本作はハヤカワから出ている梶尾真治の傑作短篇集のひとつで、今日取り上げるのはロマンチック篇のほう。ノスタルジー篇「もう一人のチャーリイ・ゴードン」も素敵な作品なのですけど、最近「サマー/タイム/トラベラー (1) 」を取り上げたことだし、同じ系譜ということで、まずは本作の方を先にいってみましょうか。
収録されている七作はいずれも女性の名をそのタイトルに織り込んだもので、時間、愛、といったテーマを梶尾氏獨特の風格でもって見事な物語に昇華させた作品集です。
梶尾氏の處女作でもある「美亜へ贈る真珠」は航時機という装置の発想が光る名作。その装置の中と外では時間の流れが異なる航時機に乘り込んだ男性と、その外にいて彼を見守るしかない戀人を、装置の管理人である私の視点から描いたものですが、後半に至って、この物語ははじめから老人である私の回想であることがあきらかにされます。そして甦る記憶とともに知らされることになる私と美亜との關係。處女作ということもあってかまだ堅いところもありますけど、佳作でしょう。
「詩帆が去る夏」も梶尾真治の作品と思って讀めば、叙情ロマンスの一作と見ることも出來るのでしょうけど、冷静に讀み返すとこれ、ある理論に取り憑かれた男の狂的な物語といいうことも出來ますよねえ。
これもまた「美亜」と同樣、老人である語り手の悲哀を感じられる一作。外から吹き込んできた肌寒い風に夏の終わりを感じる私が同時に、「娘」が本當に自分から離れて行ってしまうことを知らされるラストがいい。
「梨湖という虚像」は、南米のマジックレアリズムが好きなひとだったら眞っ先にカサーレスの「モレルの発明」を思い浮かべるのではないでしょうか。最後のラストが少しばかり予定調和的とはいえ、これまた「美亜」と同樣、見守る人としての宿命を受け入れる主人公の哀切が光る佳作。
「玲子の箱宇宙」は何処か昔のSFを思わせる短篇。ただこれ、筒井康隆や半村良、小松左京あたりが書いていたら、このユニバース・ボックスにはまってしまう玲子の役は男性だったでしょうねえ。主婦である玲子が家事も忘れてこの箱にのめり込んでいくあたりが現代的というか。
「”ヒト”はかつて尼那を……」は宇宙人が侵略したあと、唯残された人間と、侵略した宇宙人の少年との交流を描いた作品。これも些か御約束の展開なのだけど、ノスタルジーを釀し出すアイテムにドロップを使ったりするあたりの藝の細かさも光ります。ありきたりの物語に大きな捻りもなく、それでも一流の物語に仕上げてしまう作者の手腕は流石。
さて、最後の二作こそが本作の中では一番のお氣に入り。
「時尼に関する覚え書」は、作者じしん以前取り上げたエッセイ「タイムトラベル・ロマンス」の中で触れています。
ここでも「遡時人」という発想が秀逸で、未來で生まれ、自分たち普通の人間から見た場合、時間を逆に生きている女性と、私の出會いを描いた物語です。
私が幼少時に出会ったときには老婆の姿をしていた女性が、私の成長につれて、徐々に若返っていくという不可思議を私は成長するにつれて受け入れていきます。そしてこの過去と未来を繋ぐアイテムが指輪と日記なのですが、この仕掛けがまたいい。このあたりの設定の巧みさは是非本作を讀んで確かめて頂きたいと思います。
過去と未来という時間によって隔てられた二人が出会った一瞬(しかしそこには大きな時の流れがある)、そして二度と交じり合うことのない運命。この設定から生じる哀愁とラスト。當に梶尾氏の小説のエッセンスを堪能出來る傑作でしょう。
最後の「江里の”時”の時」も「時尼」と同じ、交じり合うのことのない男女を描いた作品なのですが、こちらはタイムパラドックスを仕掛けに用いた物語。
語り手である私はいわば傍觀者で、あることを高校時代の友人から頼まれます。物語の本題はこの友人がそれまでのいきさつを語り始めるところから。
タイムマシンに乗って過去に戻った友人は、その昔の時代で、或る石を動かしてしまうのですが、それによって生じた時間の改変がある変化を及ぼして、……と書けばありきたりのお話ですけども、ここにワームホールと時間の膜という仕掛けを取り入れ、次元を隔てたまま決して出会うことのない男女という設定をつくりあげたところが見事。
殆どの小説が一人稱の語りであるという點も、本短編集の特徴でしょうか。この語り手たちもある時は物語の中心人物であったり(「時尼」)、またある時は傍觀者であったりします。「美亜」、「梨湖」、そして「江里」は後者になりますが、「美亜」では傍觀者であった語り手が最後に時を隔てた物語に關わっている人物であったことが明らかにされるという、ある意味、驚愕の眞相のような結末がさらに哀切を高めるという構成が光っています。
捨て作なしのベスト版。梶尾真治の作品を未讀の人にもお薦めできる傑作選でしょう。