解説に大森望曰わく、「本書は、本格ミステリ作家、山田正紀の記念すべきデビュー作である」とあるのですが、以前レビューした「ブラックスワン」に先驅けてリリースされた作品乍ら、過去と現代、虚構と現実が絡み合った構成が特徴の本作、「ミステリオペラ」の系譜に連なる雰囲気も充分に愉しめる傑作であります。
「人喰い船」から「人喰い博覽会」まで七つの作品を収録した連作短篇集の體裁をとっているものの、これが後半に向かうに連れて虚構の過去と實際の過去、そして現代が交錯しながら少しづつ崩れていくところが見所なのですが、かといって複雜な構成を持っている譯ではなく、すっりきと纏めてあるところが素晴らしい。
冒頭、「人喰い船」では東京から樺太へと向かう船のなかで殺人が起こります。死体は奇妙なことに帆立貝を握りしめており、さらには死体を発見して少し目を離した隙に、洋服が着せ替えられていたという。そしてこの不可解な殺人事件を解決するのは、この船に乗りあわせた呪師霊太郎。この探偵霊太郎は金田一耕助をモデルにしたと、作者は「僧正の積木唄」の後書きインタビューで述べていましたが、確かにこの飄々とした風體などは當に金田一の雰囲気タップリ。
ワトソン役という譯ではないものの、この霊太郎の相棒となるのがこの客船で彼と同室となった椹秀助。
この「人喰い船」のはじめの方で、「この連作物語は、呪師霊太郎というふしぎな男の探偵奇話ともいうべきもので、霊太郎に身近に接していた椹秀助の思いでばなしを、できる限り忠実に記録したものである」と書かれてあるのですが、この設定がまた曲者で、秀助はある時は事件の記述者でありながら、物語が後半に進むにつれてその前提からずれていくのです。
「人喰い船」において、上に述べたような奇妙な殺人事件は霊太郎の推理によって見事に犯人も指摘され解決されます。この短篇一つだけを見れば、事件の発生から解決に至るまでの構成はいかにも普通のミステリの短篇らしく、しっかりと纏まっています。しかしこのミステリの定石に從った構成そのものがこの「探偵奇話」の「作者」の仕掛けでありまして、このメタな意匠を隱したまま一つ一つの短篇は奇妙な違和感を殘して終わります。
「人喰い船」で北海道へと渡った霊太郎と秀助はO-市で再び殺人事件に出會すのですが、このいくつかの短篇で言及されている舞台O-市が北海道の小樽であることは明々白々です。しかしこのO-市というのは、現実の小樽市と強い接點を持ちながらも、「呪師霊太郎というふしぎな男の探偵奇話」という虚構の中のみに存在するもう一つの小樽とでもいうべきものになっています。
そしてこの舞台をO-市といいかえたことで、この探偵奇話に登場する事件から登場人物のすべてを虚構に落とし込もうとした「作者」の意図が後半、あることをきっかけにして崩れていくのです。
後半の転換點となっているのが、「人喰い雪祭り」で、この作品の冒頭シーンが、今までの「呪師霊太郎というふしぎな男の探偵奇話」の舞台であったO-市のものとは異なるのは明らかで、時代もまた現代と察せられることから、この無人稱の文章が現実の秀助について書かれてものであることが分かります。
この作品では現在とは乃ち現実であり、ここに挿入された現実の文章が、虚構として成立していた今までの物語の舞台であった過去を侵食していきます。この綻びによって「人喰い雪祭り」の中で成立していた虚構としての過去は、更に現実の過去と虚構の過去とに分岐していき、この混沌とした展開のなかから「作者」の意志を離れた本當の物語が始まるという構成がいい。
「人喰いバス」で毒殺死体となって見つかった特高の男、そして秀助の謎めいた過去が後半に至って少しづつ明らかにされていくのですが、ここで普通のミステリの結構を持っていた前半の短篇がまったく違った意味を持ってくるのです。「人喰い雪祭り」の死体の不可解な状況に、虚構のなかの霊太郎は拘泥するのですが、この事件の捻れを推理する霊太郎の意図は同時にこの連作全体に仕掛けられた「作者」の目論みを暴きたて、それは最後の「人喰い博覽会」において最高潮に達します。
そして現代、それも現実世界において老人となった秀助の身の回りで起こった殺人事件と、秀助を訪ねてきた霊太郎の孫の登場によって、連作短篇のなかで展開していた過去の物語から、現実世界の秀助を中心に据えたもう一つの物語がたちのぼってきて、虚構の物語の中に隱されていた真実が明らかにされるという懲りまくった構成が素晴らしいの一言。
現実世界に姿を見せた霊太郎によって秀助の呪縛が解かれる幕引きもいい。「ミステリオペラ」は長すぎる、それでもあの作品の雰囲気を存分に味わってみたいという人にもおすすめしたい傑作。個人的には山田正紀のミステリの中ではかなり好きな部類に入ります。おすすめ。