むっつりエロス、中間推理。
推理小説界の重鎮、佐野御大といえば土屋御大と同樣、そのむっつりエロスがキワモノマニアには堪らない譯ですけど、本作は單行本未收録の短篇を収めた文庫オリジナルながら、そんな御大のムッツリ風味が堪らない作品集。
収録作は、着メロにまつわる因果を探る表題作「歩け、歩け」、旦那の子作り宣言が因果地獄を顯現させる「十五年目の子」、女教師ラブな童貞ボーイの企みが奇天烈な綽名に託して語られる「赤い骨」、書き置きを残して家を出て行った妻の眞意を探りつつゾッとする幕引きで小市民男を震え上がらせる「お望みどおり」。
空襲に絡めて語られる御大の昔エロが必殺の卓袱臺返しで洒落た小咄へと轉じる「銀座の空襲」、連れの男のミスショットの原因とは「ミス・ショット」、伊豆温泉での乱交パーティで起こった殺人事件を巡る「透明な仮面」、身代わり受験の顛末がトンデモないオチとなって小市民を直撃する「高級家庭教師」、放送禁止用語の連発に御大のヤケっぱちが炸裂する「古い虹」の全九編。
ミステリとしての仕掛けはいずれも小粒乍ら、輕妙な轉換が見事に決まっている作品としては「ミス・ショット」がいい。連れの男のミス・ショットの連発を嗤う二人の男の會話から、どうやら件の彼の妻は二ヶ月程前から失踪中、それゆえに精神的に不安定となって本日のミス・ショットとなったのでは、なんていう流れが一轉、實は奥さんは彼に殺されたのかもしれないよ、という臆測となって物語は奇妙な捻れを伴って進みます。
そして最後にそれまでの推理をひっくり返すようなどんでん返しが鮮やかに決まるところも含めて、シッカリとしたオチをつけてみせるところは流石御大、といったところでょうか。
旦那のちょっとした一言に興味を持ったばかりに因果地獄を引きよせてしまう女の奈落を描いた「十五年目の子」も個人的なお氣に入りで、何でも今まで子作りをしぶってきた旦那が最近になってそろそろ子供をつくってもいいんじゃないか、なんて言い出したのに三十四歳の人妻は嬉しさ半分不安半分。
さらに旦那の子作り宣言の枕詞に「きょうは四月三日だったなあ……」なんて妙な言葉が冴えられていたのも氣になる。四月三日といえば十五年前に姉の婚約者が何者かに殺害された日で、どうやら旦那の言葉はそのことに關係しているようなのだが、……という話。
知らなきゃ良かった、という地獄を見せつけられて当惑する人妻をさらりと描いてしまう幕引きが逆に怖く、二人の今後に物語の外にいる讀者の方が不安になってしまうオチがまた惡魔主義者には堪らない一篇でしょう。
「お望みどおり」は、「あなたを愛しています。だから、あなたのお望みどおりにいたします」という奇妙な書き置きを残して家を出て行ってしまった妻を巡るお話かと思いきや、この書き置きにある「あなたのお望み」とは何なのかを旦那自身が探りつつ、これまた物語がどんどん奇妙な方向へと捩れていくお話です。
妻が失踪した原因に旦那が思いを巡らしながらも、昨晩の妻との口論の内容から、その原因にあると思しき美人女醫への嫉妬や、自分の浮気がバレたのでは、なんて妄想に轉じていく強引さが素晴らしく、後半はこの女醫さんと同じ名前の女を部屋に呼びつけると膝枕で女に目藥をさしてもらうんですけど、ここでもやはり御大のむっつりエロスに注目、でしょう。
「ええと……。あたしの膝に頭を載せて……」
「じゃあ、御願いします」
私はいわれた通りにした。
久仁枝は、上から、私の顔を見下ろしている……。いくぶん上気しているようだった。
久仁枝の膝の感触は快かった。寿美子よりも豊かなかんじだった。
そして、セーターに包まれた形のいい胸。私は、その先を、右手で突っつこうとした。
「あっ」
ムッツリエロスな惡戲に興じていた小市民の旦那が、「お望み」の眞相に震え上がるオチも最高で、本作の場合、操りとはやや趣を異にするものの、奸計をたくらんだ妻が最後まで姿を現さないところがまた不気味な雰圍氣を釀しています。収録作の中ではその仕掛けで一番愉しめた一篇でしょうか。
「透明な仮面」は秘密の乱交パーティに参加したばかりに、奇妙な殺人事件に卷き込まれてしまう男の話なんですけど、戸川センセあたりだったら赤坂あたりの高級クラブで、ガイジンセレブも交えて行われる秘密パーティーの會場が、伊豆の温泉ホテルというところでまず脱力。
それぞれの参加者は仮面をつけて、若い女を競り落としていくんですけど、後日主人公の男性は相手の女に素性を探られて突然の来訪を受けることに。何でも一緒にパーティーに参加した友達の女性はそのホテルで不審な死に方をしたらしく、ついてはこの犯人を一緒に突き止めてほしいという。果たしてことの眞相は、……。
仮面というアイテムでは定番の趣向を凝らしつつ、結局最後は推理のみで真相を曖昧に残したまま終わるところなど、やや不發氣味とはいえ、個人的には温泉宿の浴衣を着た男どもが仮面をつけた恰好でパーティー會場をウロウロしている珍妙な光景を妄想することが出來たのでマルということにしたいと思いますよ。
そのほか、防空壕で年上姉さんに淫靡な性の手ほどきを受けるシーンが印象的な「銀座の空襲」は、何より女の性欲というものに飽くなき執着を見せる御大のむっつりエロスが素晴らしく、身代わり受験の画策を思わせながらそれが最後にはアンマリな眞相を明らかにする「高給家庭教師」もやや突飛な構成ながらなかなか愉しめる一篇に仕上がっています。
キワモノマニア御用達のふしぎ文学館の「F氏の時計」に比較すると眞っ當なミステリながら、非常に薄い一册なので、長編の息抜きに手にとってみるのもいいかれしません。