玄人志向のグラサン男がお届けする、ギャグ滑りまくりの昭和アジャパー推理小説。
書棚の整理をしてたら出てきましたよ。スッカリ内容も忘れていたんで思わず再讀してしまったんですけど、……まあ、かなりアレな内容もさることながら、ジャケ裏の煽り文句、そしてあとがき、更には著者近影のスバラらしさと、昭和テイストがムンムンにあふれ出している作品世界と、事件の真相の脱力ぶりに讀者の思考も彈け飛ぶ珍作です。
物語は元警視廳捜査一課の警部が「昭和が終わって、もう十年になるのか……道理でオレの第二の人生も、あと一年しかないわけだ……」とかつての自分を回想するシーンから始まります。現在彼は大学などで殺人捜査講座の講師をしているのですが、その講義の場で彼は白髮の頭をガバッと振り立てると教壇に屹立するや、「不確定性原理殺人事件」の全貌について語り始めるのであった、……。
で、この事件が發生したのは、高度経済成長下の昭和四十年代後半で、事件はとある私鐵駅前の喫茶店から始まります。この喫茶店、「ポー」という店名からも明らかな通り、マスターは無類の探偵小説マニア。で、日々この店に集う客たちと「やはりミステリといえば密室が……」「いやいや、やっぱりアリバイものが……」なんて始めっから答えなど見つかりはしない陳腐な議論を延々と繰り返している譯です。
探偵役となるのは常連客のひとり、亜門こと楼取亜門君で、名前はロートレアモンにインスパイアされて、……とここで「マルドロールの歌」とともにこの詩人の蘊蓄がだらだらと語られたりするのですけど、これがどうにも上滑りしていてしっくりこない。登場人物たちがおしなべて軽いノリの連中ばかりで、「チャラチャラしたアンノン族」の娘だったり、近所に住んでいるゴロツキ男だったりする譯だから何ともですよ。
で、この三流詩人とアンノン族が「密室だ」「いやアリバイだ」とミステリ談議に耽っていたところへ、ゴロツキ男がやってきます。コーラをグイグイ飮み干すとこの男は店を出るのですが、この不確定性原理殺人事件と名付けられた驚天動地の大事件の被害者がこの男。
三流詩人とアンノン族が部屋に行くと、どうにも樣子がおかしい。で、硝子をブチ破って部屋に入ると、男が死んでいて、……という展開です。
ロートレアモンだ、ポーの大鴉だ、アリスだ、エントロピーだ、マックスウェルの惡魔だ、サイバネティクスだ、トンネル効果だ、ケーニヒスベルグの七つ橋だ、シュレディンガーの猫だなんて言葉が要所要所にズラズラ頻出するものですから、さながら「失楽」フウの迷宮めいた展開が讀者を待ち受けているのかと思うとさにあらず。
何しろ探偵を務めるのは三流詩人とアンノン族のお二人、さらにはアリバイ崩しも絡めて登場してくるアパートの住人たちというのが、勘違いの畫家だったり、DV男と結婚して人生がメチャクチャになってしまった女(被害者の妻)だったりする譯で、間違っても僧正のごとき惡魔が犯人である筈もありません。
更に事件の舞台となったアパートというのもシケたもので、……といっても失楽や虚無も犯行現場は普通のアパートだった譯ですから、このあたりはおくとしても、被害者というのが競馬マニアのDV男で、部屋の眞ん中にゲロ吐いて小便垂れ流して死んでいたんじゃ幻想も浪漫もありません。
さらに三流詩人がいちいち上に挙げたような衒学を持ち出す度にアンノン女が茶々を入れるのですが、これが寒い。軽く引用してみますと、
「一瞬、『マックスウェルの悪魔』の仕業かと思ったぐらいだもの」
……
「アラアラ、亜門さん!一体何なの?そのインスタントコーヒーみたいなものは」
「『電磁方程式』で有名なイギリスのマックスウェルが唱えた魔物で、姿は見えないけれども何しろ分子をより分けることが出来るというんだよ」
「アノ、顯微鏡でも見えない、小さな小さな分子をより分けるですって?」
……
「ほんとにそんな怪物——魔物か悪魔か知らないけど居るの?」
「マックスウェル」から「マキシム」を想起したということでしょうかねえ。
「目の前の障壁を素通りすることぐらい量子力学の世界では常識もいいところで、スイスイ平気で通り拔け『トンネル効果』と呼ばれているよ」
「トンネル効果?トンネル会社なら知ってるわよ、ホラ脱税に使う——」
この鬱陶しい夫婦漫才に刑事が加わり、学芸会めいた寒い會話が繰り出されたりするのですが、こんなかんじ。
「え!アア、猫のことですよ」
「ネコ?」
「ペルシャですか、それともシャム?」
別所刑事が、巨体を乘り出しながら口を挟んだ。
「いいえ……」
……
「それじゃあ、隣に住んでいる三毛猫とか、ドラ猫ですか?」
「イヤイヤ、僕が考えているのはあの有名な、『シュレディンガーの猫』のことですよ」
「シュレディンガーの猫?」
「なんですかその猫?」
……何だか文章を打ち込んでいるだけで溜息が出て来てしまうんですけど、全編に漂う脱力感は確かに個性的。強いて挙げれば辻真先センセの、おじいさんテイスト溢れるユーモアセンスに近いような氣もするのですが、ここまで讀み手の空気を無視して滑りまくるギャグ(なんですかね?)は流石の辻センセでも至難の業。
何というか、漫畫的というのともまた違う、あまりに類型的な人物描写も光っていて、例えば被害者はサラ金から取り立てにあっていたというので、被害者の美人妻がパートで働いている職場を刑事が訪ねていくシーンでは、
「あの人凄い美人でしょ。だから杉本さん目当ての若いお客様もたくさんおいででよく分かりません」
「たとえば左の頬に切り傷のある男とか」
「そう言えばそんな男の人が八月頃からときどき。健さん風の角刈りでその筋の恐いお方のようでしたが、別にこれといってありません」
ボケまくった質問をする刑事も刑事ですけど、そこに絶妙(なんですかねえ)のツッコミで答える方もどうかと思いますよ。
さらに中盤、この不確定性原理殺人事件とは殆ど關係ないところで、被害者であるDV男の妻を主人公にしたエピソードがまるまる一章を費やして語られます。結婚にはいいけど恋愛にはちょっと華がないしフツーだしという男はやめて、ワルっぽい彼氏と結婚してしまったのが運の尽き、……というこれまた類型的な泣き話がダラダラと續くのですが、ここでも三流舞台の陳腐な台詞回しは健在で、
「チクショウ!どっか資産家の娘と結婚すりゃよかったナ」
夫が吐き出すように言った。
「アラ、愛してるって言ったのはどこのどなたなのよ!」
「フン、愛や恋だけじゃ飯が食えないってことに気づくのが遅かっただけサ」
「それはわたしの言いたい台詞だわ」
「へ、あんなズングリムックリ!」
まあ、そんな次第で、失楽や虚無を期待していると大變な目に遭います。ただこれについてはあとがきで、本作はアンチミステリーでもないし、ヴァン・ダインや小栗虫太郎のような衒学的推理小説を志向したものではない、といっておりますので、作者を責めるのは酷でしょう。
ただ本作を書くにいたったきっかけがボーアとの論争にアインシュタインが用いた『思考実驗』だった、とか、「『完全なる密室』『完全なるアリバイ』という、この世にあるはずのないミステリーの黄金郷を、まるで黄金にとりつかれたルネッサンスの錬金術師さながらになんとか創り出そうとした」とかいう大仰なものいいは如何なものか、と思う譯ですよ。
『思考実験』だアインシュタインだ、ボーアだと難しい言葉を竝べている割に、巻末に添えられた參考文献一覧で見ることの出来るそのテのネタ本が都筑卓司センセの講談社ブルーバックスだったりするから何ともですよ。
……なんてツッコミを入れまくってしまった譯ですが、実はロジックという点に關していえば結構マトモで、ミステリとしての筋は決して惡くありません。非常にトンデモない眞相なんですけど、論理的に考えれば、まあ、確かにこういう結論にはなるかなあ、と思います。
その意味ではシッカリと伏線は張られているし、手懸かりもあからさまなほど明快に讀者の前に呈示されています。ジャケ裏には「都筑道夫氏の賞贊を勝ち得た」と書いてあるのですが、恐らく都筑センセもこのロジックの部分「のみ」を認めたのでありましょう。それにしてもこのジャケ裏の「雌伏の長い時を経ていま、創造力の熱いマグマが奔流となって迸る」っていう煽り文句はやりすぎですよ。
でもそんな言葉の傍らに、素晴らしい著者近影が添えられているのを見ると、すべてを許してしまえるような氣がします。やや額の後退した前頭部に黒のグラサンだけでも十分に素敵なのに、顎に手を添えて「うーん、マンダム」のポーズでこちらを見つめる著者のナルっぽさには完全にノックアウト。さらに色合いの微妙なバラクータにパステルのカノコポロというファッションセンス。「相村センセ、すべてはネタだったんですね」と、その作家生命を賭してまで自らの作品を貶めようとする芸人魂にただただ敬服するばかりなのでありました。
キワモノというよりは珍作。普通の人は絶對に手を出してはいけません。強いて言えばキワモノミステリではなく、クズミステリ。三流俳優の脱力芸をめいっぱい堪能してみたいという奇特な方にのみ、古本屋で見かけたらとりあえず本編にはあたらず、あとがきとジャケ裏の著者近影にだけ目を通していただければと思いますよ。