裏テーマはやぶれさる探偵、と勝手に妄想。
以前の「黒猫」に續く「甦る推理雜誌」シリーズ、今回は探偵小説の鬼、SRの会の「密室」を取り上げてみたいと思います。
収録作は、自分の失敗を他人になすりつけて責任転嫁をはかるクズ野郎の犯罪を倒叙形式で描いた山沢晴雄の「罠」、作者の妄想が逆説論理で展開される超絶ミステリの怪作、狩久の「 訣別―副題第二のラヴ・レター」、ロシアを舞台に日本軍人の思惑が錯綜する豊田寿秋の「 草原の果て」、あの傑作「りら莊事件」の原型といえど、名探偵星影が完全に香具師扱いされて逆ギレを見せる後半の展開がステキな宇多川蘭子・中川透名義の鮎川哲也「呪縛再現」、そして作者が自ら冒頭に情景描写の下手っぷりを謝りながらも華族の崩壞を素晴らしい筆致で描ききった天城一の「圷家殺人事件」の全五編。
個人的には狩久の作品を一番愉しみにしていたんですけど、これがもう期待通りの素晴らしさというかハジケっぷりで大滿足ですよ。物語は狩久こと本名市橋久智のもとに元カノが突然訪ねてくる。作者は何で元カノは自分の居場所が分かったのかと驚くんですけど、何でも彼女は、彼が狩久名義で発表した作品からこの作者の正体が自分の元彼だったことを突き止め、雜誌の編集者に問い合わせを行ったのだという。
ここから作者が発表した處女作をはじめとして、その被害者の名前や物語の展開に鏤めた「手掛かり」を明かしていくという趣向なんですけど、作者の狩久はここで自分がこの探偵小説を書いたのはひとえに自分のことを元カノに知ってもらいたかったからだと告白、元カノはミステリマニアだったし、だったらミステリ雜誌を讀んでいるに違いなく、そこへ彼女が氣がつくような手掛かりを殘した小説を投稿すれば、きっと彼女は自分のことに氣がついてくれるに違いない、……ってそもそもの前提が完全にブッ壞れた獨りよがりの妄想であるところがナイス。
そこから作者の作品に隱された樣々な暗号が、作者と元カノとの会話の中で明かされていくのですけど、そのすべてに完璧といってもいいくらいに論理的な説明がつけられてしまう。何しろ筆名から登場人物に到るまで、そのすべてが元カノに向けたラブレターであるという偏執ぶりが完全に常軌を逸していて、そこへ語り手である作者の元カノに對する思いのたけが熱っぽく語られる狂氣の展開は、後半に至ってこれまた作者らしいエロモードへと移行。
作者の唇が元カノの唇に触れた瞬間、物語の結構のすべてが反轉して、最後はあのオチで終わるという幕引きが脱力ながら、このバカっぽいネタを語り手の最後の一言で再び狂氣の論理へと落とし込む手法が見事。やはり天才でしょう。
山沢晴雄の「罠」は、設計圖を描く時にチョンボをやってしまった語り手がその失敗を同僚になすりつける為にあれこれと手を尽くすのだが、……という話。仕掛け自体は單純ながら、この語り手のゲスっぷりが見所で、マンマと周囲を騙し果せたものの、設計ミスの部品が元で死亡事故が發生します。
死んだ男は自分が罪をなすりつけようとしていた男だったから大安心、しまいにはその死んだ男の彼女までゲットして悠然と語りを終える男のゲスっぷりにカタルシスは一切なし。惡魔主義というには痛快さも缺片もない結末がアンチ文學的な鬼畜野郎の薄笑いによって終わる幕引きはかなり欝、ですかねえ。
豊田寿秋の「草原の果て」は、自分の上官と結婚することになってしまったという恋人からの手紙を受け取った男や、ロシア娘を孕ませてしまった男たちの悶々ぶりを複数の語りで描いた物語。それぞれの思惑が交錯する中で、ロシア娘を妊娠させながらも実は部下の彼女と婚約確定という、死ぬんだったら絶對にコイツ、という恨まれ役の上官が首を括られて殺されてしまう。
周囲の連中は逃亡した社会主義者が犯人に違いないと確信するものの、そこには仕掛けがあって、……というところで犯人の口からその犯行方法が語られるのですが、その後にも登場人物たちの心奧が独白の形式で語られるという趣向に何となく、戸川昌子センセの「大いなる幻影」のような風格を感じてしまった一編です。
非常に地味乍ら、個人的には美人のロシア娘が登場するだけで、その地味な雰圍氣のすべて許せてしまうんですけど、よくよく讀み返してみるとこの作品、実はもっと深いところを狙っているのかもしれません。あまりに短く纏め過ぎている故に、自分のようなボンクラには作者の仕掛けの全貌が見えてこないんですけど、もしかしてこれって多重解決もの、なのカモ、と思わせる一編です。
鮎川哲也の「呪縛再現」は、「りら莊事件」の原型といえど、まずもって探偵星影の造型がまったく異なるところに注目でしょう。「りら莊」では後半にフラリと登場したあとはいつものふてぶてしい態度で推理を開陳、見事事件を解決してみせた星影探偵でありましたが、本作ではこの名探偵も完全香具師扱い。
「泥臭い田舍者犯罪者」にマンマと裏をかかれてしまつた星影は、結局事件の舞台からは退場することになるのですが、その際に警察から召喚された鬼貫とバッタリ鉢合わせ、凡人鬼貫に自身のホームズ型推理のインチキぶりをツッコまれるや逆ギレして、「このペテン師めッ」などと声を荒げるようすがかなり意外。
星影は「すると何か、君はあの事件を解決できるとでも言うのか。ウハハハ、こいつは面白い。まあ、やってみろ。但し後でほえ面はかかぬ方がいいぞ、ウハハハ」と見事な捨て臺詞を殘して去っていくんですけど、ここでの、鬼貫の星影評というのがアンマリなんで、簡單に引用しておきますと、
いやいや、それがそもそもの間違いさ。如何にも彼は名の知れた探偵だよ。併し君はこう言うことを知っているだろう?……彼は常に成功した事件のみを公衆の面前で謳って、失敗した事件は左手でこっそりポケットにしまって了うんだ。この手は近頃の新興宗教でもよく使うじゃないか。教祖の門前を毎朝心を込めて清掃すれば、霊験あらたか、必らず本人の病気が治ると言う。如何にも長年の胃病が軽恢したという患者もいようが、その裏面には、却って病気を重くした結核患者もいるわけだ。処が教祖樣は悪化した患者はヒタかくしにかくして、專ら喰い意地から胃をこわした患者の恢復のみを宣伝これつとめる有樣だ。僕をして言わむるならばだね、星影氏は新興宗教も教祖になる資格は充分あるし、一方君にしても、簡単な大道手品師に瞞着されているんだから、お芽出度い信徒どもと五十歩百歩という処なんだ。
とインチキ宗教の實例までしっかり挙げて、星影探偵の香具師っぷりを地元の警視に得々と言い含めるところが何ともですよ。
鬼貫の登場によって最大の仕掛けであるトランプの謎が明かされたあと、物語はアリバイ崩しの風格となり、その犯行方法が明かされる結末はアッサリ風味。物語としての結構と妙な清々しさは「りら莊」の方が上ですけど、本編における星影と鬼貫の對決シーンはかなりの見所故、これを目当てにこちらの後編だけを讀むというのもアリでしょう。
天城一というと圧倒的に凝縮されまくった濃厚ミステリ風味の短篇がまず頭に思い浮かぶ譯ですが、長編である本作「圷家殺人事件」は少しばかり勝手が違いまして、冒頭こそ華族の煩雜な人物關係が説明口調で續くものの、子爵が銃殺され、その許嫁の祕書が重体という事件が發生してから物語はテンポ良く進んでいきます。
華族が絡む事件ゆえ、探偵役は摩耶かと思いきや、これが意外にも島崎警部補。とはいつつ、容疑者のドンファン野郎の尻尾を・拙んでそいつを尋問するときにニヤニヤ笑いがとまらない島崎の造型は何処となく摩耶っぽいような氣がするのですが如何でしょう。
事件当夜に屋敷をアポなしで訪問したと嘯くイケメン男爵を呼びつけて尋問する場面では、「……島崎一人がメフィストフェレス然としてニヤニヤ笑っていた」「島崎は全く悦に入ってニヤニヤと笑っていた」「高向刑事は口をポカンと開け、島崎はニヤニヤ笑っていた」と二頁に亘って島崎のニヤニヤ笑いが炸裂。
摩耶とのコンビでは、いつも摩耶にニヤニヤと嘲笑されてはボンクラ検事の役回りを受け持っている島崎が、語り手の天城をワトソンに据えた本作では妙に自信満々なキャラで立ち回るところがファンには堪らないところでしょう。
銃殺による二つの密室トリックは島崎の推理によって明かされるものの、物的証拠も不十分なモテモテ男爵を完全に犯人認定、たいした証拠も揃ってないのに新米法律家の語り手は警察に逮捕オッケーとゴーサインを出してしまうし、憲兵隊が跋扈していた時代の出来事とはいえ、イケメン男爵にはアンマリの展開で、さらには語り手が秘かにホの字だった貞淑娘がトンデモない多淫女だったことが明かされる謎解き場面では、
「バカな!あんな天使のように無邪氣な人が、こともあろうに色魔なんかと!」
と叫び出す始末。くだんのプレイボーイが後輩だったとはいえ、過去の事件も絶對にあいつがやったに違いない、とブチ挙げしまう島崎の強引ぶりは如何なものか、と思ってしまうのでありました。
しかし真相がこれで終わる筈もなく、最後に悲哀な幕引きを迎えるところが、本格の鬼らしくない餘韻を殘します。
という譯で、全編、鬼、鬼と原理主義的な本格ものばかりかと思いきや、本作に収録されているのは物語性も豐穣な作品ばかり、特に個人的には奇才狩久の、逆説と狂氣の論理が炸裂する「訣別―副題第二のラヴ・レター」が一押しでしょうか。
一方収録作を俯瞰すれば、「呪縛再現」では星影は「泥臭い田舍者の犯罪者」に敗北し、ニヤニヤ笑いの自信家として造型されている島崎も、結局は推理の深奧にある真相に到らずに敗北、さらには「訣別」も探偵である語り手が最後は幻想に敗北するという具合で、奇しくも通底する主題はやぶれさる探偵だったのでは、なんてかんじで編緝の意図をあれこれと妄想するのも一興でしょう。