達人巽氏の「論理の蜘蛛の巣の中で」と同樣、講談社からリリースされた法月氏の評論集。しかし連載ものを一册に纏めた「蜘蛛」に比較すると、十年以上の歳月を跨いだ論考を一册にブチ込んだ構成ゆえ、ところどころでハテナとなってしまうところが惜しい、というか、そもそも連載の「蜘蛛」と比較すること自体が大間違いで、本作は寧ろその内容とともに、収録された論考の発表年代を参照しつつ、當事のミステリ界の空氣を傳える貴重な資料として讀み進めるべき一册なのかもしれません。
読み應えがあるのはやはり前半の笠井潔論の「大量死と密室」と、島田荘司論である「挑発する皮膚」でしょうか。特に「大量死と密室」で、クイーンの「チャイナ橙」と比較しつつ「哲学者の密室」を解析していくところは非常にスリリングで愉しめました。
因みにこの「大量死と密室」が「創元推理」に發表されたのが1993年の春號、ということはもう十年以上も前のものということになりますか。ただ笠井氏の作風とその作家としての立ち位置にそれほど大きな變化を個人的には感じられないゆえ、「大量死と密室」の論考も感心しつつ讀み進めることが出來ました。
しかし續く島田荘司論の「挑発する皮膚」は、御大の作品のトリックに見られる「肌ざわり」のセンスに着目しつつ、論を進めていくそのスタイル自体は理解出來るものの、細部の分析には何というか、個人的にかなり違和感を覚えてしまいましたよ。
どうも法月氏は「暗闇坂」をアンマリ傑作だと思っていないふうに讀めてしまい、特に御大のトリック創出法が「肌ざわり」に連關した「表面」から「深さ」へと移行していったことについて言及しているところでは、「『暗闇坂の人喰いの木』という作品の中では、表面が「深さ」に従属している」といい、「巨人の家」に關しても、
『都市のトパーズ』に続いて発表された『暗闇坂の人喰いの木』では、『奇想、天を動かす』で導入した遠近法的な叙述方法を用いつつ、「深さ」が表面を支配する物語の構成を採用する。こうした観点から見ると、この作品の中で特異なパートを占めている「巨人の家」のトリックは、表面から「深さ」への重心の移動、すなわち転倒を宣言したものと見なすことができるはずだ。
「巨人の家」は御大の作風の變化におけるひとつの典型であるとしつつも、どうにも全文を讀むにつけ、法月氏は「巨人の家」はそれほど凄い仕掛けじゃない、と感じている樣子。
個人的には「暗闇坂」はこの「巨人の家」だけでも十分に魅力的で、自分などは屋根の上の例のやつとかは正直オマケだと思っているんですけど、法月氏は註釈の中でも「暗闇坂」の屋根の上にまたがった死体を取り上げて、「トリックの骨組みだけが露出して、「肌ざわり」の感覚に乏しい」作品のひとつとしているし、何だかこのあたりに自分の評価軸との違和感を感じてしまってちょっとアレ。
「アトポス」や「水晶のピラミッド」が御大の作品の中でもイケていない、という意見がかなりあるというのは何となく感じていたんですけど、「暗闇坂」もこの二作と同傾向の括りに入れられてイケてない作品とされているのにはかなり驚いてしまいました。やはり自分はミステリ文壇の主流とはかなり異なった、ヘンテコな評価軸で作品を愉しんでいることが分かってしまってかなり欝。
ついでに付け加えると、とにかく作家としての行動力に衰えるところがない御大は本格ミステリー宣言以降も、二十一世紀本格や最近のポーやドイルへの回歸を提唱されているところからも分かる通り、とにかくもの凄い勢いで變化を遂げている作家ゆえ、島田荘司論を書くとあればかなりの困難を伴うことは明らか。で、この「挑発する皮膚」も、二十一世紀本格以降の御大を知っている今、目を通してみると些かの違和感を感じてしまうのも仕方がないことなのかもしれません。
とはいえ、1993年當事の御大の活躍を分析した論考としては非常に貴重で、その當事、御大の作品はミステリ文壇ではどのように受け容れられていたのかを示す貴重な資料として讀み解いていくというのもアリでしょう。
あとこれは法月氏の藝風ゆえツッコミを入れるのも何なんですけど、自らの主張を補強するのに、いちいち柄谷氏の文章が引用されるのが自分的にはちょっとアレ(爆)。例えば野崎氏の「北米探偵小説論」の中でクイーン批判を行っている個所に對して、それを「一面的な見方でしかない」とし、クイーンの形式(定式)に對する問題を提起する個所でも、柄谷の「隱喩としての建築」からの一文を引用してみせます。
個人的にはここで柄谷氏の文章を引用せずとも、法月氏の文章だけでも十二分に説得力があると思うんですけど、やはり普通の人は、このあたりで柄谷とか難しい文章を引用してみせた方が説得力が増すんでしょうかねえ。
自分としては、このあたりに法月氏が「異なるジャンルを横断しようと試みて、やはり「諸文化問題の壁」にぶつかり、尻尾を巻いて逃げ帰った」ところのトラウマを垣間見てしまったような氣がして何ともですよ。
という譯で、内容そのものというよりは、十年以上も隔てた論考をイッキに一册に纏めてしまったというある種の強引さゆえ、妙な違和感を感じるところも散見されるとはいえ、このあたりは上にも述べた通り、卷末の初出一覧表を参照しつつ讀み進めていけばノープロブレム。
寧ろ、自分の評価や考えと、法月氏が本作で展開している論考の内容との違和感をとっかかりに、自分の中にあるミステリ観を再考してみるというのも一興でしょう。その意味では非常に刺激的な一册だと思います。