以下、「びっくり館の殺人」と楳図センセの「洗礼」のネタバレがあります。御注意下さい。
綾辻センセの最新作「びっくり館の殺人」なんですけど、讀了してから他の方々のブログをチラチラと覗いてみたものの、……どうにも本作、思いのほか評判が惡いようなんですよ。綾辻フリークの方々も今ひとつどころか凡作だの駄作だの綾辻は終わっただの館シリーズとは認めないだの、とにかくまあ、散々な言われような譯です。
何だかあの腹話術爺の強烈キャラをグフグフいいながら愉しめたのは自分だけというこのアンマリな状況は綾辻センセに申し譯ない。ここはひとつ、センセの為にも、本作の愉しみどころ、というか、自分はこの作品をこんなふうに讀みましたよ、というところをアピールしないといけないッ、という使命感をヒシヒシと感じてしまったのであります。
まあ、確かに自分は本格ミステリーフリークじゃない、一介のキワモノマニアに過ぎない譯で、そんな自分しか面白くなかったということは、要するに本作は正統な館ものというよりは、單なるキワモノミステリに過ぎないのではないか。まあ、確かにそうなのかもしれません。しかしキワモノならキワモノなりに愉しみ方というのもある譯で、本来であればこういうのを綾辻センセのファンの方々にやってもらいたいんですけど、どうにも本作、綾辻ファンにも頗る評判が惡い、というか惡いように見えるというところが最大の問題ですから困ったものです。
本作、洞爺丸事件や氷沼家ならぬ日沼家まで登場するところから「虚無への供物」リスペクトなところは明らかな譯ですが、このあたりは普通のミステリファンのどなたかが書いてくださるでしょう。で、自分としては、本作の中に感じられる楳図センセリスペクトの濃厚なエッセンスについて、ちょっとした解説をくわえておきたいと思う譯です。
一昨日のレビューでも書いたんですけど、まず本作を讀んでピン、ときたのが楳図センセの大傑作「洗礼」でありまして、それというのも、本作の少年とキ印の腹話術爺の關係は、「洗礼」におけるさくらと母親の關係に通じるのではないか、と。「人形館」でも明らかな通り、綾辻センセにとってこの「洗礼」という作品は「虚無への供物」と同樣、いうなれば聖典みたいなものですから、これまた「人形館」の最後に使用されたアレと同樣、本作でも綾辻センセは無意識か或いは意識的にか、「洗礼」におけるさくらと母親の關係という、あの物語の根幹をなす部分を本作にもそのまま反映させてしまったのではないかと思うのですが如何でしょう。
「洗礼」の最後、さくらに強烈アプローチされてしまった担任先生の最後の台詞はこんなかんじ。
いびつな者は自分でそれを感じることはできない
そしてそれを感じたものがいびつにされる狂った世界の中にただ一人狂わない者がいたとしたら
はたしてどちらが狂っていると思うだろう?
「洗礼」の中ではキ印の母親がどんどんさくらを追いつめていった末に、あんなことになってしまった譯ですが、本作の腹話術爺と少年の関係もこれと同じではないかと。乃ち最初はキ印の世界へとダイブしてしまった腹話術爺が、少年を使ってへたくそな腹話術ショーをすることを思いつく。少年の方は勿論キ印の相手なんて眞っ平ゴメンなんですけど、何しろキ印とはいえ実のおじいちゃんですから逆らう譯にはいかない。そうしてリリカの恰好をさせられ、爺のキ印ショーを演じているうちに今度は自分の方がおかしくなっていく。
まさにここでいう「それを感じた者がいびつにされ」てしまった結果な譯です。しかしさくらが最後の最後、自分とキ印母さんの狂氣の世界から見たら外側の人間(先生や友達の良子)による必死の訴えかけが奏效して、妄想先生がホントに自分の妄想だったことに目覺めたのに對して、本作の少年は、語り手やそのいとこ、家庭教師といった「狂氣の世界」の外側からやってきた人間たちの目の前で、腹話術爺に付き合わされたといいつつ、例の「びっくり館縁起」ショーを演じさせられてしまったことによって、辛うじて腐りかけた脳髄の中に残されていた正氣が呼び覺まされ、それが件の犯行の引き金になったのではないか、……自分はあの事件の真相をこんなふうに讀み解いてみた譯ですよ。
もっとも本作の眞相が「洗礼」パターンの單なる踏襲ではないことは明らかで、その後、少年の中の狂氣は殺された姉の亡靈というか怨靈のようなかたちを伴って、少年と腹話術爺の二人を追いつめていったのだ、……という「眞相」が明かされ、作品の風格は幻想小説へと傾斜していきます。このあたりが綾辻センセらしいなあ、と感じたのでありました。
そのほかにも精神病院に入院していた母親が事件の前に病院を脱走、というあたりも楳図センセのへびおばさんっぽいし、……という譯で、自分は「最後の記憶」と同樣、楳図センセの多大なる影響を作品の中に探りつつ、グフグフ愉しませてもらった、という譯です。
しかし皆が皆、過去の館シリーズと單純に比較して「だめだこりゃ」と捨ててしまっている。確かにこのびっくり館、全然雰囲気もありません。犯行現場となった部屋の仕掛けも投げやりだし、何より館そのものが持っている「人格」がまったく感じられないところは致命的。確かにそうなんですけど、本作は人形館と同樣、サイコミステリとして見れば、人形館以上に強烈な腹話術爺のキャラとか、精神に異常を来した母親とか、それらしい雰囲気をうまくつくっているのではないかなあ、と思うんですけと、やはりダメですかねえ。
確かに本作には反省するべき点もあったとは思います。ミステリーランドの一册とはいえ、館ものを名乘る以上、館の雰囲気はもっと描き込むべきだったし、ジャケ帯も含めた煽り文句では本作の風格をもっと明確に伝えるべきでした。ここでサイコミステリだと謳っていれば、本作を手に取った讀者の方々もそれほど失望してしまうようなことはなかったと思うんですよねえ。それでもやはりダメですか。
まあ、本作でファンに見放されても、自分は綾辻センセを決して見捨てませんよ。處女作の十角館からずっとリアルタイムで讀んできたというのも勿論ありますけど、やはりアルジェントが好きで、プログレが好きで、楳図センセが好きで、……ってここまで自分と嗜好を同じくする作家というのもそうそういませんから(爆)。という譯でやはり綾辻センセには次作を期待してしまうのでありました。