まったくこのベタなタイトルはどうにかならないんでしょうかねえ。
中町信といえばもうアレ系ですよねえ。創元推理文庫からリリースされた「模倣の殺意」、「天啓の殺意」で打ちのめされて以來、中古屋で見かけてはマメに拾い集めているんですけど、今日レビューする本作もそんななかの一册です。勿論内容とはいうと、このあんまりなタイトルに反して、しっかりとアレ系の仕掛けを凝らした佳作でありました。
プロローグは御約束通り、私の一人稱から始まります。佛壇の据えられた部屋に坐り、黒枠の額に納められた寫眞を見つめている私。私は「自殺に追いやった責任の一半はこの私にあるのだ」と遺影に向かってひとりごちると、傍らにあった日記帳を手に取ります。
日記帳が出て來るからには當然アレ系の仕掛けがあることは間違いない譯ですけど、それでも自分はかなり驚かせてもらいました。以後、章の冒頭にはこの手記からの抜粋が添えられているのですが、中盤を過ぎた辺りで妙な違和感を感じたものの、最後まで讀み進めてみれば、意外過ぎる犯人が突然現れて唖然呆然、というかんじです。確かにこの手記を使えば考えつく仕掛けではあるのですけど、まさかこれが犯人だったとは、という驚きが強く、アレ系としてはありふれた仕掛けながら更にそこへもう一つフックを效かせているところがいい。
第一章「暗い邂逅」の冒頭にある手記によれば、「久しぶりの家族旅行」に新潟は大湯温泉にやってきた「私」たちは地元で一流ののホテルに宿泊することにするのですが、そこで思いも寄らぬ人物と再會してしまいます。
地の文の「私」は牛久保という男で、彼ら夫婦の娘は二人の實子ではなく、彼の弟と多美子という女性との間に出來た子供で、その弟が死んでしまった為に、「私」が引き取ったという経緯がありまして、この温泉郷でよりによって私たちはこの多美子に偶然再會してしまうのです。
このホテルにはそのほか、奇妙な繪描きや、謎めいた女性が宿泊しています。もういかにも事件が起こりそうな前振りのあと、ホテルのスキーバスが川に転落し、その多美子が絞殺死体で発見されます。スキーバスの事故に乘じて彼女を殺害したのか誰なのか……。
上に書いたようなこともあってか私には動機があるということで警察に睨まれてしまいます。そのあと、畫家も死体で発見され、いよいよ連続殺人事件の樣相を呈してくるのですが、私たちが温泉郷を離れたあとも事件はまだまだ事件は續くんですよ。
私は警察からの疑惑を晴らす為にと、獨力この事件の謎を解こうと奔走します。その間にもホテルの宿泊客でスキーバスの事故にも遭遇した女性が病院で毒殺されるわ、犯人だと思っていた女性を追いかけていたら、今度はまたホテルの宿泊客だった男が殺されてしまうわと、この辺りはそれほど大部でもないのにテンポよくバッタバッタと人が死んでいきます。何しろ私が聞きこみを行ったらすぐにその人物が死んでしまうんですから。
後半に至って、ホテルの宿泊客たちは思いも寄らない關係で繋がっていたことが明かされていきます。
章の冒頭の手記では殺人事件の謎を解こうと色々と調べて回っている夫に對する私の疑念が綴られおりまして、果たして本當に殺しているのは「私」なのか……、というところで最後にアレ系の吃驚箱が唐突に開けられて終わり、という物語です。
アレ系の仕掛けは手記のみというシンプルな構成の為、眞相が明かされた時の驚きもひとしおでありまして、無理に複雜な方向へと持って行かずに、これだけで物語全体の結構を纏めつつ、眞犯人を指摘する際の驚きには別の仕掛けを效かせて讀者を唖然とさせるという二重の仕掛けがうまく決まっています。こういうのは好きですねえ。
ただいかんせんタイトルが「奥只見温泉郷殺人事件 」では自分のようなミステリファンは手にも取りませんよ。本作も創元推理文庫からリリースされるのを期待してしまうのですが、その時のタイトルは前二册を踏襲して、ウンタラの殺意で纏めて頂きたいと切に希望致します。あと、ジャケも温泉郷だからって、「郷」めいた川のせせらぎに洋燈がひとつではあまりにショボいので、こちらも勿論カッコイイやつに替えていただきたいと思います。
中町信イコール、アレ系という刷り込みがなされてしまっている自分のようなミステリファンも十分に愉しむことが出來る佳作。アレ系が好きな人は讀んで損はないと思います。