小市民度低下、極上風味狙い。
長編「出られない五人―酩酊作家R・Hを巡るミステリー」が些かアレだった為、次のミステリ・フロンティアに期待、なんていってたら先に双葉ノベルズから本作がリリースされていましたよ。
處女作「九杯目には早すぎる」と同じ双葉ノベルズということは担当の編集者も同じだろう、ということで安心して讀み始めた本作、派手さこそないものの粒ぞろいの短篇ばかり、いかにも手堅く纏めた作品集に仕上がっています。
収録作は妻を殺されたネクラ男が毒入りの野菜ジュースを皆に飲ませて自白を引き出そうとする「野菜ジュースにソースを二滴」、誘拐された僕が監禁場所でキノコヨーグルトならぬ納豆ヨーグルトを食べさせられる掌編「値段は五千万円」、バカ娘が拾ってきた現ナマをガメてしまった母親との心理戰がトンデモない結末へと到る「青空に黒雲ひとつ」、十七年後にとある店で酒を飲むことを約束した二人の逸話を交えてマスターや客たちの人間模樣が明らかにされる「待つ男」、ジャズピアニストの弟の不可解な死の眞相がほろ苦い感動を惹起する傑作「ラスト・セッション」、振り込め詐僞が思わぬ殺人事件へと発展、小市民たちが辿り着いたイヤな眞相とは「二枚舌は極楽へ行く」など、掌編も含めた十二編。
途中から、それぞれの短篇や掌編のエピソードが微妙に繋がっていることが明らかにされていく趣向は、連作短篇といえるほど構成の妙はないとはいえ、ある事件が別の短篇で語られている事件に絡んでいたりするところはなかなか面白い。
個人的にイチオシなのは、作者らしかぬ大人の味を堪能できる傑作「ラスト・セッション」で、復活ライブの夜にピアニストの弟が指を切り落とされた不可解な死体となって發見されるのですけど、どうやらこの事件にはバンド仲間が亡くなった交通事故が暗い影を落としている樣子で、脅迫者の不穩な動きもチラホラ。果たして兄の私はその夜のライブを思い出しながら事件を回想するのだが、……。
まずピアニストの弟とプロデューサの兄との關係が、レポートや他人との會話の中で語られていく構成がいい。語り手の兄はその夜のライブを思い出しながら少しづつ事件の真相に近づいていくのですけど、結局語り手が本當に知りたかった真実は誰にも分からないという苦い幕引きも素晴らしく、小市民が一人も登場しない物語は終始シリアスに進められます。
作者「らしく」ない風格乍ら、仕掛けが明らかにされることによって小説的感動がもたらされるという、この系統の物語も書くことが出來るというのは嬉しい發見でありました。勿論作者にはもっとモット小市民がひどい目に遭うようなお話も書いてもらいたんですけど、こういうミステリ的技巧が小説的な感動を喚起する作品も併行してものにしていけば、將來は泡坂妻夫とか逢坂剛みたいに大成するんじゃア、……なんて思うんですけど如何でしょう。
ジャケ帶でもしっかりとセールスポイントとして挙げられている小心、小市民テイストが満喫出來る作品としては、「野菜ジュースにソースを二滴」がいい。野菜ジュースが大好きだった妻が毒を盛られた結果、交通事故に遭って死亡。旦那はその夜に飲んでいた連中を參集させて野菜ジュースをすすめるも、そのなかには毒が入っていたと宣言。果たして解毒劑は旦那の手許にあって、……という話。
小市民たちは自分が犯人ではないと主張する一方、旦那は誰が犯人だか分かっていてそいつだけに毒を盛ったと自信満々。しかしこの中の一人が辛抱タマランとばかりに解毒劑をイッキ飮み、しかしそこから毒薬ミステリらしい趣向で意想外な推理が展開されていくところが秀逸です。
こういう話をさらりと、いかにも手堅く纏めてしまうところが作者の持ち味で、本格ミステリの技法を踏まえつつ、肩の力を抜いて愉しめるところも素晴らしい。「大松鮨の奇妙な客」のような奇天烈さこそないものの、非常によく出來た佳作ということが出來るのではないでしょうか。
構成に趣向を凝らしたものとしては、時間軸と語りを交錯させた「青空に黒雲ひとつ」が印象に残ります。この作品の前に収録されている「値段は五千万円」で語られた誘拐事件で、誘拐された子供の親が犯人の要求に従って札束をビルの屋上からバラ撒いているんですけど、この作品ではその現ナマと思しきウン百万円を拾った娘を訝しむ母親の語りと、その母親の介護を行っているヘルパーの場面を交えて物語は進みます。
母親は娘が拾ってきた現ナマをガメて、とある場所に隱しているんですけど、娘はどうやらその在処を知っているようないないような微妙な雰圍氣。轉々と職を變えては一向に安定しない娘のダメっぷりを心配しつつ、その一方、介護ヘルパーの場面では件の母親は何処かに出掛けたきり行方が知れないという。語りの時間を前後させながら二つの場面が交錯した時、後半で起こったとある事件の真相が明かされるのだが、……という話。
掌編でその技がより冴えを見せるのもこの作者ならではで、ここにミステリ的なキレを求めるのであれば「冷たい水が背筋に」がおすすめ。とある男の扼殺死体がバスルームで見つかり、ほどなくして容疑者の男が捕まります。しかしこの男の証言によると、殺された彼はバスルームではなく炬燵でごろ寝をしていたという。果たして容疑者の言葉を違う、と否定する私はことの眞相を語り始め、……。女の妄執にぞっとしてしまう幕引きが冴えている掌編でしょう。
またミステリというよりは殆ど怪奇小説にも近いイヤ感を釀し出しているのが「懷かしい思い出」で、これはかなり自分好みですよ。小學校以來久しぶりにとある町を訪れた私がバス停でボンヤリしていると、後ろから声をかけられます。
男は久しぶりだな、なんて氣安いかんじで声をかけてくるんですけど、私には見覺えがない。どうやら語り手の私はこの男のことをイジメていた樣子なんですけど、過去の記憶を思い出せないもどかしさが次第に恐怖へと變わり、……というふうにイヤな過去、思い出せない記憶を扱っているあたりが高橋克彦の恐怖小説フウ。
小市民テイストだけじゃない、ミステリ的趣向を凝らした極上の短篇や、技の冴える掌編、さらにはイヤな恐怖小説まで、作者の多彩な作風を堪能出來る作品集。處女作で見せた突き拔けたかんじこそないものの、短篇集二作目としては、多くの持ち技を披露しているという點で評價出來るのではないでしょうか。處女作が愉しめた人にオススメしたいと思います。