偉大なる奇人ヤコペッティに捧ぐ。
本作は大きく二部に分かれておりまして、「海外実話篇」とタイトルのついた前半部にはモンド映畫や、怪人竹下一郎が編纂した「別册実話秘宝」を髣髴とさせる実話フウ怪奇小説を、そして後半の「日本怪談篇」には極上の和風怪談を収録。「蒲団」などの名品が竝ぶ後半が素晴らしいのは勿論なんですけど、キワモノマニアとしてやはり強力に推したいのは前半を占める実話もの、ですよねえ。
キ印のマッドサイエンティストが、ゴリラの面前で實の娘の肌踊りを演じさせ、それがトンデモない悲劇を迎える傑作「令孃エミーラの日記」、ゲス野郎と淫売が群れ集うコルソ島出身の女に惚れたばかりに、これまた悲惨な末路を迎える男の物語「聖コルソ島復讐奇譚」、半獣人の地底人を巡る祕境もの「マトモッソ溪谷」、土人はすべてケダモノという、過激すぎる白人至上主義が全編に亘って展開される「怪人シプリアノ」、これまたジャップの女醫師の氣狂いぶりを実話物語フウに描いた「女豹の博士」など、「白人から見た」未開人テイストが堪能できる好編揃い。
香山滋の手になる、モテモテボーイ人見十吉が未開の地で現地女にモテまくる痛快探檢小説に比較すると、本作における作者の立ち位置がよりはっきりとしてくると思うのですが如何でしょう。香山滋にとっての祕境がすなわちロマンだとしたら、本作の作者、橘外男にとっての未開地とは要するに暗黒大陸。現地人は人にあらず、土人は人以下、とそこには危険こそあれロマンなど缺片もありはしないという、モンド映畫フウの風格が見所です。
中でも作者の暗黒大陸への傾倒ぶりをタップリ堪能出來るのが「令孃エミーラの日記」で、冒頭、アンゴラの国境調査隊でハイリスクハイリターンの仕事にありついた語り手の独白から始まるものの、その途中で手足をもがれた女の斬殺死体を発見、更にそこにはその女が書いたとおぼしき日記が捨てられていて、……というところからは、要所要所に彼のメモ書きを添えつつも、後は發見された日記の引用で物語は進みます。
どうやらこの日記を書いた女の親父というのが、ゴリラを研究しているマッドサイエンティストで、彼女は親父に付き從うかたちでこの未開地にやってきた樣子。で、この研究班には親父の助手で娘にホの字の助手男や、覗き趣味のゲス野郎などもいたりして、研究対象のゴリラが到着したところからして既に周囲には不穏な空気がムンムンに立ちこめています。もうこうなったら何かが起こらない筈がありませんよ。
このキ印の親父は、ゴリラも言葉を持っていてこいつを解読すれば人間と會話出來るに違いないッという奇天烈な妄想に取り憑かれておりまして、一般人が聞いたら單なる呻き聲にしか聞こえないゴリラ語も巧みに聞き分ける素晴らしい耳の持ち主。
で、「アイー」という雄叫びは歓喜を表し、「グロールル」と吠えまくるのが「もっとやれ!」という意味だとか珍妙な自説をブチあげているんですけど、この脳内に飛来した妄説を証明する為、彼は自分の娘にゴリラの前で裸踊りをやらせるというアイディアを思いつく。
當然彼女にホの字の助手男はそんなムチャクチャな実驗には猛反対で、「こんなゴリラの言語なんぞを完成したからとて、文明にどのくらいの貢獻をするというんだ!」とこの研究意義を根底からブチ壊すようなダメ出し發言に當の親父は大激怒。
ここでひと悶着あったりするんですけど、結局娘は父親に請われるまま、乳出しの格好で檻の中のゴリラを前に妖艶なセクシーダンスをスタート。昂奮しまくったゴリラがガタガタ檻を搖らしながら、アイーッ、グロールルと絶叫するさまを見てくだんのキ印親父は大喜び、
御苦労だった!御苦労だった!エミーラ!大成功だった!ほれごらん!お前にはわかるまいが儂の持論と推理は見事に裏書きされた。
歓喜の最高潮に達した叫声はアイーエクフーウだ。アイーが歓喜だ!それが語尾で、テインと変化する。儂の言ったとおりだ!最後にグロールル、グロールルと呻いている。これがお前に媚びて、もっともっと踊れ!と言っているわけなのだ!御苦労!御苦労!
「お前には分かるまいが」なんてシレッといってますけど、ゴリラの凄まじい雄叫びを聞いてその意味が分かるのは當のキ印親父だけだっていうのはもう、この場のしらけっぷりを眺めてみれば明々白々、しかし狂人とはいえ自分の父親の研究に少しでも貢獻できたと娘が安心したのもつかの間、その後も親父の研究はさらにエスカレートするばかりでありまして、今度はゴリラを檻の中から出して放し飼いにすると言い出したからもうとまらない。
娘も最初は「その醜悪さ、恐ろしさに、魂も身につかぬ思いがした」ものの、やがてこのどう猛なゴリラを見事に手懐けてみせます。しかしこのゴリラ、猿語の會話に一番興味津々の父上には牙を剥きだして威嚇するという按排で、當のキ印博士にしてみれば複雑な心境だったに違いありません。
それでもゴリラが繪心を見せてスケッチブックに「点だか線だか分からない」ようなものを描いたことに大喜び、着々と自らの妄想が脳内証明されていくことに御滿悦だった親父ではありましたが、嫉妬深いゴリラは遂に逆上してまずは助手男を撲殺、さらにはここに「マッドサイエンティストも最後は必ずその研究対象に殺されてしまう」という大法則が發動、親父もゴリラの手に掛かって呆氣なく殺されてしまいます。
現地人も含めた全員は雨の中を逃げ出したものの、娘だけはゴリラに捕獲されてしまい、そこで、日記は亂れたまま終わっているのだが、果たして、……という話。
續く「聖コルソ島復讐奇譚」は舞台が未開地でこそないものの、コルソ島とかいう島からやってきた淫売娘に惚れてしまった男の物語で、それをその男の友人の筆致で描いていきます。とにかくこの男も含めて周囲の連中の、コルソ島に關する偏見が強烈。
その島の出身娘と一緒になるなんて、という周囲の反対に嫌氣がさしたのか男は失踪、さらにその恋人である島女も消えてしまったというから穩やかじゃない。私は男の妹と一緒にくだんのコルソ島に向かうのだが、……。
島民に對する偏見ぶりも確かに酷いけど、実際、私の手によって描かれる島のようすがあまりにアレなんで、讀者にしてみればどっちもどっち、でしょうかねえ。寧ろ唯一人善人ズラして、友達の妹の前ではいい男ぶっている語り手の薄っぺらな男氣が鬱陶しい。
そうして息子の一件で病に伏してしまった親父の元にワイノワイノと祭にかこつけて送られてきたプレゼントの中身は、……って、これは島民を小莫迦にしたゆえの因果應報と解するべきなのか、それにしてはあまりの極悪な所行にカタルシスも何も一切なし。當に惡魔主義的な結末に苦笑するしかない佳作でしょう。
偏見と差別という點では「怪人シプリアノ」がもっとも強烈で、何しろハッキリ土人という言葉がポンポンと飛び出してくるところから、作者の「白人から見た偏見」テイストはレブリミット。
同じ學校で、シプリアノという全身が毛深い不氣味君と友達だった私の回想から物語は始まるんですけど、この語り手も「聖コルソ島」と同樣、皆にシカトされている一人ボッチの不氣味君に自分だけは同情していたのだ、なんていかにも善人面した態度が薄っぺらい。
この少年時代の逸話では、後にこの不氣味君に殺されてしまう先生や上級生の偏見ぶりが素晴らしい味を出していて、彼に對して向けられた罵倒の言葉がもう大變。「不具者のくせに!」「貧乏乞食の分際をして!」と放送禁止用語のオンパレードでありまして、當事の鷹揚な探偵小説世界を堪能出來るところがナイス。
語り手はある日、この不氣味君が川沿いの草むらで山猫をガフリと捕捉しているところを目撃、流石にヤバいところを見てしまったと慌てるものの「お前は見ていたんだな!」なんて不氣味君に詰め寄られると、今度は「僕は誰にも言わないよ!誰にも!」なんていかにも小心者の本心をすっかり暴露するところが情けない。しかしここで不氣味君が友情の印にと、口のまわりを血まみれにして捕まえた山猫をあげるといっても「要らないよ!」とつっかえしてしまうのは如何なものか。
結局数年を経て、この不氣味君はとある部族の酋長として君臨、破産寸前に追い込まれた語り手の友人が、金ほしさに妹をこの酋長に結婚相手として差し出すのですが、これが結婚じゃなくて、奴隸契約だったことが後に判明、語り手の私は友人に請われて彼の妹を取り返すべく、不氣味君の屋敷を訪ねていくのだが、……という話。
最後にこの怪人の正体が明かされるのですけど、それと同時にこいつがトンデモない鬼畜野郎だったことが明かされます。屋敷の地下室からは白人女の白骨がゴロゴロ出てくるというオマケつきで、これまた差別の因果応報と解釈するべきなのか、実話フウとはいえ、土人は野蛮という「白人から見た偏見」をフル活用した何ともな展開が独自の味を出している傑作でしょう。
……なんて書いていたらもう全然終わりませんよ。以下は簡單に。メリケン野郎のジャップに對する偏見が素敵な味を出している「女豹の博士」は、脳手術に取り憑かれた氣狂い博士の日本女性を描いた作品で、実話テイストは収録作の中ではこの作品が一番でしょうか。裁判風景なども交えて、ジャップの女が最後に自害するまでが描かれます。
後半の「日本怪談篇」では正統怪談ものの名作「蒲団」が素晴らしい。父親が格安で手に入れた縮緬の蒲団にまつわる怪奇譚で、この蒲団を手に入れて以後、父の仕事は傾き、怪我をしまくるという不幸が次々と家族を襲います。
やがて下半身を血まみれにした女が土砂降りの雨の夜に訪ねてきたり、語り手の結婚初夜にこれまた女の幽霊がヌボーッと現れては新妻を怖がらせるという怪異が続発、果たして何かがこの蒲団についているのではと訝る語り手がその蒲団の中を開けてみると、……。この中から出てきたものが何ともオエッという代物で、怪異の演出から最後の幕引きも含めてまさに正統でありながら完璧の構成で仕上げた名作でしょう。
後半は普通に愉しめるものの、ヤコペッティや二見書房の數多ある土人本を懷かしむキワモノの御仁であれば、前半に展開される偏見ありまくりの暗黒大陸テイストも愉しめるに違い有りません。「人喰人種の国」のジャケ画で當事の日本人の度肝を拔いたペニスケースこそ登場しないものの、土人イコール獰猛、野蛮という等式が成立する白人歐米人の偏見がマイナー調の味を出している怪奇譚は當にキワモノの至宝。個人的には香山滋の人見十吉ものと讀みくらべて、その違いを堪能していただきたいと思いますよ。