主演、松井冬子孃。
髮の毛ホラーなる新奇な名前でアピールする本作ですけど、ホラーといいつつ實は怪談という言葉の方が相應しいと思われる傑作選です。全編貞子みたいな不氣味ちゃんが大活躍する恐怖譚ばかりかと思いきや、どちらかというと髮の毛本来が持っているおぞましさを前面に押し出した作品が多く、怖いというよりは気色惡いおぞましいというかんじですかねえ。
本作は讀者をブルブルと怖がらせることがコンセプトなのではない、というところは冒頭、園子、加門兩氏を交えて髮の毛恐怖譚に盛り上がる座談会からも明らかで、ここでは園子氏を茶化し乍らも和気藹々と盛り上がるおしゃべりのなか、加門氏がさりげなくゾーッとする怪談話を添えるところがナイス。
で、ムチャクチャ怖い話のテンコモリを期待していたホラーマニアは、この冒頭の、ホンワカムードで展開される座談会の雰圍氣に肩透かしを喰らってしまう譯ですが、この後に續く伊藤人誉の「髮」は一轉、ベタなタイトル通りのおぞましさで迫りまくる短編で、電車の中で絡まれた、というか女の長い黒髪を洋服に絡めてしまったモジモジ君の恐怖譚。
絡まった黒髪を一本たりとも切ってくれるな、と黒髪女にきつくいわれたモジモジ君は、女のいわれるまま、彼女の家に上がり込むのだが、……って、もうすでに黒髪女に電車にマークされてしまった時點でこのモジモジ君は完全にアウト。どうにも押しの強い黒髪女の配役には是非とも松井冬子孃をセレクトして短編映画に仕上げてもらいたい期待通りの逸品でしょう。
加門七海の「実話」はこれまたベタなタイトル通りに、學校の怪談がマンマ実話となって主人公に襲い掛かるというお話。女生徒たちのいかにもそれっぽい會話や「心臓がバクバクいっている」なんていうこれまた妙に投げやりな文体を驅使する一方で、怪異を告げる電話や窓に流れる血筋、紫烟がつくりだす人顏などのディテールにこだわった描写が見事。
何となく実話怪談の風格をそのまま小説にトレースしたようなぎこちなさがあって、このあたりの違和感が最後のいかにも小説の結構でしかなしえない定番のオチで幕引きとなるところも面白い。
気色惡さという點でピカ一だったのが、村田喜代子の「生え出ずる黒髪」で、當に作中の登場人物が呟いた通りの「こんなに気色悪くて、あつかましくて、のさばっていて、うっとうしいもの」を完璧に描き切ったというところが最高。物語は日光の山ン中に髮の毛みたいなものがブワーッと垂れ下がっているという妙な話を聞きつけた物好き連中が、ツアーを組んでその怪異を見に行くというお話。
このほか、一軒家の軒下に髮の毛がビッシリと生えているというエピソードもあって、物好き連中は、ツアーの最終日の夜に、この山中の髮の毛状のものとくだんの軒下から採種したという毛髮を枕の下に敷いて寢るのだが、果たして、……。髮の毛の描写のおぞましさというところでは、軒下の髮の毛を覗き込む場面がピカ一で、ここは怖いというよりは強迫的ともいえる気色惡さが際だった名シーンでしょう。
どうにも頭を抱えてしまうほどブッ飛んでいるのが赤江瀑の「闇絵黒髪」で、とある絵師がロン毛女の死体を見つけてしまう。しかしその場に落ちていた櫛が見事だったので手にとってしまったのが運の尽きで、指紋を残してしまってはマズいとその櫛を持ち歸るものの、以後、男は黒髪女の死体の鮮烈な姿に苛まれることになってしまう。
やがて男は意を決して黒髪女の死体をコンセプトにした大作を發表、巷では大いに話題となるものの、或る日絵を見たという妙チキリンな男が彼の元を訪ねてくるのだが、……という話。
冒頭からこの絵師の妙に偏執的なところばかりが強調されているものですから、こいつが黒髪女に取り憑かれて最後にはトンデモないことになるんだろう、なんて期待しながら讀み進めていくと、物語は中盤から妙な方向に流れ出します。
この絵師を訪ねてきた男の方が實は數段頭がイカれていて、絵師の仕上げた大作の中に描かれていた櫛を是非とも見せてくれ、という。實をいうとこの絵師、死体の傍らに描いた櫛というのはそれがモデルだったというところからも、このイカれ男が黒髪女の事件にかかわっていることはもう確実。
執拗なほどに櫛を見せてくれと、とにかく食いつきが素晴らし過ぎる男を調べてみると、どうやら彼の周囲には女の長い髪の毛がたびたび出没、周囲の人間は何かに取り憑かれているんじゃないか、なんて白い目で見ていることが発覺。果たしてこの黒髪の正体は……。
怪談フウの話で進めながら最後にこれがミステリ的なオチをつけて集束するのですけど、ある意味バカミスすれすれの展開に脱力寸前。これをいつもの赤江節で最後まで描き通すものですから堪りませんよ。この素晴らしいギャップが何ともなキワモノぶりを醸し出している怪作でしょう。
皆川博子の「文月の使者」は、雨上がりに壊れた橋のところで妙な幻聽を聞いたモジモジ君が女にふと声をかけられて、……という話。女とこのモジモジ君が語り出す逸話が最後にモノノケどものドンチャン騷ぎへと變じるバカっぽさが妙に愉しい一編です。
最後へこの「文月の使者」を持ってきたところから察するに、本作のコンセプトは怖がらせるというよりは黒髪ネタを愉しむといったかんじでありまして、小酒井不木の「毛髮フェチシズム」などは、作者お馴染みの醫學ネタの小咄かと思いきや實際は毛髮マニアの小講義。このほかにも宮田登の「女の髪」など、巻末の東氏の「貞子はなぜ怖いのか」も含めて、物語、小講義などさまざまなテキストによって黒髪のおぞましさをタップリ堪能してもらおうというのが本作の趣旨なのかなア、と感じた次第です。
で、一番ぞっとしたのが實をいうと東氏の「貞子はなぜ怖いのか」の最後に添えられていたとある写真でありまして、引用元は全然ホラーでも何でもない「あるもの」なんですけど、この不氣味さは尋常じゃありませんよ。もしかしたらこれだけでも本作を手に取る價値はあるかもしれません。
その他、定番の泉鏡花や、モーパッサンでありながら素晴らしい日本語ゆえにどうにも和モノっぽい仕上がりになっている岡本綺堂訳「幽霊」など全十二編を収録。冒頭の座談会や最後の皆川博子の作品からも感じられる軽妙さが本作の特色であるゆえ、ヘビーな恐怖を味わいたい方にはちょっと、という構成ながら、編緝にいつもの東氏テイストは勿論健在なので、そのあたりはご安心のほどを。