ここ最近は立て續けに新作ばかりを取り上げてきたので、偶にはレアものの傑作を。
作者の本では、今でも手に入れることが出來る唯一の作品集である「鉄輪の舞」を以前レビューしたことがありますが、本作は作者の最高傑作にしてパラレルワールドSF、純愛小説、そしてビルドゥングス・ロマンの傑作であります。
何しろ墓碑銘に本作のタイトルを記したというくらいですから、作者にとってもこの作品は愛着のある一册であったに違いありません。
地球のまわりに無數の地球が出現した、……というSF的な物語世界を設定した本作の主人公は、厭世的な學生流水五道。彼は或る女性と運命的な出會いをするのですが、その女性、淀貴美子は不治の病に犯されていた。五道は彼女とともに死を決意し、實家の鍾乳洞のなかにある洞窟に二人で身を投げて心中を図ります。……
目が覚めると、自分の前には大猿がいて、この猿は自分のことを孫悟空と名乘った。貴美子は死に、自分だけ生き殘ったことを悔いながらも、五道は三年のあいだ、孫悟空から樣々な薫陶を受け、體に埋め込んだ瓢箪型のテレポート装置で白象のアゴンとともに、空に浮かぶもうひとつの地球へと旅立つのだった。……
不治の病を負った薄幸の美女と厭世的な大学生の純愛という、いかにも大時代的な物語の紫の章「πの哲学」と藍の章「Down, Down, Down」では、主人公五道の人生哲学が語られます。
「自殺とは神が人間に与えてくれた特権だ」、「死が罪惡だ、とするのは一つの道徳観念であって、本能的なものじゃない」と考える五道がもう一つの地球を旅することによって、かつて自分が抱いていた厭世的な哲学を否定し、最後には自らの生を高らかに謳歌するに至るまでを描いた本作は、その意味では上質な教養小説としての側面を持っている譯です。
厭世と純愛の章とでもいうべきこの二つの章では、彼の人生哲学とともに、風變わりな父の思い出、そして五道という自分の名前の由來が語られるのですが、これが実はこの物語のちょっとした伏線になっています。このあたりに周到に伏線を張っておかないと気が済まないミステリ作家の性でしょうかねえ。
五道は貴美子と出会うことによって、次第に自らの命を愛する人に捧げるのはおかしなことではないという考えに至り、心中を決意します。
ブレイクの詩「病める薔薇」「無心の前兆」を引用して貴美子への純愛を高らかに歌う主人公、そして睡眠藥を服用し朦朧とした意識の彼女にくちづけをし、洞窟の奥にある縱穴へ飛び込んでいくシーンは本作のひとつのクライマックスといえるでしょう。
續く青の章「ヤコブの梯子」で、彼の師となる孫悟空が登場します。この大猿は空に浮かぶ多くの地球を旅してきたといい、五道と人生について多くを語り合います。で、この孫悟空が飄々としていて、いいんですよねえ。
そして彼はこの師から多くの教えを受けたのち、もう一つの地球へと旅立ちます。以下、緑の章、黄の章、橙の章、赤の章は、空に浮かぶもう一つの地球というパラレルワールドでの物語です。この世界で五道は姿を変えた貴美子と「再會」します。
それぞれの地球は獨特のグロテスクな價値觀の上に成り立っていて、この設定が秀逸。或る地球では自殺が奨励されていたり、或いは科学の力によって徹底した人口操作を行い「幸福な」奴隸制度を維持していたりします。
このあたりはいかにもSF的なのですが、これらの奇矯な設定の背後にある愛とエロス、そしてそこから生まれる生の肯定が本作のテーマ。
瓢箪型のテレポートマシンの副作用、そして數々の地球で出会った女性の名前などが大きな伏線になっていて、エピローグをはさんだ最終章「日輪の大団円」で、驚くような仕掛けが明らかにされます。
この感動的な終幕。當に日本SF史上に殘る傑作だと自分は思っているのですけど、どうにもマイナーな為、本作の世間での認知度は低いようで殘念です。おまけにまたもや絶版ですか!
自分が持っているのは初版で、奧付は昭和五十八年一月二十五日となっていますから、これを讀んだのは恐らく中學生か、或いは高校一年あたりだったと思います。「妖星伝」とともに自分の人生觀に大きな影響を与えた一册でもあるんですけどねえ。
また本作を純愛小説として見た場合も「草の花」と雙璧をなす傑作だと思う、というのは流石に言い過ぎでしょうか。かたやエログロのSF小説とくれば、純文學の「草の花」と比較するのは些か失礼ですかねえ(汗)。
とりあえずハルキ文庫あたりからの復刻を希望します、というかツマラない本をリリースする資源があったらこういう名作傑作を復刻してくださいよ出版社の皆さん、と声を大にしていいたいのでありました。舊本屋で見かけたら即買いの名作です。