男節ダンディズム。極上風味。
らしくない、というか、柄刀氏ってこんな作品も書けるんだと吃驚してしまった本作、抑制された筆致と繪畫に人間ドラマを絡めた、當に極上のミステリが堪能できる短篇が勢揃い、という譯で自分は堪能しました。
収録作は、隻眼男の奇人ぶりによって不可解なコロシから異樣な企みが開陳される「ピカソの空白」、ゴージャスな壷の破損事件から人間のゲスい暗黒面が明らかにされる「『金蓉』の前の二人」、不可解な死に際の傳言の眞相を巡る「遺影、『デルフトの眺望』」、單純な自殺が毒殺事件へと轉じ、人生の慟哭が明らかにされる「モネの赤い睡蓮」、収録作の中ではその眞相の奇天烈ぶりに島田御大の後継者の風格も濃厚な「デューラーの瞳」、敍情と慟哭が美しい融合を見せる表題作「時を巡る肖像」の全六作。
サブタイトルにもある通り、いずれも絵画修復士である御倉瞬介を探偵役に据えたもので、各編で披露される謎そのものは非常に小粒。謎そのものの喚起力は控えめながら、作品の内部に込められたドラマ性は濃厚で、謎の解明から家族や人間の慟哭が立ち現れる結構は當に大人のミステリ、といったかんじです。
事件そのものは單純なコロシながら、奇天烈な眞相が明かされるという點では「デューラーの瞳」が素敵で、突然男が道路の眞ん中に出現して車にはねられてしまう、という謎そのものは、それって運転手の前方不注意だろ、みたいなツッコミを入れたくなってしまうネタながら、最後に探偵によって推理される真相は當にヘンテコ。
霞ワールドに片足を突っ込んでいるような眞相には苦笑してしまうのですけど、ここに到るまでの経過を解き明かしていく後半部の展開が面白い。アリバイネタなど地味な要素を添えながらも、最後には眞相の突飛さで今までの控えめな展開を引っ繰り返してしまうという構成です。
「ピカソの空白」も、カーマニアがニヤニヤしてしまうようなブツも添えて、まずはもっともな推理がなされるものの、個人的には事件の鍵を握る天才の隻眼男の怪しい振る舞いがツボでした。探偵役である瞬介よりも遙かに天才探偵に相應しいこの男が強烈な個性を放っていて、事件の構造そのものよりも、事件の背後に込められたある人物の捩くれた企みに驚いてしまいましたよ。本格らしさという點ではコロシの現場の図解も添えられた本作が、もっともマニアの受けがよいかもしれません。
ただ、個人的にもっとも感心したのは「モネの赤い睡蓮」で、毒を煽っての單純な自殺が一轉して殺人事件へと變じ、藝術家の苦悩と慟哭が徐々に明かされていく展開が素晴らしい。「ピカソの空白」で登場した隻眼男が再登場したものだから、今回はこの男が名探偵ぶりを発揮するのかなア、なんてワクワクしていると、結局は瞬介が堅実な推理を披露してジ・エンドとなるのの、その前にクロード・モネの苦悩に絡めて画家の業について解き明かしていくところなどの見せ場もシッカリ用意されていたところには大滿足、というかこの隻眼男を名探偵に据えた番外編を激しく希望したいところです。
毒殺事件のほかにも、「赤い睡蓮の呪い」という言葉の意味の謎とともに物語は進むものの、事件そのものが毒殺という地味なネタゆえ、謎そのものの力で強力に物語を喚起するような結構ではありません。これは収録作のいずれにも共通するともいえるのですけど、謎は登場人物たちの連關のあわいに留まり、最後になってこの謎の眞相が解き明かされることによって、歪なかたちを描いていた登場人物たちの人間性が恢復されるという展開です。
謎解きによって人間を描くという樣式は、自分が求めている泡坂連城ミステリにも通じるところもあるとはいえ、本作が自分の好みとやや趣を異にするのは、謎―解明という構造は保ちながらも、技巧はあくまで控えめにして、物語を普通小説らしい形式に纏め上げているところでしょうか。
例えば泡坂氏の「ゆきなだれ」や「硯」などには反轉を見せる為のミステリ的な技法が大胆に使われていて、この仕掛けが明かされた瞬間、一登場人物の人生がまったく違った意味をもって讀者の胸に迫ってくるという構造が秀逸だった譯ですけど、本作で提示されている謎はあくまで「事件」に寄り添ったまま物語が進み、そこに讀者を騙してやろうという強度な仕掛けは感じられません。
勿論こういった人工的な仕掛けはある種のエグさを伴う譯で、瞬介という魅力的な人物を探偵に据え、事件に絡んでくるのはいずれも藝術絡みのハイソな人たち、という本作の作風を鑑みるに、こういった強烈な反轉を引き起こす仕掛けは寧ろ似つかわしくないような氣もします。
「遺影、『デルフト』の眺望」はダイイングメッセージを扱った作品ながら、本作ではこの死に際の傳言に込められた意味の「深さ」が心を打ちます。この言葉を傳えようとした人物が死の間際に直面したであろう煩悶を思い浮かべるに、何ともやるせない氣持になってしまうものの、探偵が明かした眞相を受け止めていこうとする登場人物の決意がこれまた最後に素晴らしい余韻を添えているところがいい。
本作に収録された作品は、事件の提示から探偵が謎解きを行うという本格ミステリの結構に極上の人間劇場を据えた風格が際だち、本格ミステリとしての仕掛けや技法については正直どうでもいいんじゃないかなア、なんて思ってしまうのですけど、……というか、柄刀氏の作品に對してこういう氣持になってしまえる自分に正直吃驚してしまっているのですけど、それほど本作で描かれている極上の人間ドラマは素晴らしい。
提起される謎も控えめで、その眞相もまた控えめとあれば本格ミステリとしては弱いよような印象を持ってしまうかもしれません。しかし本作の場合、ここに極上の人間ドラマを絡めてみせたところが秀逸で、當に極上という一册ながら、驚天動地の不可能犯罪を御所望の本格マニアには些か不滿が殘るかもしれません。個人的には非常に愉しめました。