「謎詭 Vol.2 」の土屋隆夫特輯を讀んでいたら、どうにも土屋ミステリを再讀したくなってしまいました。そろそろ新作「人形の死んだ夜」がリリースされるカモ、ということもあるし、とりあえず今日は數ある傑作のなかの一作「盲目の鴉」を取り上げてみたいと思います。
キワモノマニア的には、土屋ミステリというと、ノンシリーズの短編などでは思いっきりハジまくった極上のエロスがキモながら、本作は千草検事シリーズの一作ということもあって、事件の発端から終盤のアリバイ崩しに流れるまでの構成、そして二つのコロシが見事な連關を見せていく事件の構図も含めて、本格ミステリとしても見所の盛りだくさん。
とはいえ、事件の背後やその動機にエロっぽい闇を添えた「危険な童話」などに比較すると、ノッケから文豪の解説を担当することになった文芸評論家が隠微なエロスも交えて自らの幼少体験を語るところなど、いかにも御大らしいエロスの大盤振る舞いにも注目で、「さなえちゃん」という母と二人だけで住んでいた娘っ子と、生まれたマンマの姿になってアレをした昔を回想するシーンを引用すると、
その日の光景を、私は今でも覚えている。
スカートから伸びた、白く、つめたそうな素足。肩のあたりまで垂れた長い髪。
ガムを噛んでいた、小さな口の動き。
私を手招きして、ベッドに並んで掛けさせ、不意に、私の肩を抱くようにして仰向けに倒れ、「ママとおじさんたち、いつもこうして寝ているのよ」と頬を寄せてきたさなえちゃんの、秘密めいた声と、かぐわしい息の匂い。さらさらとした髪の感触。
……
そのとき、私の体を走り抜けた、甘美な戦慄の意味を、当時の私に理解できようはずはなかった。後に中学に入り、高校を卒業してからも、その日のさなえちゃんを思い描きながら、幾度も自慰にふけったものである。
なんて恥ずかしい告白をブチまけたエッセイを担当の美人編集者に讀まれようとも、文藝評論家のセンセは端然としている大物ぶりを発揮。
また中盤では、このエッセイの内容に言及しながら、事件を追いかけていく刑事も刑事で、「わたしだって、子供のころに近所の女の子を相手に、お医者さんごっこという例の遊びを……」なんて思わず口にしてしまうし、この事件のきっかけとなった文豪も「私の妻は処女ではなかった。而も、それは自転車に乗った為だと嘘をつき、自分の過去を神聖なものに見せようと、いつ迄も私に対して冷たかった」なんてことをシラっと語ってみたりと、処女と幼少エロスに拘りを見せる御大の風格が堪能出來るのも本作の魅力の一つでしょう。
とはいえ、やはり注目なのは、二つのコロシの巧みな連關と、その背後に姿を見せない謎の女を配した事件の構図が次第に明らかにされていく結構の素晴らしさでありまして、冒頭でのエロっぽいエッセイの内容や、担当の美人編集者とのほのぼのとしたシーンが、一通の手紙によって次第に不穏な雰囲気へと流れていく變轉も見事で、事件を牽引していくかに思われていた評論家が突然舞台から退場し、別のコロシが刑事の視點から描かれていくという切り替えが、後半になって明らかにされる二つのコロシの連關の劇的な効果を高めているところも素晴らしい。
見つからない死体、そしてこれまた正体の知れない謎女の存在という、事件を構成しているパーツの不在から、探偵役となる千草検事の推理も、犯人や被害者、さらにはその関係者の心理面からアプローチしていくことになります。
トリックだけを見ると、毒殺とアリバイを二重仕掛けに凝らしながらも、事件の結構そのものは、例えば最近の「女王国の城」などに比較すると極シンプル。トリックの組み立てよりも、個人的には、死体のない殺人、謎の女という漠とした事件の佇まいから、犯人の心理を掘り起こしていくことで、事件の構図が次第に明らかにされていく展開や、その漠然とした事件の構図に照応させるかたちで、探偵側の推理もまた犯人の「逃走」によって無効となってしまう事件の幕引きが醸し出す虚無感、無常観が痛切な印象を残します。
「危険な童話」「影の告発」などと同様、やはり土屋ミステリの代表作と呼ぶに相応しい傑作といえるのではないでしょうか。