國内編である同時リリースの「名探偵はなぜ時代から逃れられないのか」では、島田御大論である「挑発する皮膚」の記述などにやや違和感を覚えてしまったものの、本作ではクイーン絡みの笠井論「大量死と密室」で見せてくれたその素晴らしさを大展開。
後半に収録された「初期クイーン論」、「一九三一年の傑作群をめぐって」、「密室――クイーンの場合」だけでもお腹イッパイというかんじなんですけど、前半の書評も含めて非常に面白い一册に仕上がっています。
本作を讀んでやはり法月氏は凄いと思ったのが、前半部の書評と、後半の論考の部分での巧みなキャラの切り換えでしょうか。書評とはいえ、要所要所に分析的思考を凝らしてあるところもまた素敵で、さらにはそこへ旨すぎともいえる粗筋のまとめをシッカリと披露してみせるサービスぶりもまた素晴らしい。
このあらすじにざっと目を通しただけで、取り上げてある作品を何だか無性に讀みたくなってしまうんですけど、個人的にはマイケル・スレイドの諸作に警察大河小説としての連關をイッキに纏めてしまったところにはもう脱帽。
「髑髏島の惨劇」が「スプラッタとパズルストーリーのごった煮地獄」と評されたところから、「同時多発テロさながらの自爆プロット」なんていうふうにさらりと書いてしまうところも洒落ていれば、「ABC殺人事件」におけるプロットの二重性をネタにこれまたさりげなく十八番のクイーンへと繋げていくあたりもうまいなア、と思いました。
で、輕妙な文体の中にも思索の視點を巧みに織り交ぜた前半の書評と異なり、後半に収録されている論考部は當に重厚な内容で、その中でもやはり1995年2月號の「現代思想」に掲載された「初期クイーン論」と「名探偵の世紀」の「一九三一年の傑作群をめぐって」はジックリと腰を据えて相対してみたくなる傑作でしょう。
「形式化」を俎上に挙げて、徹底的にミステリの構造を突き詰めていこうとする法月氏の姿勢には何処か鬼気迫るものさえ感じらてしまうのですけど、ここでは「現代思想」という発表媒體ゆえか、大々的に柄谷氏の文章をフィーチャーした構成にも違和感はなく、現代思想的なノリが論旨の展開にシッカリと溶け込んでいるところもまたナイス。
しかし出てくるネタがクイーンにとどまらず、クリスティの「アクロイド」とかが出てくる度に、どうにも今月號の「ミステリマガジン」で笠井氏が本格理解「派系」作家の首領をバカ扱いしていた内容が頭にチラついてしまうのは奈何ともしがたく(爆)、ミステリの樣式や形式というものに自覺的で、それらをひとまず括弧に入れながら愼重に分析考察を進めていく法月氏や笠井氏、巽氏といった大御所や達人に比較すると、やはり首領は評論とかそのテの活動には向かないんじゃないかなア、なんて考えてしまうのでありました。
例えば「初期クイーン論」の中で法月氏は、例の推理小説批判法に對しても、「むろんこの採点方式自体は、遊戯的な読者サービスの一種とみるべきであって、必ずしも説得力をもつものではない」なんて書いているんですけど、ここでも件のX騒動において推理小説批判法に類似した評價方法を自ら採用していることをカミングアウトされた本格理解「派系」の首領にしてみれば、クイーン大先生の行いに文句をつけるとはケシカラン、みたいなことになりそうだし、……なんて感じてしまうんですけど、逆にいうと本格理解「派系」作家の首領やそのシンパにしてみれば、この何一つ疑うことなく受け容れてしまう無邪氣さが彼らの大きな特徴なのカモ、なんて考えてしまいました。
それと分析考察の前提として、作品を非常に精緻に讀みこんでいること、さらにはちょっとした違和にもシッカリと注意を向けている法月氏の評論家としての資質にも個人的には大注目で、「初期クイーン論」における、読者への挑戦の主体の相違とか、「複雜な殺人芸術」での、「ウィチャリー家の女」においては一人稱でありつつも神の視點が排除されていない點など、ボンクラな自分にははっとさせられるような指摘が満載なところも嬉しい。
ミステリー塾は国内編、海外編の二册を合わせて讀むのがベストなのでしょうけど、敢えてどちらか一册となれば、こちらの方がより愉しめるかもしれません。何より海外ミステリーを愛する法月氏の書評は拔群に面白いし、その作品を手にとってみたい氣にさせるツカミの巧みさや、さりげなく分析的思考を披露してマニアを擽るその手管など、見所も多い前半部と重厚な論考を纏めた後半部のギャップもまた面白い。
ただこの二册を讀むと、無性にクイーンを再讀したくなってしまうのがちょっとアレ(爆)。また、ミステリの「形式化」というネタが大々的に取り上げられている内容ゆえ、讀了後は、その「形式化」に無自覚なまま他人を批判してしまう無邪氣さがアレな本格理解「派系」作家の首領と法月氏との違いがより一層際だってしまうところも、X騒動以後に一册の本として纏められた本作を讀む時の注意點として挙げておくべきカモ、しれません。
巽氏の「論理の蜘蛛の巣の中で」や敬愛する千街氏の「水面の星座、水底の宝石」などとはやや趣を異にする作風ながら、ミステリの形式に意識的な本讀みには大變刺激的な一册だと思います。オススメ。