本格ロジック寓話化計畫。
甦る推理雑誌シリーズなど、探偵小説でもキワモノっぽい作品ばかりなので、偶には昔の作品乍ら正統な風格で愉しめるものを、ということで今日は本格風味も濃厚な大阪圭吉の「とむらい機関車」を取り上げてみたいと思いますよ。
収録作は、連續養豚轢殺事件の背後に狂氣の論理が炸裂する表題作「とむらい機関車」、不可解な墜死事件が因果応報の寓話へと転換する「 デパートの絞刑吏」、不可解な撲殺事件に奇天烈な機械仕掛けとロジックが素晴らしい「 気狂い機関車」、犯人消失にある意味脱力な自然現象で讀むものを唖然とさせる「石塀幽霊」、難解事件に決まって證人として姿を見せる謎夫人の意外な眞相「あやつり裁判」、欲深い小市民の犯罪がこれまた因果應報によって素晴らしいオチを見せる「 雪解」、そして炭鉱での連續殺人にサスペンスを交えて終盤の本格論理が拔群の冴えを見せる傑作「 坑鬼」など、全九編。
個人的に一番ツボだったのは、やはり連城っぽい狂氣の論理が素敵な表題作「とむらい機関車」でしょうか。物語は同じ電車に乗りあわせた学生に、語り手の男が「葬式機関車」と呼ばれる鉄道事故起こしまくり機関車の曰くを語るというもので、冒頭の導入部から事件の核心へと至る展開がまず見事。
葬式機関車と呼ばれる機関車は、とある男が運轉手をしている時に、連續して黒豚白豚を轢き殺してしまいます。豚が線路に飛び込んでくるという偶然も考えられないし、この事件には何か裏があるに違いないと睨んだ彼らが現場で張りこみを行っていると、果たして謎の人物がブーブー鳴きまくる豚を引き連れて御登場。その場では犯人を取り逃してしまったものの、しかし今度は豚のかわりに若い女が轢き殺されて、……という話。
まずもって何故犯人は豚を轢殺するのかという狂氣の論理が素晴らしく、最後にその眞相がある人物の手記によって明かされるという趣向といい、謎の提示から眞相の開示に至るまでの構成が完璧。轢殺された死体描写などさりげなくグロっぽい描写も添えながら怪奇風味を盛り上げる前半も素晴らしいのですけど、やはり犯人が登場してからの後半が拔群にいい。傑作でしょう。
「デパートの絞刑吏」は、デパートの建物から墜死した男の事件を巡る物語で、この被害者、体には鞭でシバかれた痕跡もあったりしてまずその犯行方法と墜死の關連がハッキリと・拙めない。そこに作者の探偵でお馴染みの青山喬介が颯爽と現れてその謎を解き明かすという趣向です。
墜死事件に、デパートから盜まれた宝石の謎も絡めて最後に明かされる眞相の風格に、自分はポーのモルグ街とか、綾辻センセの「霧越莊」とかを勝手に連想してしまったんですけど、これも巻末の解説で巽氏が述べている寓話化のゆえでしょうかねえ。この墜死事件の意外な「犯人」が因果應報ともいえる仕打ちをカマすシーンは頭の中でイメージするにハッキリいって漫畫。
ユーモアともちょっと違う、作者の特異な個性が際だったこれまた傑作ではないでしょうか。しかし探偵の喬介が蟲眼鏡を睨みながら手掛かりを探す場面が插し絵にもなっているものの、このあたりのホームズっぽい造詣だけは昔テイスト、ですかねえ。
「 気狂い機関車」は表題作と同じ「機関車」をタイトルに添えていて、こちらは「気狂い」と、「とむらい」に比較すれば遙かにハゲしい言葉からキワモノの展開を期待してしまうものの、實をいえば至極眞っ當な本格ミステリ。
給水タンクのところに転がっていた二つの撲殺死体殺害方法の異なる二つの死体の謎を、青山喬介が解き明かすというものなんですけど、現場の状況がクダクダと語られる導入部から、何故二つの死体の殺害方法が異なるのか等、殺人に絡めた謎の提示はいかにもオーソドックス。それでも最後に明かされる犯人と奇天烈な機械トリックの情景は気狂いの言葉にふさわしく、これまた島田御大の某傑作を思い浮かべてしまったのでありました。
[追記 06/24/06
加賀美氏から上の件について「二つの撲殺死体」という記述は事實に反するという指摘があり、訂正致しました。確かにその通りで、これは自分の勘違いによるものです。本作では上に書いた通り、二つの死体の殺害方法が異なるところが見所でありまして、「二つの撲殺死体」とは加賀美氏がいわれる通り、この記述と大きく矛盾します。御指摘ありがとうございました。]
「石塀幽霊」では、現場から白裝束姿で逃走した二人の犯人が一本道の中途で消失してしまう。足跡が消えていたとある家の中に犯人が逃げ込んだに違いない、とアタリをつけたものの、そこにいた怪しい雙子は結局犯人ではないという。犯人はいかにして消えたのか、……という話。
ここでは犯人が同じ格好をした二人というところがミソで、これが讀者から眞相を遠ざける目くらましとして見事な効果を上げているんですけど、しかしこの脱力な眞相にはしばし唖然ですよ。幽霊というタイトルと、まさにその言葉通りの白裝束。犯人の造詣に騙しの仕掛けを懲らしつつ、妙チキリンなオチで讀者の思考を停止させるという作者の稚気をここでは堪能するべきでしょうかねえ。
「あやつり裁判」も表題作同樣、謎の提示から眞相が明らかにされるまでの展開の巧みさが光る好編で、「とむらい機関車」では白豚黒豚轢殺事件という謎がその背後に見えかくれする眞相から読者の視線を反らしていたのに對して、こちらは重大事件に必ず證人として姿を見せる謎夫人が、この背後で進められている事件を隠し仰せているところが秀逸。
いくつかの重大裁判は、この夫人の証言によって盡く覆される結果となるのですが、その夫人がアヤしいと睨んだ語り手によって明かされる事件とその動機の奇天烈さが光ります。
「雪解」は、金(きん)の魔力に取り憑かれた小市民が、一攫千金を目指して北海道で金鉱探しに勤しむもののサッパリ成果は上がらない。やがて温泉部落にたどり着いたこの男は、とある宿の偏屈爺が素晴らしい鉱脈の在處を知っているらしいことを聞きつけるや、さっそく件の爺にアプローチを開始。
金の指輪や金時計などを得意気に自慢する爺に苛々しながらも、一緒に砂金池に行ってみないか、なんていわれたからもうタマラない。この好機を逃すかとばかりに爺の案内でその場所にたどり着くや、砂金池を前にウハウハと自慢しまくる爺に小市民は激しい嫉妬をたぎらせます。
そしてその熔鉱炉のどん底から鋭い野心が火の玉のように突きあがる。三年越の自分の労苦に比してこ奴はなんと云うアツカマシイ棚ボタ野郎だ!この身寄りのない因業親爺と五百万の砂金鉱床!淋しい山の池の誰も見ていない氷の上の二人!たった二人!
という譯で、小市民は爺をブチ殺し、山を下ってはみたものの、爺には一人娘がいてまずこの娘を騙し通すのがひと苦労。やがて爺が予約していた採掘ツールが届けられると知るや、こいつはヤバいと男が犯行現場に直行、何と爺の死体には鴉が群がってガアガアと大声をあげている。
こちらが頼んでもいないのに鳥葬を済ませてくれた鴉に感謝しながらいざ採掘に挑む小市民ではありましたが、爺が自信マンマンに述べていた金は一向に出て来ない。さては爺の法螺話だったかとブチ切れた小市民が吠えまくると、果たしてこいつが待ちに待っていた金がザクザクと出てきて、……という話。
これまた小市民が因果應報の仕打ちによって絶妙なオチを迎える幕引きが見事で、倒叙ものでは定番の展開に、小市民ミステリ特有のニヤニヤ笑いを添えたラストが最高の一編です。こういうのは好きですねえ。
最後の「 坑鬼」は、炭鉱事故をきっかけに連續殺人事件が發生、犯人は事故の際に塗り込められた鉱夫の仕業なのか、という物語。この鉱夫の幽霊の仕業であることを仄めかし、そこに炭鉱崩落の豫兆を孕みつつ物語はサスペンスフルに展開します。
姿を見せない鉱夫の幽霊が暗躍しているように見える中盤までは、さながらホラーっぽくもあり、要所要所に謎解きを添えつつも、塗り込められた鉱夫のランプが見つかったり、新たな死体が発見されることによって事件は錯綜を極めていきます。そこに凝らされたいくつもの小さな仕掛けが次々と明かされていく後半部は恐怖小説めいた雰圍氣から一轉、素晴らしい本格ミステリへと姿を変えるところが素晴らしい。
巻末の解説は巽氏で、大眞面目で硬質な文體から釀しだされる洞察の素晴らしさはいつも乍ら、今回は作品が持っている寓話性を解き明かすに水木しげるを例に挙げたりと、何処か飄々とした軽さが感じられます。巽氏曰く「あたたかさと残酷な好奇心」溢れる作者の物語世界を知るには格好のテキストといえるでしょう。
何処か新本格作家の作品とも通底する志を持った作者の作品は、現代のミステリファンにも十分に魅力的。島田御大の奇想を愛するマニアは勿論のこと、意外と倉知淳の猫丸先輩シリーズが好きな人とかにもウケるんじゃないかなあ、と思ったりするのですが如何。