少しばかり間が空いてしまったんですけど、既晴氏がサイトに公開されている綾辻氏來台の樣子を述べたエッセイの續きです。今回は既晴氏の感想なども書かれているのでざっと譯してみます(尚、原文は文末に転載)。
中廣から行天宮のあたりまで車を使えばそれほど遠くはないとはいえ、皆で一緒に行くには人數が些か多すぎるということで、結局タクシーを何台か呼んで行くことに。私は社長が運転する車に同乗することになったのですけど、社長の車に乗せてもらうのは今回が初めてで、もし綾辻先生が台湾に來ることがなかったら恐らくはこんな機會もなかったろうと思います。
車中では先ほどの晩餐會のことが話題となり、日本語の簡單な言い回しだったら聞くことが出來た私は、社長にその時の會話をざっと聞かせてあげました。
中廣に到着すなり私たちはそのままスタジオへ直行。時間もすでにおしているということで、欣欣(彼女は座談會の時の司会でもあった)を司会とする番組はすぐに始まりました。何でもこの時は番組始まって以來の來訪者の多さとのことで、私も以前この番組に出演したことがあるんですけど、今回と比較すると確かにあの時は非常に静かだったな。
まず欣欣が綾辻先生に中國語で挨拶をし、そのあと先生の筆名にはどんな意味があるのかを聞きました。綾辻先生の答えを聞いて、私は大變面白いなと思ったんですけど、簡單に説明すると先生の筆名は複雜な迷宮を進む探求者を意味するとのことで、なるほど當にその通りだなと。
そのあと、すぐにリスナーからの電話を受け付けることになったのですけど、綾辻先生はこれを大變新鮮に感じられた樣子で、講談社の秋元さんの話によると、日本ではこんなふうにリスナーとやりとりをするようなやりかたはあまり見られないとか。また日本語で綾辻先生に質問をする人もいて、台湾には本當に日本語が分かる人が澤山いるんだな、と驚いていました(この翌日の座談會では、さらに意外な發見が)。
一時間はあっという間に過ぎてしまい、番組が終わってからそのあとは皆で解散の予定になっていたものの、ちょっと声が上がればまた話が續くという具合で、綾辻先生と一向はそのあと台湾の按摩を体驗することに。話によると、綾辻先生は朝になってようやく眠りに就くという夜型の方で、私とはまったく逆。台湾と日本では一時間の時差があるとはいえ、こと睡眠に關して私たちは地球の反對側にいるようなかんじなのでありました。私は明日の座談會の資料の準備もあったので、先に歸って寢ることに。
歸路、譯もなく突然に「自分は本當に綾辻先生のファンの中の一人なんだなあ」という気持が胸の中にわき起こり、その感覺はますます強くなっていきました。この思いはそのまま眠りに就くまでもずっと續き、綾辻先生との付き合いはさながら飲んだ後になってからじわじわと効いてくる酒のようなものだなあ、……などと考えていたら結局、なかなか眠りに就くことが出來なかったのでありました(續く)。
中廣位於行天宮附近,開車的話,距離晶華酒店並不算遠。不過因為一起去的人蠻多的,叫了好幾輛計程車才去得了。社長則說可以開車載我,這還是第一次・希。如果綾辻先生沒有訪台,恐怕也沒有這樣的機會・頑。我們在車上聊了一些方才在餐・築上的話題,因為我聽得・条幾句簡單的日語,於是便解釋給社長聽了。
抵達中廣以後,一進錄音室,時間已經差不多了。主持人欣欣(・好也是稍早記者會的主持人)開場沒多久就馬上說,這是本節目開播以來,來客最多的一次。我以前也在這裡上過節目,相比之下,那時候確實非常冷清・休。
首先,欣欣請綾辻先生以中文跟聽・麗們問好,隨後又詢問了綾辻先生筆名到底有什麼含意。聽了綾辻先生的回答,我確實感到很有趣。簡單來說,就是身處複雜迷宮的探索者・頑,確實名符其實。後來,還開放聽・麗Call-in,綾辻先生覺得非常新鮮。我聽講談社的秋元編輯告訴我,在日本像這樣的互動方式並不常見。而且,其中居然還有聽・麗以日文向綾辻先生問候,在台灣・条日文的人果然很多!(隔天的座談會,會有更意外的發現)
一個小時很快地過去了,節目結束後,原本我以為大家都要回去休息了,一問之下原來不是。綾辻先生一行人還要去體驗台灣的按摩……據說,綾辻先生是早晨才開始睡覺的夜行者,跟我完全相反。雖然台灣與日本只有一個小時的時差,但我們的作息方式,等於是位於地球的兩端嘛。因為隔天還得準備一些座談會的資料,所以我決定先行辭別,回家睡覺了。
在回家途中,不知不覺突然察覺到,自己的胸口有一股「其實我只是綾辻先生的・麗多書迷之一」這樣的興奮感,而且愈來愈強烈,這種感覺一直到我熄燈睡覺之際,仍然久久未曾散去。跟綾辻先生的相處猶如品嘗醇酒,後勁十足,結果居然差點失眠了。(待續)