連城三紀彦「暗色コメディ」発、島田御大「占星術殺人事件」。
「台湾ミステリを知る」第一回。
日本のミステリマニアといえば、英國、米國、そして佛蘭西あたりと歐米モノを漁るばかりで、自分のような好き者はここ日本では完全に少數派、というか、そもそも台湾ミステリに關心を持っている人などこの日本にいるのか、というツッコミが入りそうですよねえ。
そんな状況でありますから、まず第一回目は、少しでも日本のミステリマニアにも興味を持ってもらえる作家の作品ということで、藍霄の「錯置體」を取り上げてみたいと思います。
藍霄といえば有栖川有栖氏が渡台したおり、島崎博御大とともにミステリ對談を行った作家として名前を覚えている方もいらっしゃ、……らないですよねえ。もう忘れているのが普通でしょう。對談の模樣を取り上げた「野葡萄」の記事を簡單に譯した自分のエントリはこちら。まあ、興味があったら讀んでみて下さい。
取り敢えず本作、有栖川氏も渡台した時に作者から手渡されており、講談社の誰かが翻訳して氏も讀んでいる筈、……なんですけど、その後、有栖川氏の口からこの作品に關してのコメントを聞いたことはないんですけど、どうだったのか。アリスファンの方、何かご存じでしたら教えてください。
まあ、前振りはこれくらいにして、本作の紹介に移りたいと思います。
物語は精神科醫にしてミステリ作家の藍霄が、見知らぬ男性より電子メールを受け取るところから始まります。差出人の男はK醫大學附属醫院の醫者だというのですが、或る日の奇妙な出來事を境にトンデモないことになってしまったとそのメールの中で切り出します。
その或る日のこと。同僚の結婚三周年記念パーティということで、男は同僚六人とともに喫茶店に繰り出します。男は同僚たちとテーブルを圍んで談笑をしていたのですが、トイレに行きたくなってちょっと席を立ちます。用を足して氣分よく席に戻ってくると、同僚達は皆が皆怪訝な顏をして自分のことを見ているじゃありませんか。のみならず彼らは揃いも揃って「あんた誰?」なんていうから、男は譯も分からず「何冗談いってるんだ」みたいにいうんですけど、同僚たちは大眞面目。
彼は完全にパニック状態になって喫茶店を飛び出すものの、自分の家も、そして職場であったK醫大附属病院にも自分を知っているものはいなくなってしまっている。更には自分の存在の痕跡を示すものはすべて消失してしまった、というのです。果たして自分はあの喫茶店の中でトイレに行った刹那に異次元へと迷い込んでしまったのか、それとも自分は狂っているのか、或いはこの世界が狂っているのか、……というかんじでメールの内容が續きます。
自分のことを知っているものが誰もいないと嘆きつつ、男はメールの最後で、しかし自分がこの世界に存在することを示す根拠がひとつだけある、と藍霄に訴えます。それが何かというと、彼は七年前に一人の女性を殺していて、その未解決事件を調べてみれば自分が犯人で、自分の存在が証明出來る、というのです。
このメールは精神病者の妄想なのか、というふうに煽りつつ、更に次なるメールで男は藍霄に對して「あなたもこの事件の関係者だ」みたいなことを切り出すんですけど、ここでふと藍霄が思い出したのが、七年前の事件があったという夜の出來事。
その夜、飮み會の歸りに藍霄は暴漢に襲われたことを思い出します。頭をガツンとやられて昏倒してしまったものの、目を覚ますと何も盜まれてはいないとホッと安心したのもつかの間、ズボンと下着をズリ下ろされて下半身が丸だしだったというから尋常じゃない。
その七年前の殺人事件というのが、いわゆる開かれた密室でありまして、醫大の研究棟の一室で女性が強姦されて殺されていたというもの。どうやら犯人は自分が昏倒している時にスペルマを採種して、その犯行に用いた、というようなことがここで仄めかされる譯ですよ。
この突然に送られてきた不可解なメールを藍霄は訝りつつも、とりあえず軽くスルーしていると、ある日警察が藍霄の元にやってきます。話によると、浮浪者の死体が見つかって、その男は藍霄にあてたメモを持っていたと。で、死体が所持していたものからほどなくして、この男というのは藍霄にあの奇妙なメールを送りつけていた男であることが判明、更にその男の死体は首と胴體が切り離されていて、首の方は別人のものだという。
この浮浪者の死体と併行して、過去の開かれた密室殺人の謎が語られる、……というのが大筋です。七年前の事件を探っていくうちに、強姦死体から採種された皮膚の斷片は、この浮浪者のものであることが判明し、送りつけてきたメールの内容との一致に藍霄は震え上がります。七年前の未解決事件と今回の浮浪者殺害事件の雙方の關連を疑う警察、そして追いつめられていく藍霄、……というかんじで、物語はメールの不可解な内容とともに混迷を極めていくのですが、中盤、この「暗色コメディ」を髣髴させる不可解なメールの内容を、論理的に解明していく展開は島田御大の「ネジ式ザゼツキー」風味。
そして七年前の密室トリックは非常に單純なんですけど、死体の状況を用いた錯誤がキモで、これにタイトルにもなっている「錯置體」を絡めているところが面白い。
事件の背後にあった眞相は變格ミステリ、というか怪奇幻想ミステリといったかんじです。最後は犯人の手記で物語は幕を閉じるのですが、このあたりの構成も島田御大の作品を思わせますねえ。最後の一行、犯人の手記の署名が明らかにされるまで、眞犯人の名前が分からないというところがふるっています。
ただ、この犯人、手記の中で犯人自身も言及しているんですけど、推理小説として見た場合は完全に禁じ手。しかしこの作品の場合、犯人の名前というのは実はあまり重要ではなくて、犯人の正体とその特性を用いた密室の仕掛け、更には手記の不可解な内容の解明に始まり、七年前の密室殺人と現在の殺人が繋がっていくところが見せ所となっています。
しかしこれに、本格推理小説原理主義の某氏がアンフェアだと激昂するのは確実でしょうねえ。まあ、英國米國の本格ミステリにしか關心がない某氏が本作を手に取るなんてことは萬が一にもありえないでしょうけども。
冒頭に幻想めいた謎が提示され、それが論理的に解明されるという構成は或る意味、島田御大の本格ミステリー論を踏襲した作品ということも出來るでしょうけど、その一方で、確信犯的に眞犯人の名前を隱蔽しているあたりに、日本の新本格以降の実驗性と前衞性の洗礼を受けた作品であることを感じさせます。
講談社にはファウストを臺灣でリリースするっていうんですから中國語が出來る編集者もいるに違いなく、有栖川氏に讀んでもらう為、本作の日本語訳もとうの昔に終わらせていると自分は踐んでいるんですけど、講談社でこの作品のリリースは、……まあ、無理でしょうか。
プロ作家の方々もほとんどは歐米作品礼贊者ばかりで、かつての幻影城時代の熱氣をも感じさせる台湾ミステリを紹介して、なんて考える方は皆無というのが現状でしょう。まあ、そんな現実を自覚しつつ、少しでも多くのミステリマニアに台湾ミステリの面白さを知ってもらえればと願いつつ、今後も色々な作品を取り上げていこうと考えていますよ。
[01/10/06: 追記]
今本屋で見たらファウストがリリースされるのは韓国でしたよ。勘違いしていた自分は莫迦者です(爆)。
[01/11/06: 追記]
「暗黑館的儲藏室」の管理人みやびさんからコメントいただきました。台湾でも「ファウスト」が來月リリースされるそうです。
[01/16/06: 追記]
本屋でファウストのSide-Aを見ました。成る程、VOFANのイラストと共にジャケには台湾ファウスト創刊としっかり書かれておりました。