カジュアル文体、抒情の世界。
ふしぎ文学館シリーズ最新刊である本作、新井素子というセレクトがちょっと意外だと思ったのは自分だけでしょうか。褌ジャケも勇ましい宇能鴻一郎の「べろべろの、母ちゃんは…」から一轉して、ジャケ帶にある惹句も「抒情SF」。しかしキワモノから抒情SFまでの守備範囲の広さもまたこのシリーズの大きな魅力といえましょう。
ジャケ帶に曰く「大人気SF作家が自ら選んだ「色」をテーマした作品集!」ということで、収録作にはタイトルにもシッカリと色を絡めた代表作のひとつ「グリーン・レクイエム」、人食い人魚のファーストコンタクトものがトンデモないネタへと転がる展開が素敵な「ネプチューン」。
異星植物に大夢中なキワモノ旦那のお話がミステリタッチで進む「雨の降る星 遠い星」、素子流極上のお伽話「季節の話」、受験勉強に入れ込むお孃さんの裏で仕組まれた陰謀を描いた「眠い、ねむうい由紀子」、世界時計を手にした娘っ子の顛末を美しい幻想譚に纏めた「影絵の街にて」、楠木と惡魔の契約を交わした女の運命「大きなくすの木の下で」。
「グリーン・レクイエム」は、緑の髮の毛の不思議娘に惚れてしまった男とその娘との戀物語を軸に、そこへキ印博士の生体実験を絡めたお話なんですけど、緑の髮といえばやはり自分の年代だと「ダーリン」とか「だっちゃ」なんていう高橋留美子原作のアレを思い浮かべてしまうんですけど、こちらの緑髮少女は、人間も光合成が出來たらいいのに、なんてトンデモなことを考えているキ印博士の実驗結果、というところがミソ。
もっとも秀逸なのは、物語が後半に進むにつれこのキ印博士がつくりだしたかと思われていた緑髮少女の正体が明かされていく展開にありまして、緑髮娘にベタ惚れの男が彼女と駈け落ちする場面と、この少女の緑髮の眞相が明かされていくシーンとがカットバック式に描かれていく後半の構成が素晴らしい。
植物と人間を掛け合わせた合成人間で、「だっちゃ」も「ダーリン」もなしかい、なんてボヤいていたら後半になってこれがアレだったと明かされるところは吃驚で、マッドサイエンティストものかと思わせておいて實はもうひとつのネタが眞相だった、という構成に戀愛風味を添えているところが作者の風格でしょうか。
ひとつのSFネタがこれまた後半に進むにつれて違った物語へと轉じていく構成は、「ネプチューン」も同様で、冒頭、海をユラユラ漂っていた女を助け出すとこの娘っ子はどうやら言葉も話せない、記憶もない人魚であることが判明。
人魚のモノローグめいた語りもさりげなく挿入して、これまた少女チックな戀愛物語を添えつつ物語は進むのですけど、人魚という異人種と人間のファーストコンタクトが大きなテーマかと思いきや、人魚の正体が中盤に明かされてこれがマッタク違うネタだったということでまたまた吃驚、という構成に「グリーン・レクイエム」との共通性を感じさせます。
人肉喰の人魚がいきなり男の腕をガブリ、なんていうシーンもあるものの、あくまで物語の風格は優しく可愛く、というのが素子流。グリーン・レクイエムの哀しみを湛えた幕引きよりもこちらの方が好みながら、駈け落ちシーンで男と女の戀が「萌え」あがる「グリーン・レクイエム」の後半の展開の素晴らしさも捨てがたい。
「雨の降る星 遠い夢」は、異星の植物に入れ込んでいる旦那と妻との夫婦仲の仲裁を請け負った何でも屋の主人公が、次第にその植物の正体を知ることになって、……という展開がミステリタッチで進みます。
ミステリの視點から讀むとすれば、後半、操りをネタにしたささやかな転換が盛られてはいるものの、やはりここは娘っ子の輕妙な語りに託して進められるSF譚として愉しむべきでしょう。「グリーン・レクイエム」や「ネプチューン」のような大きな仕掛けこそ見られませんけど、これはこれでなかなか愉しめました。
「眠い、ねむうい由紀子」は、受験勉強に夢中になっている女の子の成績が突然急上昇、果たして、……という話。掌編ながら、自由意志など重きに傾きがちなテーマをさりげなく添えているところが洒落ています。
「影絵の街にて」は、後半に収録された掌編の中ではもっとも印象に残った作品で、繪になる抒情的な風景も含めて偏愛したくなる作品です。ヤングの服をきた奇妙な老人から腕時計を押しつけられた娘が主人公で、實は老人ヤングからもらったブツというのが世界の時間を統べる時計だった、という話。
同じブツをネタにしても、高井信氏だったらバカ奇想ものに轉ぶところが、娘っ子の無邪氣さと心の虚ろをシッカリと描いて最後の繪畫的なラストへと流れる構成が美しい。この作品は漫畫にもなったとのことですけど、ラストシーンの美しさも含めて何となく佐々木淳子の繪を思い浮かべてしまいました、……ってこのあたりでヤングとの年の差を感じてしまう譯ですが(爆)。
「大きなくすの木の下で」も、邪心ありまくりの楠木に魅入られてしまった少女を描いた物語ながら、惡魔なのか何なのか、當に魔物としか呼ぶしかない大きな木の本當の正体を明かさないまま、一人の女の運命をさらりと描いてしまったところが秀逸です。
その語りゆえに輕さが大きく全面に押し出された風格ながら、「グリーン・レクイエム」や「ネプチューン」など實は非常に凝った構成で、このあたりが作者の持ち味かなという氣もするですけど、「絶句」くらいまでは夢中になって作者の作品を追いかけていた自分も、それ以後の長い長い毒書体驗の結果として、作者の描き出す抒情世界を素直に受け止めることが出來ず、やや斜めに構えながら讀み進めてしまったことにちょっと鬱、でしょうか。
ヘンテコな作品やイヤっぽい話でキワモノマニアのマストアイテムとなってしまったふしぎ文学館ですけども、この一册はこのシリーズの中ではかなりの異色作といえるかもしれません。しかし本作をきっかけに多くの方がふしぎ文学館を手にとることとなり、やがては「べろべろの、母ちゃんは……」にワクワクしてしまうようなマニアへと轉じるきっかけとなれば、……なんて邪悪なキワモノマニアはグフグフと忍び笑いを洩らしてしまうのでありました。