モテモテ探險ボーイの大活躍。
本作は以前取り上げた「オラン・ペンデクの復讐」に収録されていた「美しき山猫」などで主役をはった人見十吉シリーズの集大成、長編の「恐怖島」「悪霊島」を除けば人見のモテモテぶりが堪能しまくれる傑作選ともいえるでしょう。
日下氏の解説によれば、ふしぎ文学館の一册として編纂した「月ぞ悪魔」も当初はこの人見シリーズを全収録するというもくろみで進めていたものの、頁数の關係でこの構想は泣く泣く諦め、こちらの方は「オラン・ペンデク」シリーズや大怪作「処女水」をはじめとするキワモノ傑作選に纏めたとのこと。
で、本作の人見シリーズなんですが、筋運びは殆ど同じで、日本人探險家の人見が異境に足を踏み入れるや現地の女にひと目ぼれ、そこに「グヘヘ、人見の旦那」なんて揉み手ですり寄ってくるゲス野郎も絡めて、珍獣やら人魚やら不思議な生物と邂逅するというお話です。
もっともそこで展開される冒險譚がこれまたハチャメチャなんですけど、ネクラのキワモノマニアとしてやはり何よりも氣になるのは主人公である冒險家、人見十吉のモテっぷりでありまして、とにかく彼自身も惚れやすいのは勿論のこと、現れる美女がことごとく人見に惚れまくってしまうというのは一体全体どういうことなんだと思う譯ですよ。
原住民の酋長の娘とかの現地女のみならず、人妻までもが彼にひと目ぼれしてしまい、それがまたトンデモない騒動を引き起こしたりと、結局冒險譚を裝いつつもこれは人見のモテモテボーイっぷりを活写した恋愛小説なんじゃないかなあと思った次第です。
で、そんな人妻が人見に惚れてしまったばかりに、鬼畜の夫が妻をトンデモない目に遭わせるという勸善懲惡の構成が光っているのが、冒頭に収録された「エル・ドラドオ」で、舞台は南米ヴェネズエラ、魔境エル・ドラドオを探す為、この地を訪れた人見は密林の中でドン・グレゴリオと名乗るいかにも怪しい男に出会います。
男はここへ假小屋のような粗末な家をおっ建てて、妻と二人で住んでいるというのですが、この妻にマテ茶を御馳走してもらうや、節を隔てていきなり最初の台詞が「ああ、ヒトミ!とうとう妾はあなたに抱かれてしまった!」ですからねえ。一月も経たないうちに、人見はこの人妻をいただいてしまったという譯で、旦那の方はこの東洋の間男の闖入を知ってかしらずか、その翌日から失踪して行方が知れないという。
で、當然、この旦那も何か思うところがあって姿を隠したことは明々白々、この後、この男は期待通りの動きを見せてくれる譯ですよ。
女は滅亡した種族の最後の女王で、旦那は彼女の一族を殲滅した鬼畜野郎の腰巾着だったと告白、多淫な彼女に熱烈アプローチを受けまくる人見でしたが、このときばかりは流石にタジタジで「間断なき抱擁、間断なき監視、ついには私は其の息ぐるしさの何かに気が変になりかかって」きたものの、それでも女は執拗に「あなたは妾を捨てようとしている」といってききません。
しかし暴風雨が吹き荒れた翌日、彼女は一言もいわずに人見の元から消えてしまったから譯が分からない。密林の中を悪魔の沼と恐れられているところまで彼女を捜しに行くと、そこで人見は透明な肉体をもった軟体人間を發見、呆然としているところへ間男へ妻を寢取られたキ印の旦那の高笑いが響き渡り、そして、……という話。キ印が期待通りの最後を迎える勸善懲惡の幕引きも素晴らしい佳作でしょう。
人見シリーズの法則として、物語に登場する人見以外の男性陣はゲス野郎、というのがあるんですけど、そんななか、「人魚」に登場する酋長は、自分の娘の病を人見に治してもらったことに大變な恩義を感じて、何とか御礼をしてあげたいと思っているような、基本的には「いいひと」。
しかし部族の酋長とはいえ人の親でありますから、娘の幸福を願うのもこれまた當然のことでありまして、この「人魚」では、そんな子煩惱の父親がトンデモないことをやらかしてしまうという展開が素晴らしい。
酋長は人見に生きている人魚を見せてやるというのですが、一方の人見はいっこう彼の言葉を信じません。何しろこの人魚を見た人物というのが盡く發狂してしまったというから穩やかじゃない。で、この酋長だけは人魚と相まみえたものの、自分だけは發狂しなかったって主張しているんですけど、キ印ほど自分はマトモと主張するのはこれまた人外の法則でありますから、このあと、人魚のいるところへ案内した酋長は人見を前にしてトンデモないことをやらかしてしまいます。
だいたいこの酋長ですけど、自分はこんな森ン中に住んでいて世間も知らない田舍者だ、みたいなことをいっておいてですよ、人見を人魚のいるところへ案内する最中には觀光ガイド宜しく、ホルン・ヴァイパアだのグロソプテリスなんてラテン語で周囲の景觀の説明をしまくっているから素性はバレバレ、結局人見は人魚を見ることが出來たものの、酋長がやらかしたそのことですべては台無し。何てことをするんだ!と叱りつける人見に對して、開き直った酋長がシレッとした樣子でベラベラとその理由を喋り散らすところがいい。
こんなかんじで、結局一向獲物にありつくことの出來ない我らがヒーロー人見十吉でありますが、冒險家とはいえ時には探險資金を目当てに妙な仕事を請け負ってしまう、俗っぽい一面も持ち合わせていて、「砂漠の魔術師」や「十万弗の魚料理」はそんな彼が珍事件に卷き込まれてしまう物語。
「砂漠の魔術師」は、わずかな保釋金も払えないで牢獄にブチ込まれている彼が、例によって「グヘヘ、人見の旦那」なんて揉み手をしながら近づいてきたゲス野郎に、女を一人捜してもらいたいという依頼を受けて砂漠に旅立つという話。怪異の試練を乘り越えたところで姿を現した砂漠の女王は、これまた例によって人見にひと目惚れという定番の展開も、こうまで續くとちょっとお腹イッパイ、ですかねえ。
「十万弗の魚料理」は少しばかりミステリ的な趣向を凝らした佳作で、友人の会社がヤバいということで珍魚コンテストに出品しその賞金をいただいてやろうという依頼を受けた人見は、たったの二週間でアマゾンから誰も見たことのない珍魚を見つけてこないといけない、果たして、……という話。
アマゾンで魚探しに奔走するなかに現れる謎の美女もその正体は明らか。しかし珍しく人見も女に惚れないし、女のその気配がないのでやっぱりこの美女は、……なんて思っていると最後にその種が明かされるという趣向なんですけど、この表題にかけたラストのユーモアが洒落ています。
で、物語に必ず登場する未確認生物の造型も素晴らしいんですけど、上にも書いた通りやはりここでは人見のモテモテぶりと惚れっぷりに注目でありまして、その求愛台詞を引用してみますとこんなかんじ。
「アミア!僕は初めておまえに会ったばかりで、おまえの美しさの俘因になつてしまった。一緒に行けないのなら、せめておまえの旅立つ先を教えて呉れ。僕はきっとおまえの跡を追っていく」
「あたしの跡を追って? あなたはそうして、あたしをどうする気なの?」
「お前から離れて生きていられないからだ!」
「ユカ!私はあなたを愛する!愛するあなたの為めに私はあくまでも闘う、たとえ、どのような世界が食い違い、怪奇な運命が錯雜して見えようと、私がこの海岸に漂着したことが現実である以上、ここの世界だって、魔法や妖術の世界ではない。私は、きっと、きっとあなたを見えざる敵から鬪い取って見せるぞ!」
「僕の可愛い情人さん!」
「ほんき?」
「ほんきだとも!」
「夢中になって、鸚鵡貝を探しているときでも、あたしをお忘れにならない?」
「あしたからはおまえも傍にいて手伝っていればいい」
「軽小舟がひっくりかえって、死にそうになりかけているときでも?」
「おまえが傍にいれば、いつだっておまえの腕が・拙めるじゃないか?」
「もう、旦那さまとお呼びしなくてもいいのかしら?」
「いいとも、僕をヒトミと呼ぶがいい」
「うれしいわ、ヒトミ!」
で、こんな熱烈ボーイでありますから、女性の方も人見に大夢中でありまして、情熱に溢れた名台詞がテンコモリですよ。
「もういいの、何も言わないで――あたしはいま何にも聞きたくない、――ただ、あたしの眸を見つめていて!あたしの胸を抱いていて!それだけで、あたしは滿足なの!ヒトミ!」
「ヒトミ!あなたなのね、あたしは、いまあなたに抱かれているのね。うれしい、うれしいわ!あんなに長いあいだ、あなたは何処へ行ってたの?行っては厭や。何処へも行かないで、――あたしから離れないで!」
なんてかんじで引用していたらキリがないのでこれくらいにしておきますけど、人見ワールドでは男も女もとにかくすべてがストレート。しかしネクラのキワモノマニアにしてみればこの清々しいまでの明るさが恨めしいというか何というか、現地娘から人妻までよりどりみどりの主人公が羨ましくて仕方がないのでありました。
物語の構成も直截的で明快なうえ、主人公のモテモテぶりが奇想をためにするほど押し出された作風は、正直キワモノというには気がひけてしまうんですけど、作者の怪作「処女水」などに比較すれば、逆にその普通っぽい作風がかえって普通の本讀みにも大いにアピール出來るかもしれません。
普通小説からキワモノへの橋渡しとして大いにおすすめしたい本作、ネクラマニアはブツブツと恨み節を唱えながら人見十吉のモテっぷりに地團駄を踏んでいただければと思いますよ。