ドタバタタッチも本格食材。
第十五回鮎川哲也賞佳作。佳作というのがまたまた微妙、さらにリリースされた時には卷末にある山田正紀氏の選評を先に讀んでしまったが為に、こりゃア、自分の好みには合わないだろうなんてスルーしていたのですけど、今回讀んでみて吃驚ですよ。
確かにこのコメディというかユーモアタッチの風格は完全に自分の好みではないとはいえ、本作にこの軽妙な文体が採用されたのには勿論キチンとした理由があって、それが最後の眞相に絡んでくるところは秀逸です。
物語は東京からやってきた主人公がヒョンなことから、譯ありっぽい二人組の依頼によって、失踪した中學生二人を捜すことに。で、シスターボーイと一緒に二人の捜索を始めた矢先に密室発火事件だの密室暴行事件だの、密室絡みの奇妙な事件が立て續けに發生、果たしてこれらは中學生の失踪事件と關連しているのかそれとも、……という話。
とここまでの前半部は實をいうと、後半に大展開される仕掛けの前振りに過ぎず、件の密室事件に關しては、確かに山田氏の指摘通り、中程でアッサリと解かれてしまいます。で、そんな結構に山田氏曰く、
つまり「六月の雪」において、二つの密室事件が、先行するミステリーのトリックをそのまま借用して、あっさりと解決されてしまうのは、先行作品に対するオマージュでもなければ、ジャンルに対する愛の告白でもなく、ましてやメタ・ミステリー、アンチ・ミステリーの試みでもない。そうではなくて、何のことはない、この作者は物語の半ばにも達しないうちに、早々に自分は本格ミステリーにはさして興味がありませんよ、とそう宣言しているといっていいのである。……(略)
作者は鮎川哲也賞に対して含むところでもあるのだろうか。選考委員たちに対して何か挑んででもいるのだろうか。まさか!そんなことはないだろう。そんなことはない。それでは「六月の雪」では何が書かれているのか。どうして作者はあえて鮎川哲也賞という本格ミステリーを対象とする賞にこの作品を応募したのだろうか。
敬愛する山田氏がここまで書いているとあれば、本作を手に取るのを敬遠してしまうのも當然ながら、今回ばかりは山田氏の讀みはちょっと違うのではないかなア、と感じた次第で、……とはいっても、あくまでボンクラのド素人の意見ゆえ、おそらくは自分の深讀みに過ぎないとは思うのですけど(爆)、とりあえずはこんなふうに讀めば本作もチャンと本格ミステリとして愉しめますよ、というあたりを以下に述べてみたいと思います。
本作の特徴はまず脱力スレスレの文体によって描かれるドタバタ劇にありまして、東京からやってきた風來坊が探偵と名乗ったばかりに奇妙な事件に卷き込まれるという結構には確かに新味もありません。
ユーモアというにはやや古いノリがアレながら、こういった目新しさのない昔フウの展開は多分に戦略的なものなのではないか、というのが自分の感じるところでありまして、槍玉に挙げられている前半の密室事件のトリックが「こともあろうに先行する有名なミステリーのトリックを借用」したものであったとしても、それは最後に明らかにされる眞相を隱蔽する為に必要だったものなのでは、と思うのですが如何でしょう。
本作は密室事件を前面に据えながら、その實、それらの密室事件は本當に隱しておきたい或る事實を、探偵も含めた周囲の人間から逸らしておく為のものであるゆえ、この密室事件だけをもってして本作を評價してしまうのはちょっと違うのではないかなア、という氣がします。
探偵が密室事件を追いかけていく過程で再三言及されているのがこの密室事件におけるホワイダニットでありまして、この事件が引き起こされるに到った動機が明らかにされて初めて、本作における本當の謎が立ち上ってくるという特異な構成ゆえ、このあたりの周到な仕掛けを見過ごしてしまうと、件の密室事件ばかりに目がいってしまい、その結果、こりゃア本格の愛も何もないまったくないタダの駄作ということになってしまいます。
本作では本來、二つの謎が存在する譯ですが、密室事件に絡めた謎を前面に押し出すとともに、この物語における本當の謎は、密室事件におけるホワイダニットに寄り添うかたちであからさまな伏線として讀者の前に掲げられています。さらにいえばその本當の謎は探偵がこの事件に卷き込まれるに到った經緯にまで遡ることが出來るというところにも注目でしょうか。
そして最後に明かされた眞相を知ってから「第二太平天國建国記」を再讀して初めて、ここの建国記の中で語られている或る人物と、探偵が直接接していたある人物とが實はアレだったというや、天条書十ヵ条の内容までもが伏線になっていたことが判明するところにも拔かりはありません。
本格愛とか古典へのリスペクトとかにこだわりまくった本格理解者的な視點から見ると、確かに中盤で明かされる密室事件はアレで、それゆえにここで明かされる眞相に對してスッカリ頭に血が昇ってしまったマニアはフザけんなということになって、後半部の仕掛けも堪能出來ないということになってしまうのカモしれません。
しかし密室事件も含めたドタバタ劇が失踪事件に絡めての重要な伏線であったことが明かされるや、探偵の視點によって語られる新味のない脱力劇の狙いが判明する構成はやはり大いに評價するべきだと思うのですが如何でしょう。
密室事件に絡めたトリックから本作の仕掛けを評價すれば勿論バツ、ということになるものの、作者が本作で行おうとした本當の狙いはそこにはなく、寧ろ密室事件に定番のトリックを用いながらそれを事件を構成している偽の要素としてチラつかせ、脱力コミカルな探偵物語めいた風格をも、最後の眞相で讀者を驚かせるための仕掛けに用いているところにあるのではないかなア、と感じた次第です。
本作は個々の事件に着目するのではなく、一歩離れた視點から物語全体を俯瞰することによって初めてその狙いが分かってくるという構成ゆえ、確かに古典原理主義者が三度のメシよりも大好きな「密室」が登場するとはいえ、ここは本格愛や密室事件に拘泥せず、あくまで現代の本格として讀み進めていった方が最後の眞相を愉しむことが出來ると思います。
という譯で、自分としては問題作でも何でもなく、ごくごく普通の現代本格として讀んでしまったのですけど、それでもオジサンめいたドタバタ劇はノリも惡く、キワモノ的な愉しみ方も難しい展開に中盤、挫折しかけたことは告白しておきます。しかしその風格もまた本作の仕掛けのひとつゆえ、ここは我慢しながら付き合った方が吉、でしょう。
しかしこの天然にも見えるオジさん的なドタバタ劇はいったい、……って作者のプロフィールを見たら1955年生まれ、って自分よりも年上のオジさんでした(爆)。果たしてこのドタバタの作風が本作の仕掛けの為「だけ」のものなのか、それともこの文体も含めた作風は作者の生來のものであるのかは次回作で明らかにされるでしょう。期待して待ちたいと思います。