倒錯惡女列伝。
時折無性に讀み返したくなるのが連城三紀彦の短篇でありまして、今日は粒ぞろいの氏の作品集の中でも、個人的には「夜よ鼠たちのために」に竝んでイチオシの本作を取り上げてみたいと思います。今回は美文調で描かれる物語の女達を敢えて斜めから見るようなキワモノっぽい讀み方をしてみましたよ。
収録作は、マゾ女が繼子へのシゴキを繰り返すことでサドへと覚醒、恐るべき愛の犯罪の形態を描いた「能師の妻」、義姉に誘惑されたネクラ男の意外な告白「野辺の露」、結核男とカフェの女給の美しい愛を描いた「宵待草夜情」、人形宣言をした不倫妻とご主人樣のダブル自殺に隱された眞相を暴く「花虐の賦」、ダメ男に翻弄された女の半生が殺人の時効を巡って二転三転する「未完の盛装」の全五編。
連城ミステリのもっとも先鋭的な一面を垣間見ることが出來るのが「能師の妻」で、冒頭、現代の銀座で人骨が見つかるところから、語り手の妄想を経て、明治の昔とある能師に後妻として嫁いだ女の半生が描かれていきます。
この女は子供の頃、息子のいない能師の父から手ほどきを受けて能舞に關しては天才的な技倆を発揮、やがて能師の男に嫁いだものの自分の技の方が旦那より遙かに優れていたが故に家を出されるというという仕打ちを受ける。しかしとある能師の男と出会い、この男の後妻としておさまります。やがて夫の死後、女は繼子に恐ろしく難易度の高い演目を教えることとなるのですが、このシゴキが尋常でない。
繼子が少しでも間違えるとシバく、反抗的な態度を見せれば縛るとそのシゴキも次第にエスカレート。しかし當の繼子は繼母のイジメに滿更でもない樣子で、お父上から能の技術を厳しく仕込まれたこの女、實をいえば父親からは能のほかにもうひとつ、とあるものをその體に叩き込まれておりまして、それが能の舞とはほど遠いサドマゾの變態嗜好。
暗い土藏に緊縛姿で閉じこめられるなどの罰を与えられるうちに隠れマゾへと覚醒した女は、内にある暗い嗜好に自覚こそなかったものの、繼子イジメを繰り返しているうちに、シバかれるだけでなくシバくことにも快感を覚えるというサド女へと變身。一方の繼子も實をいうと子供の頃からソッチ方向には大いに関心があった樣子で、緊縛図を繼母に見せつつ「お母さん、ボク、こんなふうにされたいです」とさりげなく自分の變態嗜好をアピールするというモジモジぶり。
奇しくも變態嗜好に關しては完全な一致を見た二人はさらに血の滲むような練習を繰り返し、御披露目講演では見事その演目を演じきったものの、その三日後に繼子は不可解なバラバラ死体となって發見されます。さらにその犯人と目される繼母は失踪。果たしてこの事件の眞相は、……という話。
變態プレイが昂じて凌遅処死に及んだ繼母が、……なんてふうに考えてしまうのは自分みたいなマニアだけだと思うんですけど、バラバラ事件の真相はこんな自分の不埒な創想像の遙かに上を行く壯絶なものでありまして、とあることを爲し遂げる爲にトンデモないことをやらかしてしまうという、動機からその犯行方法に到るまでその全てに常軌を逸した事件の実相は當に連城氏の獨壇場。
そしてこの真相が明らかにされる刹那に判明する二人の壯絶な究極の愛の形態。徹頭徹尾異樣な人間を描いたものながら、それが美しい愛の物語へと昇華されてしまうというこの形式の転倒が素晴らしい。個人的には、連城氏の作品の中では「親愛なるS君へ」と竝ぶ究極のSMを描いたミステリとして評價したい大傑作。
「能師の妻」と男女の関係が相似形をなすのが「花虐の賦」で、この作品もまた「終章からの女」や「どこまでも殺されて」にも通じる異樣な動機と転倒が炸裂する好篇です。
劇作家に拾われた女優くずれの人妻は、ご主人樣である劇作家に一生の忠誠を誓う爲に「一つ、私は先生の人形になります」という一文から始まる「誓詞」を書かせられる。「誓詞」なんて言葉は恰好いいんですけど、内容の方は要するに奴隸宣誓書。
「一つ、私は先生の命通りに動き、望む言葉を喋り髮ひと筋まで先生に預けて暮らします」「一つ、先生のみを信じ、先生のみを心の支えにし、先生のみを愛します」という言葉通りに、彼女は笑うのにもイチイチ先生の許可を得るような奴隸ぶりを発揮。
こんな從順に尽くしまくる女の姿にホクホク顔だった男はしかし、女を主役に据えた正月公演を大成功におさめた後に水死体となって發見され、今度はその法要を前に奴隸女が同樣の場所で死体となって見つかります。果たして二人の心中事件の背後にあった事實とは、……という話。
謎めいた心中事件に見えるところから既に作者の騙しは始まっていて、ここへ第三者の語りを交えて展開される構成がまず秀逸。そして上に挙げた人形宣言も含めた全ての意味が転倒して、奴隸のごとく仕えていた女の真意ととある人物の哀れっぷりが明らかにされる謎解きの異樣さは、ミステリの結構を具えつつ、最後にはそれさえも突き拔けてしまいます。ミステリ的な謎が異形の愛として完成されるという構成の妙をここでは充分に堪能したいこれまた傑作でありましょう。
最後の謎解きで、物語のすべての結構が反轉するというどんでん返しの冴えを初期の連城ミステリの一つの特色とすれば、二転三転する展開で讀者を翻弄するという中期の素晴らしさを見せるのが「未完の盛装」。
戦争中に間男とデキてしまった妻が、悶絶しながら死んでいく旦那をボンヤリ眺めている、……という冒頭のプロローグからして仕掛けは満載、時を経てこの女が主人公の弁護士を訪ねてくるのですけど、相談内容というのがまた常軌を逸している。
何でも自分たちは昔、人を殺し、そのことでとある人物から脅迫を受けている、しかしすでにその脅迫のネタとされている事件については昨日キッカリで時效となっているゆえ、弁護士センセイにおかれましてはどうかその人物を説得していただきたい、というもの。
しかしこの脅迫事件の背景にはトンデモない眞相が隱されていて、……というところから、件の殺人事件は二転三転、脅迫するもの、されるものが仕掛けたトリックとは果たして、……という話。
過去の事件を現代の第三者が繙くという趣向は上の「能師の妻」などと同じながら、こちらは少しづつ判明していく事実が事件の実相を變えていくという、中期の長編にも通じる構成が際だった一篇です。
そのほか「野辺の露」は、モジモジ君が義姉に誘惑される樣子が見所で、鈴虫にかこつけて自分の胸を触らせたり、はたまた間接キッスを仕掛けたりと、實兄を裏切って悶々とするモジモジ君の当惑ぶりに相反して、義姉の大胆さが素晴しい対比を見せています。
もっともここにも仕掛けがあって、一番のワルは誰だったのか、というところが最後に明かされる眞相は正直、非常にカワイソウ。まあ、誰が一番可愛そうか、っていうのは是非とも皆さん自ら本編に當たって確かめていただきたいと思いますよ。
この作品は、ほかの収録作に比較すれば構成も非常に直截的で、戸川センセの作品にも似た一發技が冴えた短篇です。大技一つで物語の実相をひっくり返す趣向ゆえ、普通の小説として見た場合は、こういう話の方が評價が高いのかもしれません。とはいえ、とある人物のとある動機が非常に強烈で、そのためにここまでするかという鬼畜ぶりはやはり孤高。
ミステリの仕掛けは控えめながら、恋愛物語、そして一人の青年の成長譚としての風格をもった表題作も素晴らしい出来榮えでこれも好み、という譯で、全編樣々な趣向も凝らしたハズレなしの傑作集。自分は新潮文庫版しか持っていないんですけど、今だとハルキ文庫の方がお得なのかもしれません。しかしこれまた絶版みたいなんですけど、どうにかならないものですかねえ。