以前「聖女の島」を取り上げる際に購入したこの昭和ミステリ秘宝の一册ですけど、同時収録されていた「花の旅・夜の旅」の方は未讀でありました。作者の初期作品ということで軽く見ていたのですがなかなかどうして、昨日レビューした山田正紀の「人喰いの時代」と同樣、現実と虚構、小説とメモといった樣々なテクストが萬華鏡のように交錯して展開する幻想ミステリの佳作でありました。何でもっと早く讀まなかったのかちょっと後悔してます。
あとがきによれば、本作は千趣会の會報誌に連載されていた作品だったとのこと。作者の当初の構想では、
作者の名を作中人物と同じ鏡直弘とし、彼が、短篇とノートを交互に連載する。
ところが第三話『能登』が掲載された号の卷末に、作者が急死したという知らせが載る。次号から、皆川博子という作家が、鏡直弘の後を引き継ぐ。同じ形式で短篇とノートが交互に連載され、最後に皆川博子が名探偵(!)として、すべての謎をとく。
というものだったそうですが、この凝りに凝りまくったメタ的な趣向は「雜誌の編集者によって却下され」たそうです。それは當然でしょう。千趣会といえばイメージするのは通販のベルメゾンですよ。「女性のための綜合オンラインショップ」の會員の會報誌(だったんですかねえ)でこんなミステリマニア向けの、趣味に走りまくった小説を連載してもまったく受けないことは明らか、いや寧ろ氣持ち惡がられるのが關の山でしょう。皆川センセ、入郷隨郷という諺もそっちのけでマニアックな趣味を炸裂されてしまうその性格はラブリーなんですけど、綾辻行人のようなお坊ちゃんはベルメゾンで買いものはしないと思うので、この編集者の判断は至當であったといえましょう。
冒頭の第一話「平戸」からもうかなり趣味に走っています。このあとの不氣味な展開を予想させる壞れた人形のイメージを描いたプロローグから、カメラマンやモデルたちの何処か演劇的な立ち居振る舞いによって展開する物語は、いかにも作者らしい雰囲気で讀者を惹きつけます。しかし通販の會報誌で人を殺しても良かったんですか皆川センセ。それともこの會報誌って、通販の會報とは違うものだったのでしょうかねえ。
この第一話ではモデルの過去と、取材の撮影風景が交互に展開するのですが、モデルの名前もカメラマンの名前も明かされません。カメラマンには妻がいることなど、彼らの關係がほのめかされるのみで、最後にはモデルの少女が少年を冒頭のモノローグの人形のように殺してしまうところで終わります。
短篇小説としてもいかにも不格好な體裁を持ったこの第一話からしてすでにいくつかの仕掛けが用意されているのですが、この後に続く「鏡直弘のノート」の雰囲気は一転して妙に明るい。鏡直弘の一人稱で書かれているこの手記の部分で、第一話に描かれていたモデルやカメラマンの名前が明かされているのですが、勿論、第一話の虚構と作家鏡直弘が存在している現実世界には異なる部分もある譯で、第一話の最後で行われて少女の殺人などは行われた筈もありません。この差違がこのあとのミステリの謎解きに大きく絡んでくるというのは御約束。
更にこの物語全体の構成を複雑にしているのが、新人賞をとったもののいっこうに芽の出ない作家である鏡直弘と同じ時に、新人賞を獲った作家で針ケ尾奈美子という女性がいるのですが、鏡はこの連載では奈美子の文体を模倣して小説を書いているのです。
これが伏線となって、第三話で鏡が死んだあと、奈美子がこの連載を引き繼ぐ譯ですが、鏡はこれを「皆川博子」というペンネームで書いていたので、讀者は作者が第四話以降で入り替わっているという事実には氣がついていない、という「設定」になっています。ただ作者も後書きで述べている通り、この皆川博子名義で書かれているという設定は後の伏線には大きく效いてきません。やはり上にも引用したように、鏡の死後、皆川博子がこの連載を引き繼ぐという形式の方が説得力がありましたねえ。ここはちょっと殘念なんですが、通販の會報誌でこんなミステリマニアしか愉しめない話にしてもねえ。
第二話から第三話には、鏡がこの連載で一緒に仕事をしているカメラマン夫婦、編集者、そしてモデルたちを暗示させる人物が登場して、殺人を犯します。その中でカインとアベルを主題にした第三話「能登」は第一話第二話とはかなり異なる雰囲気で、「弟よ」という語りかけで始まるこの物語は「わたし」の一人稱で話が進みます。そして最後に「わたし」が弟を毒殺するところで物語が終わるのですが、このあと唐突に挿入される「針ケ尾美奈子のノート」で、讀者には作者である鏡の死が知らされ、以後、美奈子がこの連載を引き繼ぎながら、鏡の死とカメラマンの妻の死を探っていく……。
本作はテクストを巡るミステリといっていいでしょう。鏡が書いた連載小説、そして彼が殘したノートの二つから美奈子が推理するパートがあり、さらにはもう一つの上のメタなところで、美奈子のノートと美奈子の書いた小説というテクストが讀者の前に提示されます。
前二つのテクストから、鏡の書いていた小説の本當の「作者」は誰なのかを明らかにしていく後半の部分は普通のミステリらしい展開を見せるのですが、そこから讀者の目に見えているメタなパートに向けてはっとするような仕掛けを隱しているというところが凝りまくっています。
虚構のなかに収斂していく後半の展開は好き者には堪らないでしょう。「作者」の手によって命を与えられた幻の人物へ會いに行こうとする幕引きがまた素晴らしい餘韻を放っています。本作には女性らしい、というよりは、何処か澁澤龍彦の幻想小説を髣髴とさせる硬質な雰囲気があるのですけど、これが意圖的なものなのか、それとも作者の初期の文体の特徴なのかはちょっと分かりません。
「死の泉」でも翻訳調の文体模写で讀者を愉しませてくれた作者のことですから、この文体とそれが釀し出す雰囲気もまた、「鏡直弘が美奈子の文体を模倣した」という設定を活かすための虚構のものなのかもしれません。
「聖女の島」とはまた違った複数のテクストが織りなす幻想ミステリの傑作。作者の初期の作品だからといって敬遠している自分のような人には是非とも讀んでいただきたい作品であります。同時収録が「聖女の島」とあって、本作は昭和ミステリ秘宝シリーズの中でもかなりお買い得感のある一册といえるでしょう。