これから林斯諺氏の短編群をジックリと讀み込んでいこうと思っています。讀み込む、という言葉を使ったのには勿論ボンクラなりの考えがあってのことでありまして。
最近取り上げた「ユリイカ 2007,4 米澤穗信 ポスト・セカイ系のささやかな冒険」の中で笠井氏曰く、「いま主流なのは、ずっと読んでいくと、最後のところで地と図が引っ繰り返ってびっくり仰天する、その一瞬の驚きを中心に据えたもの」で、「緻密に論証する」、すなわちロジックをキモにした作品は受けが惡い、みたいなことを書かれていたのがどうにも氣になって仕方がない譯です。
そこで日本の本格ファンの間でも一定の支持を得ているロジック派のエース、石持作品と林斯諺氏の作品を比較しつつ、謎解きの愉しみを主軸に据えた本格の將來について自分なりに考えてみよう、と思い立った次第でありまして。で、讀み込むとあればまずはそれなりにシッカリとした評價の軸を定めておく必要がある譯で、その前準備として自分にロジックものの魅力を教えてくれた「七十五羽の烏」の作者、都筑道夫の作品をいくつか再讀してみようという譯です。
些か前置きが長くなってしまいましたけども、「七十五羽の烏」の續く物部太郎シリーズの第二弾である本作、今回あらためて再讀した印象はというと、「七十五羽の烏」とはやや異なり、あるブツの奇妙な點に論理の光を當てた瞬間、真犯人の姿がクッキリと浮かび上がってくる「七十五羽の烏」に比較すると、本作の後半に展開される大ロジック大會は縺れまくった各の事件が次第に解れていくその流れを堪能したい長編です。
物語は、からくり人形だの、シュプールの怪異だの、印象的な場面がさながら映畫の予告編みたいにカットバックで描かれていくとプロローグから始まります。この手法は、冒頭にド派手な「謎」を提示して讀者の心をシッカリと・拙んでみせるコト、みたいな典型的な本格ものとはやや趣を異にする本作においては抜群の効果を上げているところに要注目、でしょうか。
本作は、幽霊が出なくなった旅館で再び客寄せの為に幽霊を召喚してもらいたい、なんていう妙チキリンな依頼を受けて、件の旅館へ繰り出すことになった探偵様一行がトンデモない事件に巻き込まれるという展開なのですけど、到着早々、シュプールの謎が讀者の前に提示され、その後すぐさま野天風呂でパイパンの剃髪女が死体となって見つかります。
その後も密室状態で珍妙な死に際の伝言を残して野郞がご臨終となったりと、物語はテンポよく進むものの、後半に展開される推理によって明らかにされるのは犯人の企みの構図というよりは、コロシの現場に奇天烈な怪異も加えて縺れまくった様々な事象が解れていく様態そのもの。
なので、犯人の描き出した壮大な犯罪絵巻が探偵の推理によって現出する、みたいな展開を期待していると、この「眞相」には些か肩すかしを喰らってしまうかもしれません。かといって、後半に開陳される怒濤の推理劇がなおざりにされているという譯では決してなく、密室殺人の現場の詳細な検証と推理をきっかけに、登場人物のおのおのがアレしていたという眞相が明かされていく流れは本作の大きな見所のひとつでしょう。
ただ三枚の寫眞に映し出されたちょっとした點から探偵が推理を起こしていくところは、ロジックそのものよりも、推理の起點となる「氣付き」に重きをおいたものながら、その後で密室にする理由にこだわりまくってネチっこい推理が繰り出されるところは素晴らしいの一言。
その一方、第一の殺人であるパイパン女の謎解きでは、「氣付き」に寄りかかった密室殺人とは異なり、腕時計や剃髪、鬘といったアイテムをシッカリと讀者の前に開陳してそこから論理のアクロバットを展開してみせるという風格で、正に都筑ミステリの真骨頂。
個人的には特に腕時計を二つしていた理由が探偵の推理によって明かされるところはかなりツボで、第一、第二の殺人と、ロジックにこだわるところは同じながら、そこへさりげなく「推理」そのものと「氣付き」に軸足を振り分けつつ違いを持たせているところも秀逸です。
一方、シュプールの怪異についてはかなりアレで、物部太郎や思考機械にご登場願わずとも、ボンクラの自分でさえその怪異が現れた瞬間に眞相が分かってしまったというものでありますから、勘のいい方であればプロローグの場面にさらりと描かれたところですでにそのネタを見破ってしまうかもしれません。まあ、このあたりはあくまで余興ということで愉しむのが吉、でしょう。
「七十五羽の烏」に比較すると、事件の混沌ぶりゆえに最後に犯人の手になる壮大な犯罪絵巻を描き出す風格はやや希薄ながら、ロジックを主軸に据えつつも第一の殺人と第二の殺人の謎解きにそれぞれ個性を持たせているところや、まさにバラバラのピースが一枚の眞相図を描き出す謎解きの部分は相当に讀ませます。
この眞相図が狡知に長けた犯人一人の手によって描き出したものではないところに、犯人と探偵の宿命の対立構図を期待している古典ミステリのマニアにはやや不満に思われるカモ、という氣はするものの、ロジックの冴えを愉しむのであれば没問題、でしょう。