)、まあ、こういうものをやはり期待してしまう譯です。
そんなことを笠井氏にいったら、まったくケシカらん、なんて怒られてしまうには違いないんですけど、そういったワクワク感みたいなものを引き起こすのがエンタメ小説の機能である、みたいな俗っぽい考えしか出來ないボンクラの自分としては、飛鳥井シリーズの大胆な試みをどうにも素直に受け容れることが出來ないところがかなり鬱、でしょうか。
「追跡の魔」で登場する影の薄いストーカーにしても、平山センセの「いま、殺りにゆきます」や「東京伝説」の中で大暴れを見せてくれるキ印君たちに比較すると、どうにも紋切り型というか、今時のストーカーにしてはおとなしすぎるというか、このあたりがまた小説の主人公にも相當の美意識を求める笠井氏としてはハジけまくったキャラを配置するのに躊躇いが見られるところがちょっとアレ、……とはいえ、これは勿論ボンクラのキワモノマニアの意見ゆえ、無視していただいても構いません。
しかしそんな登場人物たちのおとなしさに些かノり切れずとも、本作の謎解きによって明らかにされる反轉の構図は見事の一言で、劇的なクライマックスを排除した飛鳥井の推理にはこれまた些か不満が殘るとはいえ、アッサリ風味でかなり大胆なドンデン返しを見せる本作の眞相には大滿足。
平山センセの造形したストーカーの方に現代のリアルを感じてしまうキワモノマニアには、それ故に社會派としての作風に少しばかり詰めの甘さを感じてしまうとはいえ、本作から敢えてそういった視點を排除して本格ミステリとして讀んでみれば、相當に愉しめるのではないでしょうか。
「痩身の魔」もこれまたある種の古典的なトリックを使った一品ながら、痩身術や外國人問題などかなり込み入った視點を錯綜させて、社會派の風格を際だたせているところは素晴らしい。
また本作に使用されている社會派としての視點が、そのまま本作の仕掛けと見事な融合を見せているところも秀逸で、ミスディレクションや古典的なトリックの使い方は非常に地味とはいえ、社會派としてのアプローチを本格ミステリへと昇華させた作品としては大いに評價したいところです。
ちょうど、法月氏の「複雜な殺人芸術」を讀了した直後だったゆえ、本作に使用されている「一人称でありながら、一人称主語代名詞を使わない」手法についてもかなり意識的に讀み進めていったのですけど、何しろボンクラゆえ、この書き方は主人公である飛鳥井のキャラも含めて讀者の感情移入を拒絶するような風格にしか感じられなかったところがちょっとアレ。
本作は、作者の笠井氏と同樣の批判的、批評的な讀みを要求する小説ゆえ、自分のようなボンクラは、笠井氏のいわれる私立探偵小説の批判をなした風格の部分はとりあえずスルーして、本格ミステリと社會派の視點から讀み進めていった方が本作の物語を氣樂に愉しめるカモしれません。
あと、文庫版あとがきで笠井氏は再び「容疑者X」についてボヤきにも近い言及をしているんですけど、個人的にはもうこのネタについてはこれくらいにして、笠井氏には次の仕事に取りかかってもらいたいと思いますよ。
今月號の「ミステリマガジン」でも、本格理解「派系」作家の首領をバカ扱いしていた笠井氏ですけども、首領にロックオンされてしまった氏がその腕をふりほどこうと必死なのは十二分に理解出來るものの、やはり笠井氏には本作の飛鳥井と同樣冷徹なダンディズムを貫いてほしい、そして日本の本格ミステリの為にもっと大きな仕事をしてもらいたいと期待しているのは自分だけではないと思うのですか如何でしょう。