濃厚冤罪テイスト。
島田御大の最新作は、業深い女の過去に冤罪を絡めた物語です。女の過去といっても、物語を牽引していくのはキモ男だったりするので、「涙流れるままに」のようなエロっぽさは皆無、後半に御大お得意の都市論が開陳されるところや、中盤に挾み込まれた插話がいい味を出しているところなど、初期の佳作「網走発遙かなり」に近い印象に受けましたよ。
物語は表題作「帝都衛星軌道」を前編と後編に分けて、そのあいだに「ジャングルの虫たち」という中編を挾み込んだ特異な構成で、「帝都衛星軌道」の前半は、ごくごく普通の夫婦の息子が誘拐され、身代金の受け渡しに奔走する妻とそれを追いかける警察の視點で描かれます。
身代金は少額とその犯行の意図がまったく把握出來ない警察は、犯人が用意した小道具などから、こいつは誘拐事件のイロハも知らないド素人だろう、なんて高をくくっていたらマンマと犯人に裏をかかれてしまう。
やがて事件は終息し、誘拐されていた息子は無事に戻ってきたものの、そのあとに妻が失踪。サッパリ譯が分からない旦那は警察に相談するものの、これは民事だからとの素っ氣ない対応にただ呆然とするばかり。
妻は誘拐事件でも大活躍したトランシーバーを自宅において旦那との會話を試みるものの、とにかく離婚してくれの一點張りで埒があかない。痺れをきらした旦那が逆ギレするとそれ以降、妻からの連絡は途絶えてしまいます。
そこから旦那の過去の回想が始まるのですけど、信用金庫に勤務している普通の男だと思っていたら、実は女にもまったくもてないキモ男だった過去をカミングアウト、そして妻となった女性は近くの定食屋で働いていた美人だったが彼女の過去は一切知らないという。
何しろ自分は会社のOLにもキモ男として嫌われているくらいでしたから、こんな美人と結婚出來るならと彼女に詳しい出自を聞くことも出來なかったという小心ぶり、しかし彼女の失踪の真意を探るべく男は彼女の過去を探り始めるのだが……。
續く「ジャングルの虫たち」は、これまたダメ男の浮浪者が、かつてひょんなことから知り合った浮浪者仲間の回想を行うという物語で、とにかく小狡い犯罪を指南する男の造型が見事。そこに漫才のボケ役のように立ち回る語り手が合いの手を入れていきます。
男たちはレストランで金をだまし取ったり、盗んだ車を使って詐僞行爲を繰り返していくのですが、そんな狡知を尽くした犯罪を得意氣に見せてくれる男にすっかり心酔しかけた語り手も、男が醉っぱらって、老人から金をカツアゲしようとしたことに腹をたててしまう。
事件らしい事件は起きないのですが、いかにも御大らしい小市民の悲哀を見つめる視線が見事で、御大の作品群の中でも冤罪系が好きな人におすすめ、でしょう。
で、この長い插話を経て、物語は再び「帝都衛星軌道」の後編へと進むのですが、ここで誘拐事件の最中に不明だった妻と犯人との會話が明らかにされていき、それと同時に犯人が何故こんな少額で誘拐事件を仕掛けたのかその真相も明かされるという趣向です。
ここで光るのやはり一人の女の悲哀で、そこに冤罪事件を絡めた物語は讀ませるものの、ジャケ裏の帶にある「本格ミステリの最高峰がここにある」というのはちょっと違うような氣がしますよ。誘拐事件の真相と、過去の冤罪事件に関わる一つの謎がここでは明かされていくのですけど、論理立ててその筋が解明されていくという譯ではなく、ただ物語の筋運びだけでぐいぐいと進めていくだけですから、自分としてはこういう系統の作品を本格ミステリの「最高峰」と認めてしまうのはちょっとなあ、と思ってしまうのでありました。
とはいえ御大の作品ですから、ここはジャケ帶の煽り文句には騙されず、冤罪事件に都市論を巧みに絡めたこの物語の豐壤を無心に堪能するのが吉でしょう。
都市論の方は意外と控えめで、最後の謎解きに至ってようやく、参考文献にも記されている「帝都東京・隱された地下網の秘密」の作者、秋葉俊の生き靈が犯人に憑依して電波語りを始めるという趣向ですから、「火刑都市」のような風格かと思っているとちょっと肩すかしを喰らってしまうかもしれません。
なんて結構辛口の言葉ばかりを竝べてしまいましたけど、やはり自分としては御大の作品には「摩天楼の怪人」のような怒濤、としかいいようのない壯大な法螺話を期待してしまうんですよねえ。