ノスタルジア異界譚。
第十二回ホラー小説大賞で大賞を受賞しつつも、選考委員の絶贊絶贊大絶贊の嵐を見るにつけ、何だかなあというかんじで素通りしていた本作でありますが、ミステリの新作もリリースされないし、ということで手に取ってみました。
本作には「夜市」と「風の古道」の二作が収録されているのですが、いずれも水準以上の出来榮えで、ルンルンのような勘違いのみならず、アラマタ、高橋両氏が絶贊するのも納得の傑作でありました(ただ氣になる點もある。以下後述)。
学校蝙蝠に今宵は夜市が開かれることを告げられた裕司は、同級生のいずみとともに夜市へ赴き、……という話。いずみと裕司が夜市を訪れる描写と、永久放浪者という男が同樣に夜市のなかを歩くシーンとがカットバックで描かれていくのですが、この二つが中盤で交錯するところから本當の物語が始まる、という仕掛けが冴えています。
野球選手になりたかったという幼い裕司は何でも手に入るという夜市で、野球の才能とひき替えに弟を人攫いに賣ってしまいます。やがて夜市が終わり、神社で倒れていた裕司は家に運ばれます。しかし弟の存在はそのあと、この世界から消えてなくなってしまっていた。果たして今宵、夜市にいずみとともにやってきた裕司にはある目的があって、……というところで、上に述べた中盤以降の仕掛けが明らかにされるという構成です。
裕司の秘密が明かされたあとはある人物の語りへと轉じるのですが、その物語と結末は相當に泣かせます。このあたりの筆捌きはかなりのもので、老獪ささえ感じてしまいます。この泣ける話は最近の小説の流れを巧みにおさえたもので、一般受けするとは思うんですけど、自分のような恐怖譚異界譚好きにとってはちょっと微妙、ですかねえ。それでもこの「泣かせる」話は作者の得意とするものであるらしく、續く「風の古道」もその意味では「夜市」と對になった物語と見ることも出來るでしょう。
「風の古道」は「私」がかつての出來事を回想するという構成で話が進みます。七歳のとき、父に連れられた公園に行ったおりにその古道を見つけた私は、十二歳の夏休み、友人とともに再びその古道に足を踏み入れたのだが、……という話。
この古道というのは異界へ通じる通路で、というところから、この作品も「夜市」と同樣の異界譚であることが分かります。この古道を歩くうちに迷ってしまった私たちは、ある青年と出会うのですが、私の友人は事件に卷き込まれて死んでしまう。しかし友達を甦生させる方法があると聞き及んだ私が青年とともにその場所を目指すというのが後半で、この後半以降は語りの比重が青年の生い立ちへと移ります。そしてここから本當の物語が始まり、……というのは「夜市」の構成と同じですよねえ。
實際、この青年の生い立ちから浮かび上がってくる眞相がまた「泣ける」話なんですよ。つまりこの物語、「夜市」と構成から仕掛けから語りの展開からすべてを同じくしている譯です。
確かに普通に「泣ける」し感動出來るので、この作者の才能には感心してしまうんですけど、その一方で、次作からの展開を心配してしまうのは、餘計な御世話でしょうかねえ。同じホラー小説大賞で短篇賞を受賞したあせごのまんの「余は如何にして服部ヒロシとなりしか」は、ぎこちないながらもバラエティに富んだ短篇を収録した作品集でありました。それに比較すると、本作に収録された二作はまったく同じものなんですよ。そこがちょっと氣になってしまう。
まあ、そういう譯で、本作は傑作ながら、作者の今後はちょっと心配、というかんじでしょうか。ホラー小説大賞の大賞受賞は大いに納得なんですけど、自分的には將來性を見て、あせごのまんを推しますかねえ。あのぎこちなさをうまさに昇華させることが出來れば乙一のような奇妙な話を構築できる作家へと化けそうな氣がします。
それともうひとつ。本作は間違ってもホラーじゃないでしょう。怖い小説ではなくて、泣ける異界譚ですから、寧ろ幻想小説といった方がしっくりきます。という譯で、最近大流行の泣ける話を所望の御仁におすすめしたい作品です。