壯絶!大人の學藝會。
逆説論理の殺人事件も起きない非常に地味な作品乍ら、怒濤の内面描寫だけで操り、操られ捲りの人間關係を描き出した連城氏の異色作。ドンデン返しの派手派手しさこそ「牝牛の柔らかい肉」や「美の神たちの叛乱」に讓るものの、本作の見所はやはりこの、登場人物たちのネチっこい心理戰を獨特の手法で展開させたところにありまして、演劇調ともいえるいかにも作り込まれた會話と、ネチっこい地の文で語られる登場人物たちの複雑な心理描寫のみですべての物語を展開させているところが素晴らしい。
物語は、ハイソな倦怠中年夫婦が譯ありでフランスはロワールの豪華なホテルに宿泊していると、そこへ怪しい日本人青年が登場、中年夫婦の妻はこのハンサムボーイに一目惚れしてしまう。しかし青年には婚約者の日本人娘がいて、彼女はホテルで予告通りにリストカットを敢行、醫者でもある中年夫は彼女を助け出します。しかしこの場所で中年妻と青年は意氣投合、娘を中年夫にけしかけて二人をくっつけてしまおうと畫策するのだが、……という話。
離婚しようかどうしようかと迷っている中年夫婦の前に突然現れたカップルが物語を引っかき回すという展開ながら、中年夫の方は幾度も妻に内緒で浮気をしているその道のプロでありますから、そうそう妻と青年の淫靡な奸計にのっかる譯にはいきません。
一方、「ゲームのルールは俺がよく知っているから」と自信満々なハンサムボーイは、いかにも娘のことなら何でも知っているからこの操りゲームの主導権を握るのはあくまで俺樣、とばかりに振る舞うものの、このゲームの相方となった中年妻の方もまた旦那の浮気を知りながらそれを見逃していたという腹黒い一面を持っている故、このまま青年のペースでことを進めていく筈がない。
こんなかんじでそれぞれが相手の裏をかきつつ、操りゲームの主導権を握ろうと樣々な仕掛けを行っていく譯ですけど、ここで一番の不確定要素となっているのが青年の戀人である娘っ子で、彼女もまた青年のことなら自分が一番よく知っていると内心ではそれなりの自信を見せつつ、實をいえば自分のことさえ一番よく分かっていないのがこの娘っ子。
例えば彼女がフランスのホテルで中年夫婦と知り合ったシーンを回想する場面でも、自分があんなことをしたのはこうするためだったと「思う」なんて感じで、自分の行動原理も理解出來ていない危なかっしさがこの操りゲームに奇妙な搖らぎを與えているところなど、サスペンスを盛り上げる為の布石にも拔かりがありません。
またリストカットなどという荒技で次なる展開の引き金をひくのも必ず彼女で、次第にこんな娘っ子に惹かれていく中年男は、それでも妻がコッソリ件の青年と浮気な關係を續けていることは百も承知。果たしてここに青年の愛を取り戻したい娘っ子と中年青年との互恵關係が成立し、操りの裏の裏をかくような異樣な物語が展開されて、……。
冒頭、四人がフランスで知り合う時には、娘っ子が狂言自殺を行ったり、ハンサムボーイの運転する車が事故ったりと激しい事件が立て續けに發生するんですけど、これらも總てはゲームの主導権を握ろうとする登場人物たちの命がけの演技であることがすぐまさ讀者の前に明かされていくところは「恋文」以降、作中でめまぐるしいどんでん返しを見せる氏の作風の眞骨頂。
四人の内面が執拗に描かれるばかりで、事件らしい事件が發生しない中盤、相手の心を探り合う腹藝のみで物語が進んでいくという異樣な展開はある意味極北。相手の心理こそがもっともミステリという言葉をそのままに、これだけネチっこく登場人物たちの内省が描かれていながら、彼らが本當のところ何をしたいのか、このゲームにどういう決着をつけたいのかがマッタク見えてこないところも秀逸です。
操「られる」側がその操りを自覺して動いているのに、そこへまた別の人物の思惑が絡んできて、それぞれの計畫が妙な方向に進んでいってしまったり、或いは相手が自分の操りを自覺していることを知りながら、敵を騙すにはまず見方からと相方に事實を告げないでまた新たな操りの糸を巡らせたりするところなど、中盤も過ぎるともう完全に理解不能、しかしそれが堪らない。
途中からさりげなく名前だけが頻繁に出て來る輩が、この操りの裏で糸を引いているような怪しさを醸し出しているんですけど、後半はそんな期待に応えるようにこの人物がトンデモないことをしでかしてジ・エンド。しかしこの物語の中でもっとも劇的ともいえるこの人物のある行動もまた、操りゲームの盤上で躍りまくる登場人物たちにとっては駒を次に進める為のきっかけに過ぎない、という幕引きにも皮肉が効いていて面白い。
最後は何となくハッピー・エンドみたいな終わり方をするんですけど、この晴れやかな旅立ちのラストも直前、登場人物の中ではもっとも安定して操りの糸をひいていた人物にダメ出しをされているという逆説が素晴らしく、續けようと思えば延々と續けられるようにも見える、この大人の操りゲームの幕引きにふさわしいラストも洒落ています。
流麗な文体でありながら、登場人物たちの會話や所作、そして展開と構成のすべてにつくりものの妖しさを感じさせる本作、あからさまにミステリとは銘打ってはいないものの、怒濤の主観描寫で操りの深奥を堪能できるゆえ、現代の本格ミステリの魅力を愉しめる方であれば、本作のような「らしくない」物語にもミステリの巧みを投入して物語の妙を生み出すことの出來る作者の技を思い切り堪能出來ると思います。