ともかちゃん危機一髪。
[追記 07/26/06: 今讀みかえしてみて氣がついたんですけど、何か今回は結構ネタバレしてしまっているような。未讀の方は御注意のほどを。あからさまには書いていないんですけど、勘のいい人は氣がついてしまうかもしれません。]
「千一夜の」なんてタイトルから、「紅樓夢」みたいなヘビーな内容を期待してしまうんですけど、實際は芦辺氏があとがきでも述べている通り、活劇スリラーやメロドラマ的要素をテンコモリにした冒險活劇探偵小説です。
もっとも芦辺氏のいう「探偵小説回帰」が古典主義や復古主義ではないということは、物語の舞台を現代に据えるとともに、量子コンピュータなんていうアイテムをネタに使ったりするところからも明らかでしょう。遺産相續を巡ってゲスい小悪黨どもが殺されまくるという往年の探偵小説めいた展開に見事な仕掛けを施して、読者をだまくらかすというイジワルぶりが光る好編です。
今回主役を張るのは超地味探偵森江春策ではなくて、助手の新島ともか孃。で、今回の裏テーマは女の子イジメ。とにかく、本作のともか孃は犯人に背後から襲われるわ、スケベ野郎にグフグフと迫られるわ、ボンクラ警部に犯人と疑われるわ、最後には犯人と對決と當に八面六臂の大活躍。
物語は、ともか孃がとある事件をきっかけに從姉妹の女性と再會、實は彼女は數理情報學の権威である大博士の孫で、森江は知り合いの弁護士からこの大博士の遺言状の公開と立會の仕事を引き受けます。しかし遺言状の公開をきっかけに、一族がジャカスカ殺されるという異常事態が發生、從姉妹にかわってこの一族に潜入したともかは事件に巻きこまれ、犯人の手は彼女にも迫る。果たしてともか孃の命運やいかに、……という話。
遺言状が公開されてハシャぎまくる小悪黨や、お姉さん大好きな純朴少年、譯ありフウの紳士など、まさに往年の探偵小説ドラマを思わせる造詣も素晴らしく、疊み掛けるように絞殺、刺殺、毒殺と、オーソドックスながら探偵小説的殺人のフルコースが開陳される展開も愉しい。
またこれはこのシリーズに共通の風格だと思うのですけど、これだけバタバタと人が死んでいくのに悲壯感はまったくなし。もっとも莫大な遺産に取らぬ狸の何とやらで鼻の下を伸ばしているようなゲスどもが殺されていくばかりでありますから、ここに「時の」シリーズのような社会派的な要素を期待するのは野暮というものでありましょう。寧ろ、芦辺センセの作品の過剩に過ぎるサービス精神がちょっとアレだなあ、なんて思っている人には、娯楽趣味に徹した本作の方がスマートに感じられるかもしれません。
冒頭、言うことを聞かないパソコンにブチ切れた森江探偵の口をかりてこの大博士のキャリが語られたりするんですけど、「これって坂村健?」みたいなところや、中盤この大博士がビルドした人工知能とともか孃が會話する場面など、キッチュな雰圍氣も滿點。いつになく地味に見えてしまう森江探偵が相當にアレなものの、そのぶん最後の犯人との對決シーンで披露される「グラン・ギニョール」以上の大仮装大會でのハシャギぶりもまた見所のひとつでありましょう。
地味といえば、ひとつひとつの殺人に仕掛けられたトリックもいつになく小粒乍ら、實は本當の大仕掛けはほかにあって、ここから讀者を目を反らせる為の手際の良さが光ります。何だか、有栖川氏の新作「乱鴉の島」とか道尾氏の「骸の爪」もそうでしたけど、これって最近のミステリの傾向でしょうかねえ。
特に本作の場合、ともか孃もおかしいおかしいなんて物語の中で呟いているあることの眞意にたどり着かないと、犯人の動機がサッパリつかめないというところや、大博士の莫大な遺産を巡って展開される連續殺人という、往年の探偵小説の風格を見事にトレースしながらそれをシッカリと騙しに利用するという、芦辺氏のイジワルぶりが冴えまくる趣向が素晴らしい。
探偵小説回帰を宣言しながら、この回帰宣言をもネタにして讀者を欺いてやろうというところが、いわゆる古典派や復古派とは大きく異なるところでありまして、このあたりに芦辺氏のミステリ界における立ち位置を探ってみるのも一興でしょう。
また事件の本筋とは離れたところの仕掛けも洒落ていて、特に冒頭「月の砂漠」の逸話とともに添えられている「若狭群県志」の意味が最後に森江の推理で明らかにされたところが個人的にはツボでしたよ。
しかしこの大博士の人工知能が實は事件の大きな鍵を握っているんですけど、これに關しては正直、森江の推理に「いや、まさか、いくら何でもそんな……」と絶句していたボンクラ警部に完全同意。このあたりの奇天烈というか、キッチュなネタの仕込みもまた本作の大きな魅力なんですけど、リアルを求めすぎる人には全然受け付けられないのかもしれません。まあ、自分的には全然問題なしでありました。
またエピローグで語られる千夜一夜の逸話が本編の登場人物と繋ることによって、今まで語られた物語が千夜一夜の中に取り込まれるという洒落た構成も「少年は探偵を夢見る」以上に洗練されていて、これも素晴らしい。
ともか孃の秘密が明かされたり、森江探偵の東京進出が最後に仄めかされたりと、森江春策シリーズの中でも大注目の一作。個々の事件よりも、事件全体に仕掛けられた作者の巧緻なトリック、エピローグ、プロローグと本編との繋がり、さらには館ものを想起させる表題にもまたひとつの趣向を凝らしたところなど、芦辺氏の指向するミステリのエッセンスが十分に詰まった作品でしょう。
まあ、個々の殺人が往年の探偵小説フウに些か地味なゆえ、ド派手さはありませんが、そのぶん、ともか孃大活躍の冒險活劇、探偵劇的なところは大いに愉しめると思います。個人的には探偵小説、冒險活劇、社会派と日本のミステリが通過してきたあらゆる要素を欲張りなほどに詰め込みまくった「時の」シリーズみたいなほうが斷然好みなんですけど、こういう軽めでスマートな作品の方が意外や普通のミステリ讀みには愉しめるのではないかなアと思うのですが如何。
このあたりのスマートさがすぐれて現代的だと感じた次第で、繰り返しになりますけど、「探偵小説回帰」という作者の言葉にゆめゆめ欺かれないよう。すべては読者を欺くためにという芦辺センセのイジワルぶりを十分に理解しつつ、この素晴らしい物語にドップリと浸っていただければと思いますよ。
それと最後のあとがきで、「昨年も終盤、私は自分を今の道に導いた”神”的存在のお二方に相次いで会うことができました」と芦辺氏が述べてまして、その神の一人が台湾の島崎博御大。「紅樓夢」の台湾リリースで訪台した時のことだと思うんですけど(因みにこの時、芦辺氏は既晴、凌徹兩氏にも会われています)、このほか、「紅樓夢」を出版した遠流出版から「一千零一夜 分夜全訳本」をいただいたことなど、さりげなく台湾ミステリ界との交流について言及されているところに注目でしょうか。
藍霄氏が今春訪日して第九回日本ミステリー文学大賞の授賞式に出席されていたこととか、台湾ミステリ絡みのことが日本のプロ作家の方からもう少し出て來ると自分的には嬉しいんですけど、まあ、この手のネタは自分もこのブログや例のウィキの方で補足していこうと思いますよ。