秘宝館崩壞、普通小説の残骸。
最近書棚の奥を整理していたら、前に紹介した「不確定性原理殺人事件」と一緒の棚から出てきたのがこれ。あの珍作と竝んであったという點で既にヤバい雰囲気ムンムンだったんですけど、戸川センセだし、ジャケ裏のあらすじを見ても内容の方は全然思い出せないし、……ということで再讀。結果は何だか微妙、ですねえ。
物語の舞台は旧華族、すなわち上流社会のハイソな登場人物に、平民とはいえ金持ちの家のウブなお孃さまをヒロインに据え、愛憎ドロドロの恋愛劇を繰り広げるというもので、キワモノマニアが期待していたトンデモテイストは皆無。それでも昭和の雰囲気が濃厚な登場人物たちのファッションセンスやこれまた昭和エロスの風格は感じられるものの、上流社会を舞台とした風俗小説といったほうが適切でしょう。
物語は元伯爵徳之内家の金屏風を巡る骨肉の争いを中心に、モジモジヒロインの真木子、元華族のイケメン公一、さらにはヒロイン真木子が婚約させられた鬼畜男や、この鬼畜男がデレデレに溺れる年増夫人など、三つ巴四巴の愛憎關係を描きつつ進みます。
正直、中盤までの展開はかなり退屈。ヒロインの真木子は輕井沢のスキー場で一度だけキスをしたイケメン公一のことがずっと忘れられず、その思いを今になっても引きずっている譯ですが、周囲のゴリ押しもあって道路公団の技師と婚約させられてしまいます。一方ヒロインの婚約者となった技師はトンデモない鬼畜男で、モジモジの可愛い真木子がいながら年上マニアで、金持ち夫人と隠れて頻繁にエッチしている譯ですよ。
更にヒロインがずっと忘れられないイケメン男は、御嬢様でこれまたウブな摂子という女性と關係を持っています。この摂子は極度のセックス恐怖症で、イケメン男と関係を持ちつつノー本番が原則、一方のイケメンは自分の高貴な華族の血を残す為だけに女をあさっているようなところがあって、相手の女もそれにふさわしい高貴な血を持った女じゃないと妊娠させないッ、なんていう歪んだ恋愛観(っていうのか)を持っています。お互いに正反對なんですけど、それはそれでうまく關係を續けているところが不思議です。
で、中盤までの展開は、イケメン男とヒロインのモジモジ女がすれちがいつつ、なかなか再會を果たせません。イケメン男はヒロイン真木子が婚約することをチラチラと噂にきいていて落ち着かない。しかしついに二人が再會してしまうと、輕井沢でのキスシーンが脳裏に甦り、あとは周囲の思惑も振り切って二人の思いはいやが上にも高まっていく。
しかしそこは戸川センセですから、イケメン男の方は相變わらずお孃さまの戀人摂子とノー本番でプレイを愉しんでいるし、摂子は摂子で公一への氣持が高まってくる。そして鬼畜男は相變わらず年上夫人にデレデレで、真木子に対する罪悪感など微塵もない。
しかし真木子が結婚式を挙げると、夫となった鬼畜男は新婚初夜の失敗にブチ切れて、まだイケメン男のことが忘れられないんだろッと真木子に暴力を振るうDV男へと変貌、……って自分は年増夫人と散々關係を持っておきながらこの野郎、貴樣にモジモジヒロインを責める資格などありはしないッ、と思ったりするのですが、この夫のダメっぷりにヒロイン真木子はついにイケメン男との驅け落ちを決意、果たして二人の行く末は、……という話。
一度だけキスしたイケメン男のことを忘れられない純愛ヒロイン真木子の造詣もいいのですが、個人的にはノー本番を頑なに貫く摂子が好みですかねえ。こちらも真木子に負けないくらい一途にイケメン男を愛するのですが、何しろ高貴な家柄の御孃樣ですからキ印の祖母にトンデモない情操教育を受けておりまして、後半、ついに彼女はイケメン男と本番に挑むものの、その時のシーンがこんなかんじ。
摂子は今日まで、一度も男の躰を迎え入れたことがなかった。徳之内家の血の潔癖を守るために、血統の正しい元華族の男性以外に許してはいけないと、祖母の泰江から厳しく教育されていたからだった。
愛している公一の躰さえ、摂子は正常な交わりとして受け入れたことがなかった。
原夫人を見ていると、セックスのためだけに男に躰を許すのが、むしろ腹立たしくさえ思えてくるのだった。
「男はどこへ種を撒いてきてもいいけれど、女の躰は、一度賎しい男を許すと、永遠に汚れてしまうのですからね」
と、悟すように繰り返し、摂子を教育した祖母の声が耳もとに甦ってくる。
最後の結末を話してしまうと、イケメン男とモジモジヒロインは、男の英国製スポーツカーで、沼津から輕井沢までの深夜ドライブを敢行(ってあまりに無謀ですよ)、二人が出會った場所で心中をはかります。で、ことを終えたところに不吉な予感を察した摂子が駆け付けるのですが、……本当に摂子、可愛そうですよ。というか、登場人物の中で一番哀しい役回り。その一方でヒロイン真木子の旦那の鬼畜ぶりには許せないものがあります。
で、元華族の世界の愛憎劇、そして家柄の故に結ばれない二人、というあたりから何となく三島由紀夫っぽいなあ、なんて讀んでいる最中感じていたんですけど、解説で河野典生も三島の「鏡子の家」を挙げていたのであながち的はずれでもなかったんだなあと感じた次第です。
しかしその河野氏の解説がなかなか凄くて、おおよそ六頁を占める内容の半分以上はシャンソン喫茶「銀巴里」の回想で、 後半、小説家としての戸川センセに言及するところでも處女作「大いなる幻影」と他殺クラブが結成されるに至ったいきさつを語るばかり、本作の内容についてふれた部分は半頁にも滿たないというのはいかがなものか。河野氏も本作を讀みおえて、どういうふうに解説を書いたらいいものか、困ってしまったんでしょうねえ。
元華族といいつつ、三島フウの美文で魅せる譯でもなし、かといって戸川センセの作品に顯著なトンデモ秘宝館テイストは皆無、ということで、いったいどういう方々に本作を紹介したらよいものか困ってしまうのでありました。まあ、口紅を塗ったノッペラボウがポーズをとっているジャケの素晴らしさに惑わされず、普通小説で何かないの、という方にのみおすすめしておきます。自分のようなキワモノを所望のマニアは決して手を出してはいけません。