何なんでしょう、この「違和感」は。
確かに事件の枠組みと論理の冴えは今までと何ら變わるところはないのですけど、讀んでいるあいだ、どうしても拭いがたい違和感というかモヤモヤがずうっと頭のなかにありまして、正直、この物語を完全に愉しむことが出來なかったんですよ。
決して駄作という譯ではないんですけど、……ですけど、何か納得出來ないんですよねえ。で、それは何故なんだろうということを考えてみないといけません。まあ、その前にとりあえず物語のあらすじを書いておきます。
石垣島でダイビングツアーで遭難してしまった過去を持つ六人が打ち上げ會を行ったその夜、美月という女性が青酸カリで服毒自殺を図ります。遺書も殘されていて、警察の捜査も自殺ということで決着しているのですが、葬儀のあと、殘された五人が再び集まったとき、死体の状況の不可解な點から、彼女の自殺を幇助した者がこのなかにいるということになって、……というお話。
冒頭、僕が彼女の死体を発見するところから物語は始まります。第一章の「セリヌンティウス」のはじめで六人が遭難したときのいきさつが語られるのですが、物語の殆どは彼女の不可解な死の状況を皆が推理することで進み、ところどころに過去を回想するかたちで、遭難したときのことやその後のことが插話ふうに語られます。
で、上のあらすじのところでも触れたとおり、彼らが推理するのは、美月の自殺を幇助したのは誰かということでありまして、ここでは「美月が自殺したこと」というのは「眞實」として登場人物の間で了解されておりまして、このことにツッコミを入れるひとがいないんですよ。ここが何というか自分が感じた違和感の根元ではないのかなあと思っているんですけどねえ。
というのも、ミステリの世界で自殺っぽい死体が見つかればそれは當然、自殺を擬装した殺人であることは作者と讀者の間で了解されている譯じゃないですか。勿論推理した結果、それが自殺であったというところに落ち着くとしても、まずは殺人か、というところで話が展開していくのが御約束ですよねえ。
で、讀者としてはこの登場人物たちがいつそのことについて言及するのかと思いながら頁を捲っていくのですけど、これがいったいどうしたことか、話は全然違う方向へズンズンと進んでいくんですよ。そんな譯ですから、こちらとしては「おいおいおい、いったい何をやってるんだろうねえおまえさんたちは。いかげん早く誰かツッコミを入れなさいよ」(猫丸先輩の口調で)と声をあげたくなってしまうのです。
更には、死んだ美月がそのことに氣がつかない筈はない、とか、美月が自分のたちのことを考えていない筈はないとか、とにかく登場人物たちの胡散臭げなものいいが鬱陶しく感じてしまうんですよ。で、ハタと氣がついた譯です。嗚呼、これって、「扉は閉ざされたまま」の動機の點とか、「月の扉」の香具師っぽいおっさんとか、作者の作品のなかで必ず缺點として挙げられていた要素そのものじゃありませんか。
本作の場合、ジャケ帶にもある通り、「信頼の絆」というのが物語の主題になっておりまして、いうなれば、作者の過去作のなかでもあまり受け入れられなかった要素を本作では物語の主題にガッチリと据えて、そこにミステリとしての骨格を組み上げてしまった譯なんですよ。だからミステリとして話は進むものの、その胡散臭くて受け入れられない部分が物語全体に通奏低音のように鳴り響いておりまして、どうにも物語にのめり込むことが出來ないのでありました。
勿論、ミステリとしての展開だけを見れば、小瓶を巡る推理など當に作者の技の冴えはいつも通り、素晴らしいです。しかし上にも書いたように、根本的なところでこの推理の展開を受け入れることが出來ない自分がいるんですよ。
「するってえと何かい、おまえさんたちはそういうふうによい子さんぶって、自分たちの仲間を片時も疑ってみるってえことをしないのかい。それは違うでしょう。おまえさんたちはミステリの登場人物なんだよ。その自覚があるのかいないのかい、ええっ、どうなんだい。ミステリの登場人物だったらそれらしく、こういう時には誰かが毒を盛ったんじゃないのかって疑ってみるもんなんだよ」(猫丸先輩の口調で)
という譯で、登場人物たちも確かに普通の「いいひと」たちなんでしょうけど、どうにも感情移入が出來なくてムズムズしてしまいましたよ。「水の迷宮」のキャラたちにも、本作の登場人物たちを髣髴とさせるような要素は確かにあった筈なんですけど、あの物語の場合、あることを爲し遂げようとすることから生じる必然的な連帶感、みたいなものが根本にあって、彼らの人間關係やそこから釀し出されるそこはかとない違和感はそのなかに中和されていたと思うんですよ。
しかし本作の場合、その連帶感、というか彼らを繋ぎ止めているものっていうのが、遭難したときに一緒にいたから、……ってどうにも承服出來ない代物でありまして、それで「人の心を疑うのは、最も恥ずべき惡徳だ」とか「信頼の絆」といわれてもどうにも胡散臭いというか何というか。このひとたちの仲間にはなりたくないなあ、お友達にはなりたくないなあ、とそんなことばかりを考えてしまうのでありました。
で、こういう主題と登場人物たちは、この舞台装置と物語を支えるため「だけ」に据えられたものなのかどうか、というところが氣になる譯でありますが、ジャケ裏の著者のことばを見ると、「友人の不審な死を目の当たりにしたとき,関係者の間には疑心暗鬼と敵対心しか存在し得ないのか。この本に描かれているのは、そのようなことに懊悩する、普通の、けれど気高い人たちです」って書いてあるんですよ。「関係者の間に生まれる疑心暗鬼」を描くのがミステリじゃないの、と平々凡々な自分などは考えてしまうんですけど違うんでしょうかねえ。
もしかしたら本作は、ミステリの御約束をブチ壞しているという點で、凄く斬新な小説なのカモ、……という思いがチラチラと頭を掠めるものの、本作に感じる違和感というものが、作者の過去作品の持っていた缺點から表出したものなのか、それともミステリの定石を崩していくという大胆な試みによるものなのか判断出來ないので、困ってしまいます。とりあえず皆さんのレビューを待ちつつ、自分の評価は保留、ということで。