キワモノ伝奇らしからぬ構成美。
六十八年生まれのマニア三大神のひとり、末國氏の編緝による国枝史郎シリーズ第三彈である本作は1921年から27年の間に書かれた短篇小説をギッチリとブ厚い一冊に纏めた、當に集成の名前に相應しい仕上がりです。因みに他の二神は、日下氏と外地探偵小説集の編纂をされている藤田知浩氏、っていうのはこのブログを讀まれている方には説明するまでもありませんよね。
で、本作ですけど、まず収録作の多さに注目で、全五十九編。そのブ厚さから一日で讀みとおすのは無理かと思っていたんですけど、講談調というか、獨特の国枝節は馴れれば非常に讀みやすく、この心地よい文体にノってしまえば後はイッキ、一編一編も短く纏められているものが殆どで思いの外愉しむことが出來ました。
個人的に氣に入ったのは退屈男のハンサムボーイに惚れてしまった曲藝女と、ネチっこい偏執ストーカーとのヤバい關係が惡魔主義的な幕引きを迎える「最後の曲芸」、美人の唖娘が天才的な技倆を発揮して名櫛をものにしたものの、それがキ印男の復讐によって悲劇的な歸結に到る「お六櫛由来」、隻眼の佛像を手に入れた男の人生の不思議を描いた「天竺徳兵衞」、平賀源内が奇天烈なマシンを拵えて狂氣の辻斬りを撃退する天晴噺を最後の一文で台無しにしてしまう「辻斬の志道軒」。
妻子をほったらかしにして桃源の美人とイチャついていた仏師がこれまた惡魔的な仕打ちを受ける「仏師志願」、舶来の不氣味絵画の傑作怪談「名画」、駕籠にまつわる怪異を見事な怪談に纏めた「駕籠の怪」、法師が出會った幽霊譚「稚子法師」。
低能児の天草四郎が精靈の力によって天童へと覚醒するも、そのカラクリを知らされて絶望するまでを描いた「天草四郎の妖術」、駕籠の生首から死体運びまでの不思議がミステリ的な趣向で明かされていく構成が見事な「前慶安記」、奔放な石川五右衛門の大暴れを描いた「五右衛門と新左」、中国人のワル男に騙された馬鹿男と、彼が惚れ込んだ娘を描きつつ賭け事はイクナイ、という教訓で幕引きとなる「トランプ伝来」。
盜人から山賊グループの一員に身を落としてデカ女に惚れられるも、これまた小市民的な気の迷いが人生を台無しにしてしまう男の生涯を描いた傑作「山窩の恋」、菅原道真の逸話から突然作者の恋愛モノローグに轉じる奇天烈な構成が面白い「道真と時平」、ちょっとした間違いで醜女をゲットしてしまった氣の毒男が世間樣から笑いものにされる「気の毒な藏人頭」、作者の戀愛体驗らしき逸話がデレデレと續く「郡上の八幡」、……なんてあらすじの紹介だけで終わってしまいそうなんでこれくらいにしておきますか。
キワモノマニアとしては「最後の曲芸」は絶對に外せない逸品で、冒頭、女曲藝師がシツッこく言い寄ってくるストーカーを撃退する場面から始まります。この偏執男は以後もネチネチと彼女が藝を失敗するように樣々なイヤガラセを繰り返すものの、藝達者な彼女はまったく動じません。一方、ヒロインの曲藝娘は客として自分の出し物をいつも観に来てくれているハンサムボーイに一目惚れ。
しかしある日を境にハンサム男はぱったりと姿を見せなくなってしまう。しかし偶然彼女は町中で男を見つけるや声をかけるのですけど、何でも男の仕事は音楽家で、彼女の藝の素晴らしさに感銘を受けて通い詰めたものの、もう飽きてしまったという。で、男曰く、
あなたのそういう大胆な芸にも、満足することが出来なかったのです。そこで私はこう思いました。「あの女が芸をやれ損なって空中から落ちて死んだらどんなに痛快なことだろう。そうしたら俺はその拍子に非常な作曲をして見せる」と。ところがあなたは仕損じをしない。のみならずあなたは毎日毎日同じ芸ばかり演て見せる。そこで私は倦きたのです。
彼女が死ねばいいのに、と考えていたというトンデモない鬼畜男にもかかわらず、曲藝女は彼の魅力にメロメロで、ついにもっとも危ない曲藝「空中巾跳」をしてみせると宣言。果たして男が観に来たその日、ついにその危険極まりないショーが始まり、……というところで御約束通りに件のゲスなストーカー野郎がショーに潜入、彼女にとびっきりの罠を仕掛けていて、……。
鬼畜なハンサムボーイと、偏執的なストーカーという、ゲス男が揃い踏みを果たした末に、惡魔的な結末を迎える構成に、キワモノマニアはニヤニヤ笑いが止まらない傑作でしょう。
キワモノマニア的には、同樣に無辜の娘がヒドい目に合う「お六櫛由来」も外せない作品で、唖ながら美貌に惠まれた娘はやがて見事な櫛をつくるようになり、それがバカ賣れ。娘は親父と一緒につましく生活をしていたものの、周囲には辻斬りの怪しい虚無僧が暗躍しているようで穩やかじゃない。
やがて一人の青年職人が父娘のところにやってきて、青年は娘に強烈なアプローチを敢行。二人は親父をおいて駈け落ちをしてしまう。そして親父が一人でボンヤリしていたところへ件の虚無僧が亂入、親父をバッサリと殺してしまうと、それを知った娘は發狂。さらに例の青年は娘が持っていた櫛作りの秘密を聞き出そうとしたスパイだったことが明らかになって、……というまったく救いのない惡魔的な結末が素晴らし過ぎる一編です。
「仏師志願」もその幕引きの鬼畜ぶりでは外せない作品で、真面目な仏師男が金剛神を完成させ、山の上に運ぼうとしていたところへ突風が來襲、男は山の女に助けられて一命を取り留めます。男はこの美女と一緒に半年を花畑の中で生活するも、しかし大事なことをスッカリ忘れていた樣子。
「……私は忘れて居りました。ほんに貴郎には麓の宿に可愛い坊ちゃまや奧様がお有りになされたのでございましたね――今頃どうしてお居でなさるやら。それを思えば此私は罪深い女でございます」
「おお左樣だった麓には妻子や家が有ったのだった!今頃何をしていることぞ」
本當に嘘のような誠である――実際この幾月桜子の愛にほだされて、それに自分の彼女を恋し、且つ仏像再建の謂わば野心に捉えられ妻子を忘れていたのであった。
思い出したらこうしちゃアいられない、ということで、男は女の「貴郎は後悔なさいます!屹度後悔なさいます!」という忠告も聞かずに下山、しかし戻ってみれば、妻と子供は男の身を案じ擧げ句に木曽川へ飛び込んで心中していたことが発覺。
大ショックを受けた男はザンバラ髮に乞食のような風體で再び女のいる山に戻ると、男に捨てられた女は他の男に無理矢理連れ去られ、二人の愛の住處はそのワル男が燒き拂っていたとのこと。全てを失った男はそのまま死んでしまう、というアンマリな幕引きがこれまたキワモノマニアには堪らない作品でしょう。
本當は他にももっとモット紹介したいものがたくさんあるんですけど、字數も尽きてきたので、これくらいにしておきます。破天荒な展開と構成が国枝伝奇小説のパワーを生み出していた長編に比較すると、本作に収録されている短編のほとんどにはシッカリとしたオチと幕引きが用意されていて、まずその風格の違いに驚かされます。
もっともこのシリーズの探偵小説全集でもこのあたりは何となく分かってはいたのですけど、これだけの分量をイッキ讀みすると、その起承転結が綺麗に決まった構成の巧さがより一掃ハッキリと見えてきます。
収録作の中でもヒョンなことから生首の積まれた駕籠を擔ぐことになってしまった男とその事件の顛末を描いた「前慶安記」などは、ミステリ的な趣向も秀逸で、何故生首は駕籠に積まれていたのか、そしてそれが死体と入れ替わってしまった所以などが後半に語られる構成は、十分にミステリとして讀むことも可能でしょう。
また「道真と時平」や「郡上の八幡」など、作者の戀愛体驗も交えたデレデレのエピソードが思いの外妙な味を出しているエッセイとも小説ともつかない作品も好みで、本作のタイトルにもある「伝奇」という言葉にはほど遠い風格を釀してはいるものの、妙に印象に残ります。
という譯で、「探偵小説全集」と「歴史小説傑作選」を既に購入濟の方は、今回も限定1000部故、マストということになるでしょうか。吃驚したのは今回のジャケの装幀で、キラキラと七色に輝く紙デザインが、どことなく熱海あたりのうらぶれた土産屋の片隅に飾られている「いやげもの」めいていてちょっとアレ。
巻末に収録されている末國氏の解説も国枝小説への愛に満ちていて嬉しい限りで、編者の安定した仕事ぶり、そして一冊の本としての完成度も含めて、マニア的には非常に滿足度の高い作品といえるでしょう。