人工ロジックの恍惚。
「台湾ミステリを知る」第八回は、以前取り上げた傑作長編「尼羅河魅影之謎」の作者林斯諺の短編、「羽球場的亡靈」をお届けしたいと思います。本作は第二屆人狼城推理文學獎受賞作で、「尼羅河魅影之謎」でも探偵を務めた哲學家探偵若平が謎を解く安楽椅子探偵もの(「野葡萄」には14號に前半を、15號に後半を掲載)。
「尼羅河魅影之謎」では宿敵スフィンクスの策略によってエジプトくんだりまで驅り出されてしまった探偵若平でありますが、今回は不可解な殺人事件を安楽椅子フウに解いてみせるという趣向です。
物語は、或る雨の降る夜、友人の紹介状を持って男が若平を訪ねてくるところから始まります。男が持ってきたネタというのは、太平洋師範學校の體育館で發生した不可解な殺人事件でありまして、この件は一應犯人とおぼしき男の自殺によって解決したかに思えるものの、いろいろと調べてみるとどうにもおかしいところが多々あるという。で、男は霧影莊事件でも見事な活躍を見せた探偵若平を頼ってきたのだが、……という話。
事件は一種の密室殺人で、ある朝、體育館の中のバトミントン場の扉を開けてみると女が死んでいて、奇妙なことに死体の周囲を取り囲むようにバトミントンの羽が三角形に竝べられていたという。更に死体の右手には男の署名入りで、「今晩十時にバトミントン場で。人に見られないように」なんて言葉が書かれた紙片が握られていたという。
そうなれば當然疑われるのはその署名の人物で、事件當夜のアリバイも含めて檢証がなされるものの、事件の被害者、そして疑惑の人物も含めてバトミントン場でその犯行を為し遂げるのはどう考えて不可能。そこに體育館の鍵の行方を巡って犯行時間とその方法の檢討がなされるのですが、その夜に体育館の戸締まりをしたという人物も含めて、誰もがこの犯行を為し得ないという状況に陥ってしまう。
それでも被害者が握りしめていたという紙片が決定的な証拠となって、無理といっても五分もあれば人一人殺してバトミントンの羽で奇妙な擬装を施すくらいどうにかなるだろう(だから無理だって)、なんてかんじで捜査の雰囲気が進んでいくところへ、疑われていた當人が遺書を殘した自殺体となって見つります。
その遺書には、彼女を殺したのは自分で、彼女はバトミントンが大好きだったし、彼女は俺のことを一番好きな男性だといってくれてた、大好きなバトミントンの羽に囲まれて大好きな男に殺されたんだ、彼女はきっと幸福だろうグフグフ、なんて電波出しまくりの文章が書き連ねていたものの、これが手書きの文字ではなく、印字されたものだったというのは御約束、更には學校の雑木林で見つかったという男の死体の手首には縛られた痕もあったことから、若平は彼の死は自殺ではなく殺されたものだと推理する。果たして眞犯人は誰なのか、……。
「尼羅河魅影之謎」でもスフィンクスから投げかけられた手掛かりを元に、クイーンばりの精緻なロジックで二転三転するどんでん返しを見せてくれた作者の冴えはこの作品でも健在で、体育館の鍵の行方を辿りつつ、この不可能犯罪の眞相に光を当てていく後半の展開が面白い。
長編の長所を生かして、細切れに提示される手掛かりから推理によって導き出される實相が次々とその姿を変えていく趣向が冴えていた「尼羅河魅影之謎」に比較すると、些か地味に見えてしまうものの、第二の殺人から自殺、共犯、他殺という可能性を推理していくところや、後半のほとんどを費やして展開される可能性の檢証など、クイーン系のロジックで魅了する風格を存分に堪能出來る作品です。
この眞相に至るまでに捨てられる可能性、そして手掛かりとなって讀者の前に提示されるいくつかのアイテムを讀後に振り返ってみると、その人工的な美しさに唸らされます。手掛かりとして提示されていたこの部分はこの可能性を退ける為のもので、これとこれはこの仕掛けの伏線として、……なんて具合に再讀してみると、考え拔かれた精緻な事件の構成に感心してしまうのでありました。
同じクイーン系の作家としても氷川センセの場合、ひとつの物証や現象が萬華鏡のようにいくつもの可能性を映し出し、それが探偵氷川の推理によって迷宮めいた構造を構築していくのに對して、林斯諺の作風は文句なしの正統派。
それでいて長編ともなれば、今までの作品では見られなかった新しい試みを厭わない実驗的精神が旺盛であるところが素晴らしく、例えば長編「尼羅河魅影之謎」では探偵と宿敵との対決という古典的な作風を、敢えて殺人事件を含まない純粹な知的ゲームとして成立させ、乱歩の冒險活劇ものとは大きく異なる作品としているところが面白い。このあたりが乱歩の模倣にとどまっている二階堂黎人氏とは違うところですかねえ。
そういえばミステリとしての結構とは全然關係ないんですけど、探偵若平が登場する冒頭の場面では必ず雨が降っているのが興味深いですねえ。「尼羅河魅影之謎」はエジプトを舞台に据えつつ、スフィンクスの挑戰状が探偵若平のもとに届けられるのは雨の降る夜のことでしたし、本作でも事件の謎解きを持ちかけてくる男性が若平を訪ねてくるのは雨の夜でありました。
そういえば、「雨月莊謀殺案」も雨の降るシーンから始まるところは同樣で、この作品のまえがきで作者がふれていた「雨が好き」というだけで簡單に説明出來るものなのか、それとも連城三紀彦のように雨の降る場面に何か象徴的な意味を持たせているのではないか、と深讀みをしてしまうのでありました。
で、作者の林斯諺は精力的に短編を發表しているんですけど、これが皆が皆「推理雑誌」に掲載されているものばかりでして。野葡萄派の自分としては惱ましい限りですよ。まあ、今後「推理雑誌」に發表された作品が短編集としてリリースされることを期待しつつ、ということでしょうか。