すでに傑作の予感。
そもそもタイトルからして、「サマー」に「タイム」に「トラベラー」ですから。「サマー」の「タイムトラベラー」とも、また「サマータイム」の「トラベラー」とも取ることが出來る絶妙のタイトルに、ジャケのイラストが鎌田謙二。期待しない方が無理というものでしょう。
インタールードを挿んで三章からなる物語は第一章「プロジェクト」から始まるのですが、卷頭とその途中にこの物語の舞台となる辺里盆地の地図が挿入されています。
この町には城跡のある山があったり、また地水路があったりするのですが、物語のところどころにこの町の情景がかなり細かく書き込まれていて、今後の物語の展開にこの町の成り立ちもまた大きく關わってくるであろうことを予感させます。
そして、第一章の書き出しがまたいい。
これは時間旅行の物語だ。
といっても、タイムマシンは出てこない。時空の歪みも、異次元への穴も、セピア色した過去の情景もタイムパラドックスもない。
だた、単にひとの女の子が—–文字通り—–時の彼方へ駆けていった。そしてぼくらは彼女を見送った。つまるところ、それだけの話だ。
という具合に、過去の回想というかたちで物語を始めるところなど、この作者はタイムトラベルもののツボを本當によく分かっていますねえ。
作者の遊びはこれだけじゃなくて、タイムトラベルを行って過去へと駆けていく(予定の)少女、悠有の母親が経営する喫茶店の名前は「夏への扉」といい、この母親は店の本棚から「ゲイルズバーグの春を愛す」を取り出して讀んでいたりする譯ですよ。作中で言及されるの本はこれだけじゃなくて、定番の「時をかける少女」、「果てしなき流れの果に」、そして「タイム・リープ」、……と、作者は相当氣合いをいれて過去の名作傑作を讀みこんでいることがここからも窺えます。
登場人物もそれぞれに魅力的です。語り手のぼくは語学の天才でありまして、學校でボルヘスの「伝奇集」を原書で(!)讀んでいたりする。で、そんなぼくに友達のコージンは「わかってねえのな。『トレーン、ウクバール、オルビス・テルティウス』だぜ」なんてツッコミを入れたりするんですよ。
ぼくたちは、時間を跳んでしまう悠有の能力を解明するためにプロジェクトを組むのですが、これを先導していくのが理想の戀人像をロジオン・ロマーヌィチ・ラスコーリニコフと断言して憚らない響子という少女。
こんなキャラ立ちした登場人物に小さなエピソードを重ねていきます。
といってもこの本はいうなればこれから始まる物語全体の序章に過ぎません。
ぼくは第一章でこれから始まる物語が「時間についての物語であるのと同じくらい、もしかしたらそれ以上に、あれは場所についての物語だったんだ」と回想しています。
要所要所で語られるこの町の情景描写は、上にも書いた通り今後の物語の伏線だと思うのですが、作者の周到な仕掛けはおそらくこれだけではないでしょう。例えば悠有の兄はある難病に罹って入院しているのですが、これもきっと今後の物語の展開に大きく關わってくるのではないでしょうかねえ。
ぼくたちは悠有の能力を探るべく過去の小説群のなかからタイムパラドックスものを拔き出して、色々と議論を行うのですけど、これがまたツボを突いてくるというか素晴らしいのです。
軽いところでは「時間旅行者がまずおこなうのが公益賭博でひと儲け、という定式」を問題にしてみたり、「タイムトラベルとデイックは自己言及性という點で似ている」とか、SF的なところでは「タイムトラベラーが地球の自転公転に同期できるのは、いかなる摩訶不思議な作用によってなのか」などなど。そして皆で讀み込んだ成果を最後には分類表にしてしまうというほどの徹底ぶりです。
また隨所隨所に登場人物たちのキメ台詞があるんですけど、これがぐっとするんですよ。そんななかでもツボだったのが、悠有の兄を診ている医師の台詞。
知識とか論理とかってのは、確かにこの物理的宇宙の全てかもしらんが、人間の脳が感知する世界からすりゃ、ほんの一部に過ぎないってこった。ほんとうに價値があるのは、……感情と追憶だな
とまあ、こんなかんじで、タイムトラベルものが好きな本讀みをくすぐる仕掛けがてんこ盛りでして、早くも續きが讀みたくなりますよ、本當に。
まだ物語は始まったばかり、これからこの登場人物たちがどうなっていくのか、そして物語の主役でありながらぱっとしない悠有が今後どうなっていくのか目が離せません。
タイムトラベルものが好きなひとにはマストになりそうですよ。