ミステリマイナス、事件。
度々取り上げている泡坂氏の作品なんですけど、敢えて曽我佳城や亜愛一郎ではなく、どマイナーな短編集に的を絞っているのには勿論理由がありまして、これまた連城氏と同樣、見てくれはド真ん中の本格でなくても泡坂氏や連城氏の小説の醍醐味はやはりその仕掛けにアリ、ということを強力にアピールしてみたいからでありまして。
で、本作も、以前紹介した「ゆきなだれ」や「折鶴」と同樣、一見すると非常に地味なもの乍ら、その技の冴えはやはり流石、という短編が収録されている傑作選です。
収録作は紋章上絵師の失敗の理由が意想外な眞相を明らかにする「女紋」、同業者の死に素晴らしい仕掛けを凝らした傑作「硯」、昔の不倫相手との再會に素晴らしい人情噺を絡めた「色合わせ」、昔の恋文に込められた仕掛けに反轉の構図を明らかにするこれまた傑作「三つ追い松葉」、凡人の銀行強盗の眞相に泡坂氏らしい逆説が光る「静かな男」。
歌舞伎鑑賞の淡い思い出とともに哀しい女の一生を幻想へと昇華させた「六代目のねえさん」、マジックに魅了されたボンクラ男の悲愴な一生涯を描いた「真紅のボウル」、親友と同居することになった人妻の、因果な犯罪が悲哀を喚起する表題作「砂時計」、美女の戀人の相次ぐ不審死が恐怖小説的なオチへと歸結する「鶴の三変」など全十篇。
この中でも個人的にイチオシなのが「硯」で、ヒョンなことからかつての同業者の死を聞きつけた主人公は、親友とともにその男の家を訪ねていく、というお話。實はこの男というのが、主人公の親友の妻を寢取ったトンデモ男で、どうやら親友は未だにかつての妻に未練がある樣子。
不倫略奪男と親友の妻はこの後、京都に驅け落ち、そのまま行方知れずとなっていたのですけど、どうやら東京に戻ってきては細々と紋屋の仕事を續けていたらしい。果たして主人公と親友はお悔やみに行くのだが、……。
確かにこの作品にはコロシもないし、ひとつの死が冒頭で語られているとはいえ、いかにも普通小説らしい結構に、本格ミステリファンもこの小説を本格ミステリとしては讀まない、或いは讀めないかもしれません。
しかし後半に明かされるある眞相と「どんでん返し」、そしてその驚きを引き起こす為の仕掛けの周到さに、自分としてはやはり本作を本格ミステリとして愉しまないのは勿體ないんじゃないかなア、なんて考えてしまうのでありました。
本作の優れているところは、冒頭に呈示される謎を謎として見せないというところで、さりげなく呈示されたこの謎は脇に寄せられたまま物語が進むのですけど、最後にはこの謎こそが讀者が眞相に到る為の伏線であったことが明らかにされるところでしょうか。
上に述べたこの謎の理由は、語り手の口から早々に「眞相」が明かされて、「謎」としての機能が退けられる一方、物語を牽引していくのは、何故親友の妻は同業者の男と驅け落ちしたのか、というあたりになるのですけど、これがまた普通小説の結構を持たせた本作では絶妙なミスディレクションの機能を果たしているところが秀逸です。
「ゆきなだれ」でも同樣の趣向を見せてくれた泡坂氏でしたが、あちらが眞相の開示によって主人公の慟哭をより高める効果をあげていたのに比較すると、本作ではこの「どんでん返し」が語り手とは違う相手に向けられているゆえか、眞相から一歩退いた視點が何ともいえない餘韻を醸し出しているところもまた素晴らしい。
謎の呈示とその究明を物語の牽引力として用いるのが正統な本格ミステリの結構だとしたら、本作では謎そのものを謎として見せないという特異な構成が自分のような異端な讀み手にしてみれば非常にツボだったりする譯ですけど、やはりこういう讀み方はダメなんですかねえ。
例えばミスディレクションを本格ミステリにおける高度な技法のひとつだとすれば、當に本作などはそれを用いた典型のように自分には感じられるんですけど、コロシもなければ日常の謎もないようなこの系統の泡坂氏の作品は、「事件」のある正統本格にも、また市民権を得た「日常の謎」にも分類されずに結局は評價もされない、みたいなことになってしまうんじゃないか、なんて心配してしまうのでありました。
また本作の仕掛けはある意味、綾辻氏の某長編や台湾ミステリの某短編にも通じる趣向のように自分には感じられるのですけど、こういう技法に着目した讀み方もやはり異端なのかなア、なんて溜息をつきつつ、本作に収録された「真紅のボウル」でのボンクラ男とマジシャンの會話には複雑な思いを抱いてしまったりする譯で、
「ところがね、天二さんの芸に感激したのは、私たちわずかな奇術マニアだけでした。いつの時代でもマニアというのは数が少ない。大多数の観客の反応は、天二さんの芸が不滿だったんです」
「……名人なのに不評とは、どういうわけでしょう」
「あの時代、まだ世の中がのんびりしていましたからね。一般の観客は畳み込むような西洋流のテンポについていけなかったのが一つ。もう一つは」
孤英は英一の顔をじっと見ながら、
「奇術の手練技というのは、ほとんどの客に理解されませんね」
と、絶望的な調子で言った。
孤城は天二の不遇を自分に重ね合わせるように、
「天二さんはよく< 芸人は芸だけがものを言うのだ>と言っていましたが、これは間違いです。大勢の観客を集めるのは、虚仮威しと、女の色気です」
虚仮威しのない作風ゆえに大衆にも受け入れられず、かといってマニア受けするようなコロシもなければ普通小説を裝った地味さ故にマニアにも理解されないような作品はじゃア、いったいどうなってしまうんだろう、なんて、一般のマニアとも違う嗜好を持ったボンクラのキワモノマニアは頭を抱えてしまうのでありました。
……って何だか、「硯」だけで終わってしまったのですけど、その他、「DL2号事件」を髣髴とさせる拗くれた逆説の光る「静かな男」や、その仕掛けによって戀愛の顛末がまったく違った繪を見せる傑作「三つ追い松葉」など、泡坂氏の技を堪能することが出來る短編集。地味で淡々とした外観に相反して語りの仕掛けに込められた業師の巧みを愉しみたい一册といえるでしょう。