やられたッ!
完全にヤラれてしまいました。
飛鳥部節炸裂の傑作。正統派ミステリ、アレ系、メタミステリの奇跡的な融合、とでもいえばいいでしょうか。とりあえず本作は今までの飛鳥部氏の作品の集大成といえます。
山本タカトという、古風な繪柄を繊細、グロテスクに仕上げることに巧みな絵師の手によるジャケがまた素晴らしいです。
そして物語の登場人物たち。壞れているのだけども、何処か古風で品のある者ばかりで、これまた飛鳥部ワールドでは御約束の配置ですね。そしてひとり無闇にハジけた男がいるというのもこれまた定番。今回はこの人物が、狂言まわしとなる女子高生とともに、探偵役までこなしてしまうというのですから、もう何というか。
プロローグの冒頭からしてもう突っ走っています。
「推理小説に禁じ手などあるのだろうか。
おそらく、ありはしない。
面白ければそれでいい」
完全に開き直っているように見えますけども、そこは鮎川哲也賞出身という毛竝みの良さを誇る作者ですから、最近の若手のような、逸脱したミステリで読者を煙に巻くような安易な道を採る筈はありません。
この編集者と小説家飛鳥部との、ミステリ談議が皮肉っぽくていいんですよ。例えば「死体消失が起こる。だが發見者は死体を見ていなかった」というパターンに關しての考察など、これはもう、完全にあの作品に對して語っているんですよね?
そして小説家飛鳥部が編集者に手渡した一編の原稿。「蛭女」という題名を持った暫定稿のその作品は、飛鳥部の教え子が書いたものだというのですけど、プロローグ以降はずっとその作中作が最後まで續きます。
孤島に拉致された女たち。そして日本家屋で起こる密室殺人とアイテムは古風乍ら、こんな上っ面の装飾にゆめゆめ騙されてはいけません。犯行方法はこの作中作の最後であきらかにされるのですけど、これで物語が終わる筈もなく、ここからが本番です。
このあと、再び編集者と小説家の樂屋落的な語りが始まり、ここでこの作品「蛭女」に隱されていた眞相が判明するのですけど、……このエピローグは一捻り、二つ捻りしてあって、自分はこの最初の一捻りで既に完敗。何かおかしいなあ、とは思っていたんですけど、嗚呼、完全に騙されてしまいました。
しかし本當の衝撃はそのあと。最後の最後で唖然。いやあ、こういうテがありましたか。確かにこのひとつひとつの仕掛けは先例があるものばかりなんですけど、これらをこうも巧みに組み合わせてひとつの大きな仕掛けにしてしまうとは、當に作者の手腕に脱帽です。
そう、これら先例のある小さなトリックをいくつか竝べたミステリだったらたくさんあります。例えば芦辺拓氏のいくつかの作品などはその典型でしょう。しかしそれらをただ竝べただけではなく、見事にひとつの大きな仕掛けへと融合させた作品というのはそうそうお目にかかれるものではありません。
この作品をもって、ミステリはメタとアレ系を超克した新しい段階に進んだといえるのではないでしょうか、……ってちょっと大袈裟か。
最近の本屋では、雨上がりの朝のワライタケの如く、平積みになった本の隙間隙間にポップ廣告をたてるのが流行しているみたいですけど、自分がそういう本屋の店主だったら、本作の賣り文句はもうこれで決まりですね。
2003年、「葉桜の季節に君を想うということ」
2004年、「イニシエーション・ラブ」
そして、2005年。
……
「誰のための綾織」。
氷川透センセも本作はえらく氣になっているようすなんですけど、自分は二つの意味で、センセの、本作を讀んだ感想を聞いてみたいんですよ。
この二つをここで書いてしまうと、ネタバレになってしまいそうなんで、文字反転しますけど、ひとつはセンセが書いているアノ作品と同じ仕掛けを本作も利用している、ということ。そしてこの仕掛けは同時にセンセが本格ミステリ大賞でも推していた某作のアレをも髣髴させるものである、ということ。この二つです。
まあ、とにかく自分のようなミステリ好きだったら、絶對に讀んで損はないと思います。とりあえず現時点では2005年の新作として本作はイチオシです。とにかく物語はすべて仕掛けと騙しに奉仕しているという構造ゆえ、「冬のスフィンクス」のような讀後の餘韻に浸ることは出來ないですけど、ミステリ好きだったら、この衝撃は寧ろ恍惚、でしょう。
ええ、久しぶりにこんな仕掛けにやられてしまって、大滿足ですよ。悔しいですけど!