やぶれさる探偵、魔の書簡。
林斯諺氏の傑作短篇といえば、個人的にはまず「羽球場的亡靈」を挙げたくなってしまうのですけど、本作も手練手管の技巧が光る傑作です。
本作が若平シリーズと異なるのは、探偵の造詣は勿論のこと、書簡體小説の構成を採用したことにありまして、それも現代風にメールの體裁をそのままに横書きで、更にはそれぞれの本文の冒頭にはメールソフトを模したメニューと、送信者や件名を記したヘッダを添えているという徹底ぶり。當然これらの樣式の全ては仕掛けに絡んでいる譯で、これが最後の最後で明かされる幕引きは秀逸です。
物語は大學生活にルンルンの妹が、海外にいる兄イに送ったメールから始まるのですけど、この妹のメールというのが、ミステリマニアでミステリ研に入部して友達も出來て最高だお、なんて陽氣な内容ながら、新しく出來た女友達は死体寫眞の愛好家だったり、ハンサムボーイを交えてこの女性とは何やら複雜な三角關係に陷っていたりとさりげなく次なる事件の發端へと繋りそうな出來事が記されている。
やがて戀のライバルだった死体愛好のロッテン娘が彼氏とうまくいかなくなるや、繪文字も交えて陽気だったメールの内容にも不穩な空氣が立ちこめてきます。やがて件のロッテン娘は自室で殺されてしまうのですけど、果たしてその犯人は、……という話。
物語は、妹が兄に送ったメールの内容のみで進むのですけど、コロシが發生すると、その現場の状況や交友關係を含めて妹は兄にメールで傳え、最後に兄がそのコロシの眞相を推理するという結構です。しかし實は本當の仕掛けが炸裂するのは、探偵である兄イの推理が終わったあと。
妹が送ってきたメールの内容から導き出された手掛かりによって、この兄イは見事な推理で眞相を喝破してみせるのですけど、ここで明らかにされる伏線の技巧は素晴らしいの一言です。
「羽球場的亡靈」と異なるのは、この推理がクイーン的なロジックよりも、その前段階の「氣付き」に重點をおいているところながら、現場の状況から奇妙な點をひとつひとつ指摘していき、それらが矛盾なく繋がる一つの眞相を喝破する推理の流れは當に恍惚。
ここでは樣々な物證が犯人指摘の伏線であることが次々と明かされていくのですけど、個人的にはマフラーのネタが秀逸で、これがこの探偵の推理の後に續く犯人の高笑いへと繋がる伏線となっているところが素晴らしい。
探偵である兄の推理によって犯人が明らかにされたあとに、本作の本當の仕掛けが開陳される譯ですけど、ここで初めて「探偵」は「探偵の視點」でしか事件を見ていなかったが故に、本當の「眞相」へと辿り着くことが出來なかったという事實が明かされます。
また本作の構成で興味深いのは、探偵は讀者と同様、妹がメールに書いて送ってきたその内容のみを手掛かりとして推理を進めていく點で、探偵と讀者との間にハンディはまったくナシ、當にフェアプレイによる謎解きを堪能出來る筈が、實は作中の探偵は探偵であるが故に完全なる眞相を見拔くことが出來ず、最後は眞犯人の高笑いによって完敗するという結構が素晴らしい。
本作で使われている仕掛けは連城氏の某中篇でも見ることが出來る譯ですけども、書簡體小説という體裁をフル活用して、嘘と真実が万華鏡のような反轉の構図を繰り返す連城ミステリに比較すると、本作で使われているこの仕掛けは「探偵」を翻弄する仕組みとして機能しているように感じました。
探偵が推理の過程で明らかにしていく伏線は、あくまで妹がメールの中に述べていた事件の概況の範囲に留まる一方、本作の仕掛けはこの數通のメール書簡のすべてに凝らされていたことが最後に犯人の告白によって明らかにされます。そしてこの「氣付き」に到ることが出來なかった探偵は結果的に敗北するという結構も、本作が論理よりも「氣付き」に比重を置いた作風であることを如實に示しているようにも思えるのですが如何でしょう。
やや奇拔にも思えるメールソフトのヘッダ部分のフォーマットをそのまま添えた構成にも、探偵の推理によってシッカリとその必然性が明かされるなどの小技も効かせて、伏線開示の大盤振る舞いが炸裂する推理の部分は相當に讀ませます。
正直、ここで明らかにされる眞相だけでも十分に魅力的なのに、ある意味メタ的ともいえる仕掛けで惡魔主義的な趣向を見せるところも含めて、林氏の巧み者ぶりを見せつける傑作といえるでしょう。
クイーン派の趣向で魅せてくれる「羽球場的亡靈」などの若平シリーズとは雰圍氣を異にする技巧の冴えが素晴らしい作品で、個人的にはこういう作品も讀んでみたいのですけど、多作家の林氏のこと、もしかしたらこういう系統の作品も既に「推理雜誌」へたくさん發表されているのかもしれません。
しかし、いかんせん日本にいると「推理雜誌」を讀むことが出來ないというのが何とも辛く、早く作者の傑作短篇を一册に纏めた本がリリースされないものかと待っているのですけど、駄目ですかねえ。