自己模倣、自家中毒。
「古本屋で中町信の本を集めよう」シリーズ第八回は、定番の意味深プロローグに旅情ミステリの風格をブチ込んだ無理矢理感が堪らない「榛名湖殺人事件」をお届けしたいと思います。
中町ミステリでは定番、というかこれがないとどうにも物語が始まった氣がしないというプロローグでは、夢に魘されていた語り手がふと目を覚ますと、怪しい男がいきなり亂入してきてグイグイと首を絞めてくる場面から始まります。手紙がウンタラとか、よく推理したものだと感心したとか、語り手の私にはサッパリ譯が分からないことを呟きながら指先に力を込めてくる男の激しさに私は遂に失神してしまいます。
どうやらこの語り手の私は、過去、金持ちの老人を騙して金を賣りつけるという悪徳商法に加担していた樣子。で、彼女は単なる電話セールスだけのパート嬢だったのに對して、この姉の方はやり手で老人老婆を騙しまくりの、いうなれば筋金入りのワル。
あまりに社会問題化してきそうな気配を察した会社は、お客の老人たちを榛名湖の温泉に招待して、マンマといいくるめてしまうという作戰を敢行、しかしその時にホテルは大火災となって、語り手の姉は部屋から飛び降りて死亡、さらにはもう一人のやり手セールス嬢も死亡してしまったという。
で、男に襲われた語り手のところに、その悪徳商法会社の元同僚から突然電話がかかってくるんですけど、その女性は電話口で、かつて失火事件の際に死亡した二人は実は誰かに殺されたんじゃないか、という推理を披露。
そして彼女が突然入院先に電話をしてきた理由というのがふるっていて、自分の推理によって導き出されたとある人物に告発の手紙を出したんだけど、當然差出人のところは「あの会社の元同僚」なんてボカしておいたから、もしかしたら犯人の奴はトンデモない勘違いをして、あんたを殺しにでもいったらヤバいからさあ、なんて暢氣に説明してくれたりするんですけど、例によって御約束のプロローグを既に讀了している讀者にしてみれば、この女の出した手紙とプロローグのシーンに何かしらの關係があるのは明らか、……とはいいつつ、そこは中町ミステリですから、ここにも捻くれた仕掛けをシッカリと用意してくれていますからご安心を。
語り手が首を絞められた當事のようすを回想するに、どうも犯人の輩は片方の指が數本缺損しているようなかんじだったなんて述べるものですから、すわ本陣殺人事件みたいな恐怖テイストでこの後の展開を押しまくるのかと思いきや、電話をしてきた元同僚の女性がまず殺されてしまい、その後、ホテルの失火事件で生存した人物の中に犯人がいるに違いないと確信した語り手は、高崎駅でだるま弁当を買ったりして旅情風味を盛り上げ乍ら聞き取り調査を大敢行。このあとはバッタバッタと人が死んでいくという定番の展開ですよ。
果たしてホテルの從業員の一人が妙になれなれしく、語り手は体を抱き寄せられてキモいキスをさせられそうになったりと危機一髮、男は事件の手懸かりをダシにして一緒に旅行しましょう、なんて迫るものの、今度はこの男がシッカリと殺されてしまいます。
男が殘していた奇妙な寫眞がダイイングメッセージとなって奇妙な解釈が開陳されたり、元同僚が電話で口にしていた新聞記事を巡って樣々な推理と妄想が繰り出されていく中盤は、元同僚がチャキチャキの江戸っ子だった為に、「ひ」を「し」と発音してしまった為に推理があさっての方向に転がってしまったりと、小粒なネタ乍らダイイングメッセージにこだわりまくる中町センセの心意氣が感じられるところでしょうか。
件の新聞記事に掲載されていた人物の名前が「内海ぽん太」だったり、語り手の悪徳商事での仕事が「テレホン嬢」だったりとおじいさんテイストはここでも健在、しかし語り手がいやいや乍らも悪徳商事で働いていたことをツッコまれると、客というのはおしなべで「一人暮らしの、大金持ちの老婆」で、「あの人にとって、二百万や三百万の金は、はした金にすぎませんわ」なんてシレッとしたようすで開き直るようなキャラでは感情移入は出來ません、よねえ。
実際、本作は「榛名湖殺人事件」なんて、いかにも旅情ミステリらしいタイトルながら、事件の背景は悪徳商法にホテルの失火事件と、鬱々とした雰圍氣が全体に漂っているところが異色といえば異色でしょうか。殺人が起きてもその後もツアーがゴリ押しで進められるという、一般常識から見たら絶對にありえない狂氣の展開がキワモノっぷりを釀し出していた「下北の殺人者」などに比較すると、金持ち老婆から金をむしりとることも厭わない冷酷な語り手が一人ボッチで旅を續ける展開に旅情風味は希薄です。
ヘバーデン結節という聞きなれない病気が事件にさりげなく絡んでいるあたりは作者の眞骨頂、そこへ被害者の健忘症も交えてて事件に関わっている重要な鍵は當事者もスッカリ忘れてしまっているというお馴染みの設定も、ここでは中町ミステリを讀みなれている方であれば、またこれかいッと苦笑しつつも許してしまえる度量の廣さを見せてもらいたいところです。
正直犯人は中盤からいかにも怪しいかんじで振る舞っているのでバレバレなんですけど、本作のキモはフーダニットよりは、やはりプロローグの仕掛けにあるといっていいでしょう。再びプロローグのシーンが繰り返され妙なことになっているなあ、と思っていると最後に意外な真相が明かされるという、これまた定番の構成にはアレ系の風格が濃厚に感じられ、マニアとしてはもうこれだけで大滿足。
語り手の冷酷な性格や、時代性社会性を感じさせる事件の背景など、作者の他の作品に比較すると、本作の風格はかなり暗め。佳作というにも躊躇してしまう仕上がりながら、中町ミステリとしての品質は十分に保たれている故、古本屋で見かけた際にはとりあえず手に取ってみるのも面白いかもしれません。ただいうまでもないことですが、本作はあくまでマニア向け、中町ミステリ初心者は最近復刻となった創元推理文庫の方から取りかかるべきでしょう。