著者のあとがきによると、「大いなる幻影」で乱歩賞を受賞してから三作目の書きおろし長編とのことですが、本作は「大いなる幻影」のような混沌とした不安感を少し抑えて、映畫的な物語展開を前面に押し出した佳作です。
物語は新聞、週刊誌などの記事の抜粋から始まります。ある洋畫家が自宅で焼死し、その家で當事遊んでいた三人の幼稚園児が「黒い蝙蝠のような人影が、口から赤い火を吹いて階段をのぼっ」ていったのを見たと証言しているところから警察では放火の疑いもあり調査中との記事があり、洋畫家の枕元で愛犬が焼死していたこと、さらには洋畫家の妻やその母親などの關係などが、それら記事の抜粋のなかにさりげなく盛り込まれているあたりは見事。
續く第一章からは消防士、放火魔、そして刑事の視点から、物語が語られていきます。プロローグで語られた洋畫家焼死事件より二十六年後の現在、再び放火事件が発生するのですが、焼死した家で飼われていたライオンの體のなかから消防士の免許證が見つかったことから、放火の犯人としてこの消防士が疑われます。
しかし放火魔の節での記述から、この放火事件の犯人はあきらかに二十六年前に焼死した洋畫家の息子だと思われるのですが、普通のミステリ讀みだったら、複数の人稱を使い分けている本作がそんな單純な話だと思う筈もありませんよねえ。
やがて物語が進むにつれ消防士、放火魔、刑事の三人の過去があきらかにされていき、この三人に共通の關係者として登場している看護婦の存在が事件に大きく關わっているらしいことが暗示されます。
物語はなかほどで、洋畫家の息子が誘拐事件に卷き込まれることで映畫のような急展開を迎えます。
彼が死に、放火事件は終息したかに思えたのだが、……というところで、事件の全容と黒幕の存在が明かされ、最後のエピローグで再び新聞記事や雑誌の抜粋が掲げられて物語は終わります。
果たして事件は本當にあったのか、真実は何なのか、と考えてしまうあたりがアンチ・ミステリ的でもあるのですけど、実は作者の戸川女史もそんなに難しく考えて本作を書いていないと思います。
中盤から後半に至る映畫的な展開と、最後の畳みかけるようなドンデン返しに深讀みすることなく驚いてみる、というのが本作の正しい讀み方でありましょう。謎解き、とか伏線とかに拘泥して讀むとちょっと不滿でしょうかねえ。
「大いなる幻影」のような混沌とした雰圍氣は少ないのですが、日本的でない、それでいて妙に昭和のあの時代を濃厚に感じさせる雰圍氣は、作者の風格。正統なミステリとしてはちょっと薄いかんじなのですが、作者の風格を堪能するには拔群の讀みやすさも含めて、作者の入門書としてもおすすめしたい一册であります。