新本格どころか、「占星術のマジック」以前の本格、ということで本作を再讀してみました。何だか個人的には「清張呪縛」や「本格冬の時代」とかはどうでもよくなってきていて(爆)、寧ろ「占星術殺人事件」や「十角館」から始まる新本格とそれ以前の本格との作風の相違について調べていった方が色々と得るものも大きいのでは、なんて氣がしてきましたよ。
で、1978年の第24回乱歩賞を受賞した本作はいうまでもなく、新本格どころか「占星術のマジック」以前の作品なのですけど、密室や不可能犯罪にこだわりまくった風格はやはり本格ミステリ。とはいえ、新本格の作品並に様々な仕掛けを凝らしながらもやはり新本格とはかなり違う、という感覚を抱いてしまうのは登場人物たちの人生に焦點を當てたドラマ性にあるのカモ、なんて感じた次第です。
本作の特徴は、まず當時の時代を反映させた輕すぎる文体にあって、語り手はバンド「ポーの一族」のメンバーである栗本薫で、彼がテレビ局での連續女子高生殺人事件の顛末を語る、というもの。冒頭から一人稱で語りを始めながら、そこへさりげなく第三者的な視點も添えて物語が進むところがキモで、この輕すぎる文体が語りによるミスディレクションに絶妙な効果を助けているところにも注目、でしょうか。
歌番組の収録中に女子高生が背中を刺されてご臨終、というコロシの不可能趣味は秀逸で、テレビカメラにその犯行の一部始終が撮影されているというのに、どうやっても犯人は被害者の娘のところへ近づくことが出來ない。果たして犯人はどうやってこのコロシを成し遂げたのかというところへさらに、娘っ子が手にしていたレコードの消失も交えて事件は盛り上がりを見せていきます。
このあとも大道具置き場で死体が見つかったり、密室状態となったスタジオの中で仲間の一人が殺されたりとコロシの大盤振る舞いもステキながら、本作が新本格以降の現代ミステリと趣を異にするのは、密室が現れたからといって登場人物たちが密室だ何だのと大ハシャギする譯では決してなく、あくまで事件の捜査は殺された被害者に焦點を當てて進んでいくところにありまして、ここでは一人稱の語りでありながら警部補の視點から事件を語っていくという複眼的な描寫が見事な効果をあげています。で、そんな中、警部補が被害者の家を訪ねていく場面では、
こまかなことで、あれこれと聞いておきたいことがあった。
しかし、いちばんききたいのは、
(佐藤尚美はどんな性格だった――)
で、ある。
誰と付き合い、何を愛し、何を考え、何を夢みていたのか。それがわかれば、なぜ佐藤尚美が死ななければならなかったのか、もわかる。
冒頭、TV局に群がる少女たちがアイドルのご到着を心待ちにしてギャアギャア喚いてるシーンというのがあるのですけど、そんな「彼女たちはみな似通っていた」と記されていることと、警部補が被害者に焦點をあてて「殺されたのが佐藤尚美であることの何か」を執拗に探していくところの對比の印象的です。
実際、この事件の眞相というのが、不可能趣味に溢れたコロシのトリックを推理していくだけでは絶對にたどり着けないような代物でありまして、無記名の少女たちの中から「何故」殺されたのが彼女であったのかという點を突き詰めていかないと、一連の事件の背後にある眞相は分かりません。
また連續殺人に見える少女二人と語り手の仲間の合計三人のコロシの連鎖の眞相も秀逸で、自分のお仲間であるメンバーのコロシについては、語り手がさらりと謎解きをしてみせるものの、彼は事件の全体を俯瞰することなくあくまで身内の事件を片付けるや、すぐさま一語り手へと引っ込んでしまうのですけど、勿論ここにも大きな仕掛けがある譯で、眞打ちの探偵が登場して、女子高生のコロシから失踪事件、さらにはその背後にある藝能界のゲスいトピックスも絡めてコトの眞相が明かされる後半部の展開は素晴らしいの一言。特に今まで事件の進行を眺めていたその視點をさかしまにしてしまう推理は再讀しても背筋が震えました。
またタイトルからも想起される通りに、登場人物の色づけにさりげなく世代間の相違を織り交ぜているところにも注目で、大学生である語り手の僕がモテモテアイドルからコトの眞相を聞き出す時には、僕もキミと同じヤングだから、なんていうかんじでアプローチを仕掛けていく一方、後半にヤケっぱちを起こして大暴れする御仁は戦争体験者で、さらには眞打ちの探偵が彼らヤングと戦争体験者の真ん中に位置する四十代の中年オジサンだったりと、登場人物のキャラ造詣にも抜かりはありません。
本格ミステリの結構としては不可能趣味を前面に押し出した風格ながら、事件の進行はあくまでも人間主体で纏めているところが印象に残るのですけど、この、新本格以降の作風に顕著な「戯れ」が希薄な風格は乱歩賞ゆえなのか、それとも「ぼくらの時代」と「十角館」という時代の相違によるものなのか、興味のあるところです。
その一方、眞相の開示によって登場人物の人生が立ち現れるところなどに小説としての旨さは感じられるものの、そのトリックに對するスタンスは、仕掛けによって人間を描く泡坂連城ミステリともまた趣を異にするようにも感じられます。今だと輕すぎる文体がアレながら、やはり後世に残すべき傑作、という譯でオススメ、でしょう。