レーベルの不幸。
角川ホラー文庫からの一册ながら、個人的にはもっと普通小説の装幀でリリースしてもらいたかった作品でしょうか。というのも、本作の場合、織りなされるエピソードの数々が最終的には怪異によって連關されるという構造を持っているとはいえ、そのキモはやはり最近の一般讀者にも大いにアピール出來る感動物語であるところだと思う譯です。
物語は日本人のバレリーナと、ピアノを練習している少年、そして老境に入ったマエストロの三つの視點で進みます。前半はこの構造がサッパリ理解出來ず、ただただ三人の逸話を讀み進めていくしかないわけですけど、やがてその三つの場面を構成している時間軸が奇妙に捩れていることに氣がつきます。
この捻れの中心にあるのが一臺のピアノなのですけど、最後にはこの系統の感動物語としては定番の、とある怪異の出現によって幕となる構造は秀逸で、個人的にはこの怪異によって物語構造の謎が解かれた後に、敍情的なシーンの斷片が再現されていく終幕が壓卷でした。そしてこういう普通小説の枠組みに「仕掛け」を施した作品が大好きな自分としては、もうこれだけで偏愛したくなる一册として大いに評價してしまいます。
また少年と大人の女性との偶然の出會いから、老マエストロの悲運の戀も絡めて、それらが何処か懷かしい日本の情景と西欧風の詩情を交えた景色を織り交ぜて語られる構成もまた完璧。角川ホラー文庫ではノベライズの仕事が多かった林氏でありますけど、本作では映畫以上に映畫的なシーンも印象的で、これがまた終幕の構成に絶妙な効果を上げているところにも注目、でしょう。
全然怖くないし、エグくもないし、グロでもないし、という譯で、そもそも角川ホラー文庫のレーベルでこの作品がリリースされてしまったというのがこの作品にとっては最大の不幸なのでは、……なんて考えてしまうのですけど、しかしミステリに比較すると、ホラーとか怪談とか、そういった分野の最近の動向は興味深く、先日讀了した 黒史郎氏の「夜は一緒に散歩しよ」も自分としては終盤のやや驅け足に流れる展開も含めて好みの一册だったし、叉この「幽怪談文学賞」の絡みでは、長編大賞を受賞した「夜は一緒に散歩しよ」と優秀賞の「七面坂心中」に對して、京極氏が週刊大極宮に曰く、
もちろん、主催者側・審査員はこの二作を怪談として世に送り出したわけです。しかし条文化された怪談の定義などあるわけもなく、また、それは誰かが決めるようなものでもないでしょう。
怪談としてプレゼンテーションした/された、というところに意味があるのだと、ぼくは考えます。ジャンルは作品についてくるもの。まずジャンルありきで、それに嵌まった作品を生産していくというのは、本末転倒ということもできるでしょうし。
これが本格理解者が幅をきかせている本格ミステリの分野だったら、やれフェアじゃない、やれトリックが云々、やれ感動物語はウンタラと大變なことになってしまう譯で、「首無しの如き祟るもの」の三津田氏の動向などを見るにつけ、案外本格ミステリの傑作というのは、今後はホラーの周辺から出てくるカモ、なんて考えてしまいましたよ。
という譯で、本作は仕掛けを凝らした構成も含めて、定番ネタながら大いに愉しむことが出來ました。しかしそれでもやはり本作は角川ホラー文庫というだけで氣持ち惡いのはキライ、なんて普通小説讀みの方に敬遠されてしまうのではないかと心配してしまいます。全然怖くないし、素晴らしい物語なので、ここはホラー文庫の黒ジャケに騙されず、もっと多くの人に手にとってもらいたいなア、と思うのでありました。