イヤ女、謎女の一級品。
當に偏愛したくなる一册。作者の岸田氏といえば、ミステリ・フロンティアからリリースされた「出口のない部屋」で、「どすえ」なんていう惡魔芸妓や才能ナッシングのダメ男など、とにかくこれでもかッというくらいにアレっぽい登場人物が織りなす地獄巡りがキワモノマニアの自分には完全にツボだった譯ですけど、本作では確かに物語の中核をなす人物が妖しげなイヤ女であるところは處女作から前作までの風格を踏襲しているとはいえ、何より本作、文章と筋運びに以前とは違った品格の感じられるところが素晴らしい。
女たちのイヤっぽい情念が爆發していた「密室の鎮魂歌」、そして「エターナルラブ」なんてベタなタイトルの駄作しか書けない凡人作家や女装が趣味の變態君が登場する「出口のない部屋」は、そのアンマリな登場人物のキャラやまだこなれていない文章などとも相俟って、よくも惡くもB級テイストがイッパイの作品のように感じられたのですけど本作はこの點が大きく異なります。
まず主要登場人物の一人となる男が結婚式に出席して、昔付き合っていた女と再會する冒頭のシーンからして、文章が非常にこなれているところに吃驚ですよ。物語は京都を舞台にこの昔のオンナが忘れられない男が、結婚式で再會した彼女の謎を探っていく展開で進みます。
女はもう十年以上も前と全然變わらない美しさだったというから、男にしてみれば嬉しくて堪らない一方、何で老けてないんだろうという疑問を感じるのは當然至極。もしかしたらあのオンナは宇宙人で、「ボディ・スナッチャー」なんじゃア、……なんて妄想をムンムンさせていても始まらないということで、男は意を決して帰り際、件のオンナに聲をかけるんですけど、彼女は「しゅうさん」なんて、昔の愛稱で呼びかけてくる。
それでもその若さはやはり大きな謎でありまして、オンナは宇宙人、という妄想は頭の中で膨らむばかり、さらに十三年前の彼女と同棲していた頃の思い出が甦ってきたからもう堪らない。で、オンナの周囲を色々と探ってみると、どうやら彼女は自分と別れた後に再婚していてその旦那衆は盡く不可解な死を遂げているという。果たしてその犯人は彼女なのか、それとも……という話。
で、調べていくと女には犯行當事、完璧といっていいほどのアリバイがある。しかし保険金やら財産相續やらで彼女は死んだ旦那から莫大な金をブン取っている譯ですから、不幸なオンナというだけにはあまりに怪しい。やがて物語の後半では意想外な事實が明らかにされて、殺人事件の犯人とその壯絶な背景が開示される、という趣向です。
物語はこの昔のオンナを忘れられない男の視點と、謎女の娘の視點を交互に切り替えながら進んでいくのですけど、本作の仕掛けが秀逸なのは、それがいずれも登場人物たちの昔の記憶や感覺に支えられているところで、再讀してみるとその記憶と感覚に支えられた伏線の妙に唸らされます。
ミステリとしては一發ネタの大仕掛けともいえるのですけど、本作もある一つの事柄が隠されているゆえに事件の背景がまったく見えてこないというもので、後半、犯人の独白によってこの眞相がやや驅け足で語られてしまうところがあるとはいえ、これによって登場人物のひとりに抱いていた先入観が見事にひっくり返されるという趣向は非常に素晴らしいと感じました。
また、これがミステリ的な驚きを持たせる為というよりも、最終章のタイトルにもなっている「無償の愛」という言葉の意味を明らかにする為の仕掛けであるというところもまた秀逸。
仕掛けといい、こなれた文体といい、イヤ女を謎の軸にして物語を展開させるという「出口のない部屋」と同樣の風格を持ちながらも、前作とは違って仕掛けと構造のシンプルさによって物語がすっきりと纏められているところも好印象。當に本作にして作者は「化けた」と思わせるに十分な力作でしょう。
傑作、というには躊躇いがあるんですけど、この「無償の愛」による壯絶な動機をもって殺人が行われるという、ある種の奇天烈な転倒が連城フウにも感じられるところが個人的にはツボでした。
さらにこの犯行を完遂する為に犯人が構想した大仕掛けの壯絶さにも注目で、物語の流れの中では中心にいながらも、犯人の告白によってこの人物もまた大仕掛けの中の駒の一つ過ぎなかったことが明らかにされるところや、この人物とは対照的に、殺人事件という「表」の謎を中心とした見立ての中では完全に外にいた或る人物が、實はこの大仕掛けの中ではド真ん中にいたことが明らかにされる後半部の展開など、とにかく「事件」の眞相を開陳するミステリ的なドンデン返しが物語の結構をもひっくり返してしまうところが素晴らしい。
「出口のない部屋」はミステリ・フロンティアというシリーズの一册故か、この仕掛けの人工さがまたぎこちなさにも繋がってしまうきらいがあったのに比較すると、本作の仕掛けはミステリ的な謎解きというよりは、こういった物語世界を轉倒させる為のものであるように感じられました。
で、自分の好みからすると、これは転倒と小説的技巧を凝らしまくった連城氏や泡坂氏の作風に連なるものともいえる譯で、こんなところも本作を偏愛したくなってしまう理由のひとつ、でしょうかねえ。
個人的には、エピローグともいえる最後のところで、娘がかつての同級生と再會するところの會話にグッときました。すべての眞相が讀者に明らかにされているが故に、この部分での會話には非常に深い意味があることが理解できる譯で。基本的に、本作は昔のオンナが忘れられない男の視點から讀み進めるような仕組みになっているのですけど、この娘の視點から再讀するとマッタク違った物語として讀めるのではないでしょうか。
……なんて書いてしまうと、「出口のない部屋」のキワモノっぽいテイストが御所望の方は尻込みされてしまうやもしれませんがご心配なく。そこはやはり女のイヤっぽさやネチっこさなど、とにかく女の深奥をガッツリねっちりと描き出すことに巧みな岸田氏のことですから、本作でもそういった作者の性を感じさせる描寫は健在で、例えば一升瓶の酒をガブ飮みしてベロンベロンに醉っ拂った謎女と男がエッチする場面はこんなかんじ。
嗚咽が静まるのを待って唇に接吻した。なま暖かい舌の感触。この小さな融合に宗一は昂奮し震えた。
「ねえ、私を抱いて。思い切り抱いてちょうだい。あなたと合体して何か別の生き物になりたい。そして、飛んでいくの。どこか別の世界へ」
彼女に誘われるままリビングのソファに二人は倒れ込んだ。顔中に接吻し、首筋に唇をはわせながら、セーターの下に手を入れた。互いに服を脱いで全裸になった。
彼女の柔らかい肌の感触が宗一の中で暴力的で支配的な気分を刺激した。自分の性器を彼女の中に入れた時、小さな悲鳴をあげた彼女は「私のすべてはこれよ!」と叫んだ。
あとこれは全然物語の本筋とは關係ないんですけど、謎女の元旦那の名前が、イアン・バンクスっていうのはやはり狙っているんでしょうか。勿論本作には自作の八卦マシーンや大凧も登場しなかった譯ですけど、この名前を聞いたらやはりアレを思い浮かべてしまうのがキワモノマニアの哀しい性、ですよ(爆)。
という譯で、岸田氏の作品を追い掛けている方はマスト。當に一皮剥けて一流の風格さえ感じられる本作は現時點において彼女の最高傑作だと思います。次作には大期待、でしょう。