向日葵の季節は終わった、現実世界への帰還。
これは素晴らしい。當に現代ミステリとしての堂々たる風格は勿論のこと、登場人物を見つめる透徹した視線やそこから釀し出される物語性も含めてまさに大滿足の一册。作者のファンのみならず、普通の本讀みも納得の傑作ではないでしょうか。
まず冒頭、妻を癌で亡くした男の視點から始まるのですけど、本作ではこの男のほか、彼の息子やその友達の女の子といった複数の人物の視點を交錯させながら物語は進みます。
妻を亡くしてすっかり銷沈した男、さらにはその友人である精神醫學の研究員とその妻といった具合に二つの家族の樣子を描きつつ、そこに妻の死という事件を絡めながら、次第次第に狂っていく登場人物たち、……この前半部にドンヨリと立ちこめた不穩な空気がまた尋常ではないんですよ。
物語の先も・拙めず、さらには登場人物たちがそれぞれにいかにも怪しげな立ち居振る舞いを見せまくるものですから、癌で亡くなった妻の死や、そのあとに續いて飛び降り自殺をしたとされるもう一方の家族の妻の死などが一体どう繋がっていくのか等、すべての謎は謎としてのかたちさえも判然としないまま、讀者は宙づりにされたすべての事件をただ追っていくよりほかありません。
やがて飛び降り自殺の妻が殘していたという遺書などから、この死が單なる自殺ではないことが暗示され、そこへ夫が見るという幻覚や、男の子がフラッシュバックのようなかたちで垣間見た不可解なビジョンなど、狂氣と正氣のあわいを漂う登場人物たちの関連が徐々に明らかにされていくという構成も秀逸。
さらに「事件」の舞台となるのが、大学病院の精神科という設定も、この狂氣を主題に据えたように見える中盤までの展開に絶妙な効果を添えていて、後半に展開される怒濤のどんでん返しへの伏線となっているところも素晴らしい。
「向日葵」から移植したようにも思える、このいいようのない、不穩にして邪悪ささえ感じられる雰圍氣がまた最高で、ミステリ的な「事件」の核を隱したまま物語が進んでいくというところも非常に現代的といえるでしょう。
これが本格原理主義者の信奉する古典ミステリだったら、おそらくは、序盤ですぐさま讀者の前に提示される飛び降り自殺を前面に押し出して、「あれは自殺ではなくて實は殺人なのでは」みたいなかんじで話をドンドン進めていくと思うんですよ。
しかし本作では、勿論この「事件」もひとつの謎として中盤まで物語は語られていくものの、それは、男が幻視する馬の象徴するものや、自分の子供が自分のものとは思えないという妄想、さらには子供がたびたび幻視するシーンの意味するところの謎と同一の重みで扱われていくのです。それがまた多視點での語りとも相俟って、「事件」の全体を容易には把握出來ないような構造に仕上げているところもうまいなあ、と思いました。
本作ではこのように括弧付き「事件」の全貌が後半に至って明らかにされていくのですが、ここから數々の「事件」の起點となったある大きな眞相が姿を見せる謎解きの場面は壓卷で、このシーンで大きく押し出された悲哀と慟哭こそ、「向日葵」以降、單なるミステリ作家から更なる大きな一歩踏み出した作者の現在を体言しているといえるのではないでしょうか。
連城を髣髴とさせる中盤以降の目眩く小技を効かせたどんでん返し、そして「事件」の核を宙づりにしながら「眞相」とその背後の「本當に語られるべき事件」を見事に隱した構成、さらには見事な伏線とミスディレクションといったアイテムだけで、もう充分にお腹イッパイといったかんじなんですけど、個人的には、一部で「向日葵」の趣向においてマイナスとされていた「あのネタ」で物語の後半にひとつの眞相を開陳してみせたあと、現代ミステリでは最大のテーマのひとつともいえる「あれ」をを想起させつつ、その偽りの眞相を見事に反転させてしまうという豪腕がツボでしたよ。
なので、「向日葵」の眞相に對して納得がいかなかった方にこそ本作を讀んでもらいたいなア、と思うのでありました。ただ「骸の爪」の風格と異なり、ユーモアらしい雰圍氣は皆無で、終始シリアスに物語が進むゆえ讀者を選ぶかもしれません。そこのところがちょっと心配といえば心配、なんですけど、終章の凄まじい慟哭は是非とも多くの本讀みに体驗していただきたいなア、と思うのでありました。
さて、という譯で今回は意図的にあらすじをぼかして話を纏めてみたんですけど、本作の場合、虚假威しにも近いような不条理世界を現出させて讀者を眩惑させた「向日葵」の手法とは大きく異なり、日常生活の不穩な雰圍氣を描きつつ、「事件」の核を讀者から隱し通すという特異な構成からなる作品ゆえ、ここは小出しに語られる登場人物の不可解な行動を追いながら、その裏にある「何か」を探りつつ、作者の用意した仕掛けに翻弄されてみるという讀み方が吉。物語のあらすじなど細かいところは先入觀なしで讀み始めた方が斷然愉しめると思いますよ。
作品としての出来榮えは勿論なんですけど、個人的にはジャケから装幀、あらすじも含めて本作の素晴らしい完成度に感動しました。昨日讀んだ「ルーシー・デズモンド」が作品としての出來はいいのに、「商品」としては見事に破綻しているという不幸な一册だった爲に、より本作のうまさが心に染み入る、……なんていうのはちょっと大袈裟ですかねえ。
絡み合う裸を向こうからヌボーッと眺めている男の子を描いたジャケ、そして葬儀のシーンを思わせるジャケ帶のデザイン、さらに讀了したあとに見て分かる「ささやかな幸せを願う少年が辿り着いた、驚愕の事実」というキャッチコピー。ここ、少年を主格にして語られているところが秀逸で、謎解きが終わったあとのエピローグを思い返すにつれ、涙が出そうになってしまうのでありました。「向日葵」や「流れ星」もそうだったんですけど、道尾氏は本當に子供が描くのがうまいです。
それとジャケ裏の作者紹介にある「物語性豊かな作品世界の中に伏線や罠を縱横に張り巡らせる巧緻な作風」という文章は當に本作の風格を見事に纏めたものといえるでしょう。また作者紹介には俊英、なんて言葉で語られている道尾氏ですけど、本作ではすでに堂々たる貫禄さえ感じさせます。
あと餘談なんですけど、主要人物の名字が「我茂」(ガモ)っていうのはやはり確信犯でしょうかねえ。ガモという撥音からガモウ、蒲生を連想してしまうような方こそ、本作の後半で炸裂する大仕掛けに驚いてしまうのでは、なんて思うのですけど如何。
仕掛けの見せ方は「向日葵の咲かない夏」と大きく異なるもの乍ら、「向日葵」を堪能出來た方は本作も大いに愉しむことが出來ると思います。これは勿論おすすめ、でしょう。