これは素晴らしい。ただ構成は前作「氷菓」に比較して、よりシンプルになっています。しかしここで提示される大きな謎は「氷菓」より凝っていて、謎解き、ひとつの解答、そしてそれを否定する理由、さらに眞相、……というミステリではお馴染みの構成が非常にうまく決まっています。
思うに「さよなら妖精」や「氷菓」で見せた、小さな日常の謎をいくつか提示し、その後で本流の大きな謎解きを進めていくという手法は、登場人物たちの御披露目の為のものなのではないかな、と推測するのですか如何。小さな謎を見つけ、そしてそれを解いていくという推理の過程を描いてみせることで、探偵役である登場人物の個性とその才能を讀者に印象づけようとしているのではないかな、と思うのですよ。
さて、すでに「氷菓」で明らかとなった奉太郎の推理の才能、……といっても本人は未だに半信半疑のようすなのですが、またまた千反田えるが持ち込んできた謎解きを請け負うことになります。
文化祭の出し物として或るクラスが製作した自主映画。その映画は、廢屋の密室で、登場人物のひとりが腕を切り落とされて死んでいるシーンで終わっているのですが、脚本家が病気の為、最後の推理のシーンを投げ出したまま終わってしまっているその映畫の續きを知りたい、という言葉に奉太郎が、映畫のシーンのひとつひとつ、そして脚本などの情報を総動員して導き出した眞犯人と犯行方法は、……というものなのですが、とにかく謎の提示と、手掛かりを出していく過程が見事に纏まっていて、まったく飽きさせることなく一氣に讀ませます。
奉太郎は皆を集めて自分が思いついた推理を披露するのですが、これには吃驚、……と思っていたら伊原に推理の拔けを指摘され、さらには彼の推理を否定してしまう決定的な理由を里志が示します。この、奉太郎の推理が崩れていくところでミステリ好きだったらニンマリしない筈はありません。うーん、特に里志の指摘したこの理由は面白いです。
再びこの謎に挑む奉太郎、そして映畫撮影の途絶の理由と眞實とは何なのか。「氷菓」のような哀切はないのですが、ひとつの謎で物語をぐいぐいと引っ張っていく構成、そして一度推理が否定され、本當の眞相が明らかになっていく過程といい、ミステリとして讀んだ場合、「氷菓」よりもこちらのほうが際だっているといえるでしょう。
こうして「氷菓」と本作を讀み終え、再び「クドリャフカの順番」を再讀したのですが、今度は素晴らしく愉しめました。
千反田、奉太郎、里志、そして摩耶花。主要な登場人物の性格はすべて分かっていますから、文化祭のイベントでの彼の立ち居振る舞いが妙に笑えて痛快なこと痛快なこと。
という譯で、文化祭の描写が長すぎるなどと前回のレビューで書いてしまった自分だけども、前二作を讀み終えた今となって評價は逆転、「クドリャフカ」は寧ろこのシーンを愉しむべき小説なのでしょう。で、前二作を讀んで古典部の彼らになじんでいる讀者にとっては、これが最高に愉しめるのですよ。
という譯で「クドリャフカ」を讀む方、絶對に「氷菓」と本作を讀んでからにしてください。そうしないと、「クドリャフカ」の魅力を堪能することは出來ません。