達人の技法が惜しみなく。
素晴らしい。「メフィスト」に連載されていた時からそれとなく目を通してはいたのですけど、こうして纏まったものをイッキ讀みしてみると、樣々なテーマが別の視點から考察されている構成など新しい發見もあったりして、とにかく読み應えのある一冊です。
ジャケ帶にもある通り「はじめに」でまずジャンルの壁に言及しているところに注目で、それを疎ましく思いつつも決して無視するようなことはせず、本作では「複数の作品を対比し、底流と見られる共通点や影響関係を見出しつつ、そこから折り返して、この底流がジャンルの特性や作家の個性とぶつかり合い、互いに相手を変えてゆく樣子を観察する」という方法によって「小説たちが個々のジャンル内にその位置を保っている不思議に向き合う」ことを行った、とあります。
一見ジャンルが異なるような作品や作家を対置して論じるという手法で思い浮かぶのが、新本格派の宿敵、新保氏の手になる「世紀末日本推理小説事情」だったりするんですけど、あちらの方がやや作家論に傾いた展開を見せた論評だとしたら、本作は操りや狂氣、さらにはミステリにおいて人間を描くとは、など、現代の本格を讀み解く上でも重要なテーマに眞正面から取り組んでいるところが秀逸。
「伝説のカリスマ」なんてジャケ帶にある巽氏ですけど、その研ぎ澄まされた文体によって語られる内容は非常に分かりやすく、特に自分のようなボンクラにとって嬉しいのは、前の回で語られていた内容が別のテーマの考察で再び変奏されるというその構成でしょうか。
第一回の「操りを超えて」で俎上に挙げられたテーマ「操り」は、「高村薫の小説につきまとう」「迷いの感覚」についての考察を行う第二回「つながる人々」で、「登場人物の行動は動機ではなく結果によって、……つまりその行動によって動き出す事件の全体によって支配されている」と、さりげなく登場人物と全体の連關の考察へと繋がる伏線へと形を變えて語られていきます。
そして續く「部分と全体」、「吸い出される内面」、「分裂と連続」では、現代のミステリにおける安易な操り的発想への危惧について述べるとともに、狂氣や人間の内面、謎と混沌といった要素に洞察をくわえていき乍ら現代日本の本格ミステリが持っている典型的構成の變容が解き明かされていく過程は非常にスリリング。
特に中盤の展開は操りを主軸にして、分裂、混沌といった事柄が樣々な視點から変奏されていく印象で、対比される作品のセレクトが興味深いのは勿論、そこから氏が現代ミステリの諸要素と連關を解き明かしていく手法の鮮やさが光ります。
全頁、はっとするような文章の宝庫で、いちいち印をつけながら讀み進めていったら付箋だらけになってしまいましたよ(爆)。
また例えば第八回「分裂と連続」で荻原浩の「噂」を取り上げて世界の分裂と連続を語ったあと、第十回の「混沌」ではその「分裂し拡散しようとする世界をひとつのイメージに統合する方向で探偵と犯人の対立図式」が最近までの推理小説では有效であったものの、現代では結末で世界の分裂と混乱を強調する作品が増えてきた、として「探偵」という装置の有效性に疑義を呈する。
しかしそのすぐあとで、では現代のミステリはどのような方法によって世界の分裂と混沌に對處しているのかについての考察がなされるところや、同樣に「混沌へ」で島田御大の「ハリウッド・サーティフィケイト」について「冒頭の謎よりも「真相」の方がより奇怪で謎めいて見える小説である」と述べるところなど、……って書きながら今ふと思いついたんですけど、この部分って藤岡氏のバカミス考にも通じるところがあるような氣がしますよ。
「混沌へ」を経て第十三回「回路が開く」では、「奇偶」を取り上げて「筋の通った解決」への欲望や「世界の法則へのこだわり」から、竹本健治が持っている「せつなさ」の風格の指摘へと輕やかに飛び越え、再びそこで「壞れた世界」から混沌や分裂へと立ち戻るという展開の素晴らしさ。
或いは新本格が持っている風格の人工性と横山秀夫の作品を對置してしまう驚き。第七回の「吸い出される内面」で言及された「推理小説は犯人や探偵の内面を描かない」というところと、第十五回「答えは私」で作中人物たちのうちに「個人」や「人生」を見てしまう、という指摘や「人間描く」ということへの繋がり等等。
「トリックは語る」で述べられている社会派推理小説と本格派の對立構図や、「ふるさと」における「容疑者Xの献身」について書かれてあるくだりなど、今が旬(でもないか)の話題も含まれてはいるものの、個人的には上に挙げたような操りを主軸に樣々なかたちで現代ミステリの變容を考察していく展開がツボ。
論考としての面白さは勿論なんですけど、自分としてはミステリの愉しみ方を探る為の、達人の技が惜しみなく開陳されているところが素晴らしいと感じました。ジャンルを超えた作品をそれぞれに對置してその連關を透視する為の技法や、ジャンルの變容を踏まえつつその樣態の變化を愉しんでしまう手法など、とにかく「盗みたい」技がテンコモリ。
千街氏の「水面の星座、水底の宝石」と並ぶ、ミステリを愉しむ為の指南書としても強くオススメしたいと思います。「伝説のカリスマ」が書いた本だから、笠井氏の本みたいに難解な言い回しが横溢した一冊なんじゃア、などと思うなかれ、明快でキレのある文章はボンクラな自分でも十二分に愉しめたのでご安心を。