フルチン男の壯絶地獄廻り。
前回の續き。昨日は少しばかり、というかかなり熱が入りすぎて「地獄の愛」「石榴」の二編しか取り上げることが出來なかったので、今日は「花魁小桜の足」からということになりますか。千街氏の解説によればこの作品、結構知名度が高いそうなのですけど勿論自分は初讀。男はこれ皆変態という作者の手になる物語世界の法則はそのままに、花魁の妖艶な世界を描いたこの作品、痛快な幕引きも交えてかなり愉しめる一篇に仕上がっています。
物語の舞台は長崎で、卓袱料理を食べ過ぎた男が按摩を呼びます。その按摩が語った小桜太夫という名の花魁の話とは、というかんじで進むのですが、最初の方は蘭館に回された十七歳の小桜の生い立ちがダラダラと續くので、おやおやいつもの変態節はどうしたのと思ってしまう譯ですが、稽古通祠の彦治郎という輩が登場したあたりから物語には不穏な空気が立ちこめてきます。
この彦治郎というのは隠れキリシタンでありまして、男に體を賣っている小桜にネチネチとつきまといます。この男が小桜に惚れていることは明らかなんですけど、何しろ隠れキリシタンで更には筋金いりの変態ときたから太刀が悪い。小桜に面と向かって話しかけることなど出來ませんから、階段の影に隠れていて、小桜が寢亂れ姿で階段を上っていくところへヌボーと姿を現しては「地獄に落ちる」だの「今に恐ろしい罰が下るよ」だのそんなことをブツブツと呟くばかり。
その一方で時には廊下ですれ違いざま「可愛そうに、可愛そうに」と泣き落としたりと、一般人から見れば明らかに情緒不安定なキ印なんですけど、純眞な小桜はそんな彦治郎の変態ぶりには氣がつきません。もしかしたら本當に自分は悪いことをしているのカモ、……なんて呆氣なく彦治郎の暗示にかかってしまいます。
やがて小桜が愛人となっていた阿蘭陀人が任期を終えて歸國すると、正式な太夫となって蘭館から拔けだす機会を得るのですが、純眞な小桜は阿蘭陀人の「必ず、また来ます」というリップサービスを信じて、蘭館に殘ることを決意します。するとここでまた登場するのが変態男の彦治郎ですよ。蘭館を訪れる阿蘭陀の客の相手をしている小桜に對して「夜ごとに変わる枕の数、か。せっかく日本行になったのを斷って蘭館に来るとは、よっぽど毛唐の男が好きなのだね」などと嫌みをいう始末。
そうして前々から小桜の不安を煽りたてるような暗示を耳許で囁いていた彦治郎は勝負に出ます。「君の父母は地獄に落ちている」、「君の父母は隠れキリシタンだった」(絶対ウソ)と最後の一撃をブチかまします。父母の名前を出されてオロオロする小桜にトドメとばかりに十字架を差し出して、見事小桜をキリシタンへと改宗させた変態男はしてやったりとほくそ笑む譯ですが、このあと遊女の一人が隠れキリシタンを疑われて奉公所に召し捕られたから大變ですよ。
この遊女は踏み絵を強いられてどうしてもキリストの絵を踐めなかったということで磔拷問の末、処刑。それでも彼女は天に召されたと変態彦治郎は大滿足。果たして隠れキリシタン狩りの手は小桜にも及ぶに至り、……。
このあと小桜の前に素晴らしい変態男が現れ、彼女はある決意をするに至ります。そしていよいよ踏み絵の前に小桜は立つことになるのですが、……神聖な信仰を変態へと昇華させる手際の素敵さと、変態彦治郎の地團太を踐む幕引きが壯快な一作。個々の変態描写は薄味ですけど、これは嵐の前の静けさとでもいうべきで、この後に控えている「菜人記」は強烈の一言。告白しますけど、ここまで兇悪極悪悪魔主義的な物語を自分は讀んだことがありません。
一體に純文學作家というのは時として情け容赦ないほどに兇悪にして悪魔主義的な作品をものにすることがあるように思います。例えば吉村昭の「仮釈放」。この救いようのないラストの衝撃も相當なものでありましたが、この「菜人記」に比べれば可愛いくらいでありまして、ジョージ秋山師匠も眞っ青の悪魔的な展開と結末はキワモノ小説史上最兇と断言してもいいと思います。それほどまでに凄まじいんですよ。
物語は主人公となる蓑虫太郎の人となりを描くところから始まります。彼は「親もなく、兄弟もなく、ひとりの親類縁者さえな」い獨り者で、凄まじく汚れ惡臭を放つ襤褸布を荒繩で胴に卷き付け、腰からは下はすっ裸といういでたち。このフルチン男が寒村の犧牲羊にされて散々な目に遭う譯です。
彼は「大きうなってから、穢れた仕事をばさせるために、村で飼うておる生き物」だというのですが、それにしてもアンマリな仕打ちに讀んでいるこちらがムカムカした氣分になってくるのは必至。蓑虫は成長するにつれてナニも立派なものとなり、村の女衆はすべて蓑虫とマグわっているという按排で、それを知って激昂したのは男衆、蓑虫は彼らにボコボコにされ、ついには「犬畜生ニ附打殺勝手也」なんていう刺青を尻に彫られてしまいます。
蓑虫の唯一の心の友は火葬場で働く老人なのですが、彼も実は蓑虫と同じ村人からは虐げられた者の一人に過ぎません。蓑虫は村の変態女たちから受け取った餌をもらうと四つんばいになってそれを喰らい、時には変態女の慰みものとして、鞭でシバかれるわ、尻を舐めさせられるわ、もうこれくらいにしてくださいッと讀んでいるこちらが絶叫したくなるような仕打ちをこれでもかとばかりに受けまくります。
そんな蓑虫の唯一の願いは村人の仲間に入れてもらうことでありまして、遭難船に乘っていた老人をその場で殺せば仲間に入れてやるという男衆の言葉に蓑虫は、……というかんじで、不快中樞を極限まで刺激する展開はある意味讀書の名を借りた我慢大會。これを讀破したらどんな本でも安心、と太鼓判を押してもいいくらいの鬼畜な物語と容赦のない悪魔主義的な結末に、あなたは果たして耐えることが出來るでしょうか、と高野山の修行僧に問いつめたいくらいの凄まじさなんですよ。
で、正直に告白すると、これ讀んだあとかなり憂鬱になってしまいまして、續きを讀むのはやめようかな、なんて考えたんですよ。しかしここでやめないで大正解。このあとは最後のメインディッシュ「リソペディオンの呪い」を除けばひたすら明るい変態話が續きます。そんな譯で、あまりに鬼畜なのはちょっと苦手、という方に限りこの「菜人記」は軽く飛ばして、次の「わが初恋の阿部お定」に進んだ方が吉でしょう。
「わが初恋の阿部お定」はタイトルのマンマのお話で、友人から聞いた話である、という冒頭の添え書きから始まり、あとはただひたすら阿部定萌えのモノローグが延々と續きます。
この語り手にとって阿部定は女神でありクレオパトラでありまして、彼女に關する資料は新聞の切りぬきから何からすべて集めて保存しているという、いうなれば阿部定マニア。阿部定に自分のナニをゴリゴリと切り取られる夢を見ては昂奮し、親父が裁判所關係に勤めているのをいいことに阿部定の裁判調書までも手に入れしまうという徹底ぶりには絶句ですよ。
そういう譯で彼にとってのオカズは當代の女優のプロマイドやポルノ小説などである筈がなく、何よりのお氣に入りアイテムは新聞に掲載されていた阿部定のピンポケ寫眞と、裏ルートでゲットした裁判調書でありまして、どのシーンでクライマックスを迎えるかまでを滔々と語って聞かせるこの語り手はかなり危険。
今と違って當事はイメクラなんて便利なものはありませんから、この語り手はトルコ風呂に赴きつつも、商売娘に無茶な御願いをしまくる譯です。
目をつぶって、特殊なサービスをうけている。いよいよ高みにつり上げられるときに、
「ねえ、頼む。言ってくれよ。私は阿部定だよって」
「私アベサダヨって、いえばいいの?」
「そうだ、頼むよ」
「アベサダって何?」
「何でもいいから、言ってくれ、頼む」
「私ハアベサダヨ。これでいいの」
「もう一度」
「私ハアベサダヨ」
「頼む。もういちど」
「私ハ、アベサダヨ」
「ああ、お定さん」
かすれ声でぼくはうめくのだった。
しかしこのテのイメージプレイというのははどんどんエスカレートしていくのが常でありまして、この語り手の僕も心得た女を見つけると、鞄から取り出した刃物を握らせて、更に複雜な演技を必要とするプレイに挑みます。吉っていうのは阿部定にナニをチョン切られてしまった男の名前なんですけど、トルコ嬢を阿部定に見立て、自分はその吉になりきる譯です。
「ヤイ吉、テメエ、チョン切ルゾ、といってくれ」
「ヤイ吉、テメエ……」
「もっと卷き舌で、べらんめえ調に、威勢よく頼むよ」
「ヤイ吉、テメエ……」
千葉や東北生まれの現代のお定に、神田生まれのチャキチャキの伝法言葉を、期待する方がむりだった。しかし、中学時代に読んだ調書の一節は、私はいまでも覚えていて、こうしたとき、いつでも口をついて出てくるのである。女に言わせるセリフの種に、不自由はしなかった。
やがてこんな半端なおままごとでは滿足出來なくなった語り手は、カーマスートラの国、印度へ赴き、本格的な去勢プレイに挑みます。果たしてその結末は、……って何とも脱力のオチが最高ですよ。
ふう、どうにかこれで半分まで終わりました。あと殘りは五篇なんですけど、一エントリで決めようと思います。次は印度美人に對する壯絶な拷問プレイや前立腺の快楽に目覺めた醫師の受難、そして纏足に憧れる男と樣々な変態嗜好を巧みな語りで描いた「狩猟小屋夜ばなし」、アングラ舞踏の踊り子愛人を事故で亡くした変態男が、イタコに頼んで彼女の降霊を御願いするナンセンスの極地「美女降霊」、そして母の手作り蒟蒻のざらざら、ぶつぶつ、ぐにゃぐにゃ、ぶよぶよの感触に法悦を見いだした変態男の末路を描く表題作「べろべろの、母ちゃんは……」、さながら出張秘宝館のごとき変態パーティーの乱痴気ぶりが凄まじい「お菓子の家の魔女」、更には呪われた醜男の変態煉獄巡りが悪魔主義の極北を見せつけるダウナー系の傑作「リソペディオンの呪い」を予定しています。という譯で以下次號。