若ければいいってもんじゃないでしょう。本作の作者が四十歳の凡庸なサラリーマンだったら絶對に受賞出來なかったのではないでしょうか。
正史の雰圍氣を再現しようと、舞台も現代ではなく、昭和二十年という時代におき、餘所者を寄せ付けない頑なな因習のある島としているのですけど、これがどうにも「獄門島」の出がらしを見せつけられているようで迫力がないのです。
それでいて文体は妙に古風でこのあたりは京極を模倣しようとしているのかと推察するものの、これもまたいかにも若書きという印象でいただけません。
まあ、そんなことをいってもミステリとして風格がしっかりとしていれば全然問題ないのです。しかしですよ、この謎解きはいかがなものか。
物語は戰友の祝言に出るために島を訪れた男が陰慘な密室殺人事件に卷き込まれるというものなのですけど、物語の途中でどうにもキャラ立ちしていない中途半端な探偵が現れて、これがまた自分勝手な臆測を蕩々と述べたてて鬱陶しいのです。もっともこの探偵もある考えがあってこんなことをしているのですけども、謎解きに至るまでそれが見えてこないので、どうにもこの探偵の存在が疎ましくて疎ましくて。
文章が若い、と上にも書きましたけども、古風な文体は嫌いじゃないんです。本作も実際のところ、昔の小説風で讀みやすいことは讀みやすいのですけど、どうにも登場人物すべてが正史の舞臺劇を陳腐に演じているみたいでそれがいただけない。
例えば以前取り上げた佐々木俊介の「模像殺人事件」もまたレトロな文体で正史の時代のミステリの風格を見事に再現していましたけども、あの物語の舞台は現代でしたよねえ。
現代だからこそ不釣り合いなほどに古風な文体とのミスマッチが新鮮だった譯で、本作のように時代設定から舞台装置まですべてが正史の模倣だったら當然のこと乍ら、正史の傑作群と比較してしまう譯ですよ。何故舞台を現代に据えなかったのかそのあたりは非常に勿體ないと思うのです。
そしてくだんの探偵ですが、珍妙な推理をして退場かと思いきや、今度は本作の主人公である男が「あの探偵の推理は間違いだ」などといって本當の眞犯人は、……なんて始めるものですから目がテンになってしまいました。
もっともこの推理が上出來であれば文句はいいません。本作の最大の缺点はここで、ロジックは納得出来るものの、數々の疑問に對して実は眞犯人がすべてアレしていたんです、……ってそれはないでしょう。これは絶対やっちゃいけないことですよ。
また犯人が糾弾されたあともウジウジとしつこく「俺は犯人じゃない」とばかりに情けなくしらばっくれるものだから興覺めしてしまいます。もっと惡に徹して、この俄探偵と徹底的に頭腦戰を繰り廣げてくれるのかと思いきや、再びくだんの探偵が登場して妙なことをしゃべり出すものですから、何というかドタバタの舞台を見せつけられているようでこちらも落ち着きません。
いったいこの陳腐な謎解きをいつ終わらせるのか、「驚愕の眞相」とやらはいつ探偵の口から語られるのか、と期待していたのですけど、最後は腑に落ちない動機を犯人や探偵が蕩々と述べてジ・エンド、……って、ええっ?これで終わりですか!
何だかすべてにおいて新本格以前に逆行しているように感じられます。自分の讀み方が惡いんでしょうか、……と本作の主題を把握出來ないまま、卷末の選評を讀み始めたのですけど、笠井潔の「伝奇ミステリ的な魅力は充分だし」っていう評價はどうも納得出來ません。
さらに島田莊司御大の「新本格作風が持つ条件網羅発想の、いわば極限的達成というようなところがあり」というのも激しく疑問ですよ。
だって新本格の誰ひとりとしてこんなふうに安っぽく正史の物語世界を模倣したりはしていませんよ。唯一比較出來るのは笠井潔もこの選評で挙げている綾辻行人の奧さんの作品でしょうけど、あちらは流石に小説を書き慣れた女史の仕上げた作品、正史の模倣にとどまらない堂々たる風格がありました。
そして最後、山田正紀の選評を讀むに至ってようやっと本作の魅力を納得することが出來たのでありました。いわく、「しかし選考会において、この作家が十九歳と聞かされ、評価が一転することになった」と。
つまり本作は、四十過ぎの凡庸なサラリーマンあたりが書いていたら絶對に評價されなかったであろう作品である、という譯です。
「作品の評価は、どこまでも作品本位でなされるべきであって、作家の個人的事情は考慮されるべきではない」なんていいわけめいたことを續けて書いていますけど、だったら山田正紀氏は何故「『虚無への供物』の文体で『匣の中の失楽』を書こうとした作品」である「華奢の夏」を選ばなかったのか。
まあ、よく分かりましたよ。どんなダメダメな作品であっても若者が書けば傑作というわけですか。矢野龍王が幼稚園児だったら「時限絶命マンション」も世紀の大傑作ということになるんでしょうね。お笑いです。
とりあえず作者には二階堂黎人の「吸血の家」と佐々木恭介の「模像殺人事件」、小野不由美の「黒祠の島」を讀んで出直してこい、といいたい。新本格が營々と築き上げてきたものを無にするような凡庸な作品、と結構厳しいことをいってしまいますよ、今回ばかりは。
というか、次作は正史の模倣をやめて、現代を舞台にした普通のミステリを書いてみては如何。それと創元推理には「華奢の夏」の單行本化を激しく希望します。以上。
おおっ!taipeimonochromeさんがこれほどまでに辛口レビューを・・・。逆に興味が・・・といいたいところですが、選者の評を読んでも期待感が沸いて来ませんね(苦笑)。
斜陽のジャンルが客寄せのためにやるのは仕方がありませんけど、成熟したジャンルであるミステリで安易な話題作りは不要だと思うんですが・・・。笠井、島田、山田のビッグ3には実作者としては最大級の敬意を払いますが、評者としてはちょっとどうなのかなと思うことがあります。
take_14さん、こんにちは。
自分は基本的にどんな作品でも良いところを見つけてそれを最大限に評價する、というスタンスです。勿論ハズレもひきますけど、そういうのはこのブログでは取り上げません。しかし今回敢えてこの作品を晒したというのは、單に本作が鮎川哲也賞を受賞した作品だからですかねえ。
これが乱歩賞だったら、「ああ、またやってるよ」みたいなかんじで笑えたのですけど、鮎川哲也賞といえば、ミステリの基本を踏まえつつ新しい試みを求めてやまない作家群を輩出しているところな譯で、そこでこんなふうにただ若いから、というだけで、何の新味もないような凡作が賞をとるなんてとうてい許されることではありませんよ、……って文句は山ほどあって、これでも極力感情を抑えて書いたつもりなんですけど、今朝になってあらためて讀み返してみるに、やっぱりキレながら書いていますねえ。かなり暴走しています(^^;)。
自分はその作品を評價するとき、「ミステリ史の中で意義がある作品か」という點を重視するのですが、この作品は當に汚點ですよ。
ふう、今日はちょっとミステリから離れてもう少し頭がスッキリするような物語を讀もうと思います。