さて、皆さんお待ちかね(待ってないか)人柱シリーズ第二彈。今回は島田御大推薦でソロリリースされた羽純未雪という作者の處女作であります。
内容にふれる前にまずジャケなんですけど、ゴシック書體でデカデカと書かれた「島田荘司氏推薦!!」の煽り文句もさること乍ら、作者そっちのけで御大の寫眞がデデーン!と掲げられているところが凄いです、というかちょっと怖いですよこの島田御大のポートレート。それとこの御大が着てらっしゃる縞々のジャケット、前にも雜誌か何かの記事で見かけたような氣がするんですけど、御大これが一張羅ってことは、……ないですよね。まさか。
さてジャケをめくってあらすじを見てみると、こんなかんじです。
有塔家の跡継ぎが結婚した夜に初めて使うことが許される小さな隠れ家。
そこで結婚式の夜に起こる慘劇。十六年前にも同じ離れで花婿と花嫁が結婚式の翌日に殺される事件が起き、犯人は捕まらないまま時効を迎えていた。
事件の謎が解かれるとともに封印された16年前の事件の記憶が甦り、碧い碧い水の底から哀しい現実が浮かび上がる!!
古風な因習を抱えた旧家という設定から横溝リスペクトな作品かと思いきやさにあらず。先にジャケ裏の作者の紹介を引用しておきますと、
羽純 未雪(うずみ みゆき)
埼玉県生まれ、牡羊座、A型
尊敬する作家は、島田荘司、横溝正史、京極夏彦、レイ・ブラッドベリ。
作品『御手洗潔パロサイ事件2 パロサイ・ホテル』「幻想の搭の天使」(香乃瀬たくみ)
先に作者紹介をとりあげたのは、ここに挙げられている尊敬する作家、というところに注目してもらいたかったからでして。
普通、新人の作風というのは、自分が尊敬する作家の風格を模倣してしまうものですけど、この作者の場合、これらの作者の作風とは大きく異なり、既に独自のものを確立しているのですよ。
因習を引きずる旧家という正史的な舞台装置をしつらえつつも、それにひきずられることなく、登場人物たちの輕妙さも相まって、かつての探偵小説的なおどろおどろしさは皆無です。
ジャケ帶には「深い謎と、愛憎に彩られた碧い慘劇!! 女流の新星が見せる流麗な筆致」ということで、どうにも女性が書いた耽美的なミステリ、みたいな雰圍氣で南雲堂は賣り出したいようですけど、小説の構成そのものと文体に仕掛けた騙しで、物語そのものを最後にひっくり返して惡魔的な結末に落とし込むというこの技は、ある意味、麻耶雄嵩を髣髴とさせるのですけど。
プロローグからどうにもぬるい描写が續き、この調子でずっといかれたら堪らないなあ、などと考えていたのですよ。
このプロローグで描かれている或る男と女の出會いのシーンが終わると、沙季子という女性の一人稱に變わります。第一章から本編に入ってからも「私」の語りは續くのですが、空行を隔てて時折、プロローグに現れた男女のシーンが挿入されます。自分はどうもこの構成が中盤まで理解出來なくて、ここで描かれている女性も同じように「私」という一人稱で語っているものですから、この女が沙季子だと誤解していたのですよ。
で、結婚式が近いっていうのに、この女は何で男と浮気してるんだ、なんて誤讀していたんですけど、この挿入シーンは、十六年前の出來事であることが中盤で明かされます。この事実が判明した時には、アレ系の仕掛けかと驚いてしまいましたけど、……これは自分の誤讀でして、ちゃんと讀んでいませんでした。スミマセン。
さて事件の方は、沙季子と瑛の新婚初夜、譯ありの離れで起こります。凶器はボウガンで、新郎の瑛と友人の女性が母屋から湖の上にたつ離れへと續く廊下に折り重なるようにして殺されていた。不可解なことに母屋から廊下へと至る扉は母屋の側から施錠されており、密室となっていた、……というものなのですが、見事なのは、これだけの設定で、凶器、密室、犯行方法の可能性をいくつも提示しながらその可能性をひとつひとつ檢証していくところ。
このあたりの話の展開が新人とは思えない巧みさで、ミステリ作家としての筋の良さが感じられます。また十六年前の慘劇とまったく同じ犯行状況を示しながら、今回の事件と過去の事件との相違を檢証していくところも、ミステリとしての太刀筋の素晴らしさが光ります。
で、プロローグから挿入されている男女のぬるい描写なんですけど、これが本當に蟲酸が走るような凄まじさでして。
男は自分の母親が愛讀していたハイネの詩集を取り出して女に見せ、「ほらイタリアの香りがしませんか」なんていったりするかと思えば女も女で、「あ、あの……月が綺麗だったので外を見ていたらあなたが見えたので」なんてノロけたりする。更に男は女のことを僕の人魚姫なんて呼んでいるんですよ。もう、このシーンが出て來るたびにやめてくれッて叫び出したくなったんですけど、これが実は作者の惡魔的な仕掛けの伏線だと氣がつくのは最後の最後。
本作の最大の仕掛けは寧ろ、このぬるすぎる男女の描写にあったといっても過言ではありません。まあ、ムズムズするのを堪えてどうか最後まで讀んでみてくださいよ、ええ。
確かに、この意圖的に描きあげたぬるいシーン以外にも、ちっぱー御手洗君的な獨特の言語感覚が時折鼻につくことも事実なんですけど(ほわり、ちゃぽん、ひやりとしたものが触れて、びくりとする、とぷん、と桜色の時間にひたっていた、ぱふぱふ)、このへんは慣れでしょう。
師匠である島田御大の影響が唯一感じられるのは、この離れを使った仕掛けなのですが、實のところ、本作ではこのような装置には大きな比重がおかれていません。
寧ろ、可能性を檢証しつつ、精緻な論理を驅使して犯行方法と犯人を絞り込んでいこうとする展開が光っています。島田御大というより、将来は、有栖川有栖、石持浅海そして氷川透センセに續く論理派に大化けする可能性があるのではと思うのですが、如何。
というわけで、島田御大もいいけど、有栖川氏の端正な論理、そして氷川センセの論理の迷宮のごとき風格をもっと勉強すれば、後世に残る傑作をモノに出來るかもしれません、と作者にはいいたいですよ。とにかくミステリの筋は非常に良い。逸材だと思います。
実をいうと、だからこそ島田御大の名前をデカデカと掲げて賣り出すような出版社のやりかたはちょっとなあ、などと思ってしまうんですけど、まあ、実際潛在的購買層の方々に手にとっていただかなければ始まらない譯で、これはこれで正しい賣り方なのかもしれません。
本作、個人的にはかなり愉しめたので、次作も期待したいです。御大のファンよりは、麻耶雄嵩の惡魔主義に惹かれるひと、そして有栖川有栖、石持浅海のロジックに魅力を感じるひとにおすすめしたいところ。まあ、買って損はないと思います。「天に還る舟」よりも自分はこっちのほうが斷然愉しめました。